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レスポンシビリティの戸惑い

半田孝輔

職業柄か、それとも僕個人のパーソナリティからか、相談事を受けることが多くなった。もちろん後者の理由であれば嬉しいが、この2〜3年でなぜか増えたのだ。ここで指す相談とは「一緒にお仕事しませんか」というようなビジネス的なお誘いではなく、僕個人を相手として話をしたいと指名されるもののことだ。

相談の内容は人それぞれ。人間関係、パートナーシップ、働き方、経営のこと。「なんでその話を俺にする!?」というものもある。なので結構困る。30代半ば、確かに知識や経験は蓄えられてきた。プライベートではあれこれ酸いも甘いも知るようになった。

ライター仕事はインタビュー中心だし、話を聞く相手の年齢や性別、職業はさまざま。3年前から士業のお手伝いとして経営環境の把握のためヒアリングに同行したり、企業の情報発信を代行したり。数年前に比べたら人の話を聞いて、かつ整理する機会が劇的に増えている。

そういう背景を知ってか否か、相談者たちは僕に何かを期待してやってくる。いや、期待をしているのだろうか。ただ、話をしたい、話を聞いてほしいだけなのではなかろうか。そんな気もしている。助言や解決策を求めているもの、ただただ感情を受け止めてほしいもの。耳を傾けるうちに話の方向は分岐していく。

その最中、僕はずっとうんうんと黙って頷いているだけ。だって、話を聞いているうちに言葉が口を出なくなってしまうのだ。個人的に言いたいことは湧いてはくる。しかし、それを今相手に告げるのは違う気がする。どういう態度でいるのが今目の前にいる人にとって誠実なんだろうか。毎回、そんな迷いがぐるぐると渦巻く。やっと口にする言葉は、自信なさ気で滑舌が悪い。ためらいがそこにはある。

つくづく自分はカウンセラーには向かないんだろうなと思う。昔憧れていたこともあったけれど、その道を歩まなくて正解だ。同情を示すことは稀だし、その辺は冷静だ(それもあり、かつての恋人に痛い指摘をされたこともある)。ただし、相手の文脈や感情の動きを物凄く考える癖があるので「痛み」を受け取ってしまうのだ。話の内容のポジ・ネガにかかわらず、じっくり話を聞いたあとは疲労がやってくる。

とはいえ、今のところ個人的な相談をくれた方々は皆すっきりしているようなのでこれで良かったのだと自分に言い聞かせている。いまだに何が正解なのかわからない。ただ、今日も僕はモヤモヤしながら過ごしている。


半田孝輔

ライター・編集者。東京生まれ宮崎育ち。NPO職員、販促・PR職を経てフリーランスへ。紙・web問わず幅広く編集・執筆・広報をこなす。趣味はマラソン、映画、ZINE制作。宮崎市在住。1988年生まれ。


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