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artはearthの中にある

飛田瞭

2023年3月、縁もゆかりもない岡山県に、小さな一部屋を借りることにした。
ベランダから海の見える一室だ。家賃は、東京の駐車場代ほどで借りることができた。

当時29歳。まもなく30歳を迎えようとするこの時、明確に焦っていた。

「20代、特に何を成すこともなく、終わってしまったな...」

30代もきっとあっという間だろうし、40代はもっと速く過ぎ去ってしまう。50代は...

ふと思った。もうすぐ死ぬのか。

身分や、立場や、関係性や、境遇。
全ての重力から自由になって、自分の心に行き先を決めてもらおう。

そんな、ある種、“軽はずみな決断”をしてみた。
そしてその軽はずみな決断が、大当たりした。

瀬戸内海の豊かな表情に、毎日飽きもせずに魅了され、
何色とは断定できない淡くて曖昧な夕焼けに心奪われ、
なんでもない日に裏手の山に登って日の出をじっと眺め、
同じアパートに住む隣人たちと食卓を囲んだ。

毎日が美しかった。

同じアパート内に、フォトグラファーが3人住んでいる。
岡山で暮らすまではカメラに全く触れてこなかったが、彼らと時間を共有することで、写真には撮影者の美意識や価値観がはっきりと映り込むことを知った。

思いっきり影響を受けて、カメラを手に取った。
驚いたのは、美しい景色だけではなく、なんとなく見過ごしてきたものたちも、被写体として眺めることで美しく感じるようになるという事実だ。

ただの通勤が、映画の一幕に変わる。
美しく映そうとしなくても、世界はもう十分に美しかった。

生み出すという行為を通じたアートもあれば、
気付くという行為を通じたアートもある。

artは、すでにearthの中にあったんだ。

通勤路の中に潜む感動に気が付くため、「てく学」という活動を始めた。
てくてく歩きながら学ぶから、てく学。

お笑い芸人を呼んで、街にツッコミながら散歩したり、振付家を呼んで、街の中で銅像のように自分たちを配置してみたり。
誰かの視点をレンタルしながら歩くことで、いつも気に留めることがなかった景色がありありと語りかけてくる。

美術作品を眺める時のように、自らの感覚を研ぎ澄まして景色と対峙する。
「日常を鑑賞する」が、てく学のテーマだ。

日常の景色は、既にそれ自体が奇跡的で美しい。
artは、すでにここにある。


飛田瞭

てくてく歩きながら学ぶ「てく学」をテーマに生きる、てく学者。座右の銘は「日常を鑑賞する」。東京と瀬戸内でニ拠点生活中。メルカリで広報をやっています。

Instagram @tekugaku


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