新型コロナの後遺症で2度死にかけたオタクの話①

序章

2022年8月以前の自分

自慢ではないが、昔から身体の強さとメンタルの強さ、そして心のイチモツのデカさはそれなりのものだと自負していた。風邪は滅多に引かないし、割とスタミナもあった。それに、ひとたび小学生レベルの下ネタを見つけようものならインド映画のバックダンサーばりのテンションで踊りながら喜ぶ。

今なおメンタルと心のイチモツのデカさだけは衰えていないと思いたいが、それでも、自分を大きく変える出来事が起きてしまったのだ。

マジで死ぬかと思った。

そんな出来事が、この4カ月の間に少なくとも2回は発生しており、そして今後もいつ発動するか解らない闇のゲームを抱えている。
認めたくないものだな…!と言いたいが、こうなったらもう認める他にない。今の私は、心身ともにかつてないほどボロボロである。一見、心…はそれほどでもないように見えるかもしれないが、それは多分、以前の私が想像を絶する土佐闘犬のようなメンタルであったので、今が陽気に見えるという謎の効果が働いているため(と思う)(たぶん)。

初めての新型コロナウイルス罹患

それは、2022年8月の第7波の時。
周囲がバタバタ倒れていく中、こうなればもういつ掛かってもおかしくないし、ワクチンは3回打ってるし、割と強めの副反応を毎回喰らっておいて本番で効果なかったら承知しねえからな!!来るなら来いやオラァ!!
…くらいのノリでいたら

本当にきやがった。

しかも、久しぶりに当選したコミケの数日前に、家族ぐるみで陽性。
無理矢理参加してバイオテロリストになるという選択は当然あるはずもないので泣く泣く欠席届を出し、家で静養することにした。
大体、ノリがおかしい。来るなら来いと言って本当に来る奴があるか。
来るにしても空気読めバカぁ!!!!!(泣)

まあそれでも、丁度インテックス大阪で開催されるイベントの日には隔離が開けるし、不幸中の幸いだったな、申し込んでおいてよかった~くらいのポジティブさで、「陽!性!夏が胸を刺激する!…フフッ…」と一人で盛り上がっている旦那氏(※有症状陽性)の当事者ゆえに許される不謹慎ネタを横目に眺めながら、陽性発覚2日目には既にテレワークで業務復帰していた。(尚、自治体が抗原検査での自主隔離を認めていたので、家族がPCR陽性・自分は抗原検査陽性で恐らくオミクロン株であろうと思われる。)

そう。ほぼ無症状と言えるくらい、私の症状は軽かったのだ。
巷で言われているような酷い喉の痛みもなく、熱もMAXで38度いかず、まあ一応飲んでおいたロキソニンで十日間を十分に乗り切れてしまった。
何なら外出できないのが暇すぎてリングフィットアドベンチャーに手を出し掛け、「さすがにそれは病人としてどうだろう」という病人としての在り方を問う哲学的自問自答の末にやめておいた程度には、全く元気だった。
ワクチン、仕事したな。クソほど重かった副反応を乗り切った甲斐があったぜ!!
と、思っていた。その時は。

マジで甘かった。

後遺症の発覚

さて、隔離明けの日。
念のため抗原検査も実施し、陰性を確認。
ヤッターーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!
コミケの仇はインテックス大阪で取ってやる!!!!!!!!!
…とばかりに、朝一の飛行機で大阪に飛び立った。

同人オタクという生き物は、定期的に同人イベントの空気を吸わなければ生きていられない存在(※当社調べ)なので、本当に久しぶりのイベントの空気を大きく胸に吸い込んで…
ガチで咳き込む。
あれ、何だこれ?テレワークの時にはない消耗感…そして疲弊感…。
それも気のせいだろうと設営をし、久しぶりに話し掛けてくれる友人や知人と話をしながら自分のスペースで売り子をしていた。

…ん?…おかしい。

2冊の本の頒布価格の足し算ができない。
1冊の本のお釣りの計算ができない。

話そうとすると頭の中がもやっとして、何を喋っていたのかわからなくなる。
それと同時に、体という袋に針先で穴が開いたように、ものすごいスピードで体力が消耗されていくのがわかる。

この時になって初めて、自分自身にブレインフォグという症状が出ていることに気がついたのだ。
そういえば数日前からなんか食欲が落ちたり、集中して本を読めなかったり、作業の凡ミスが増えたような気はしていた。ただ、その時に行っていた業務が盆明けの単純作業中心だったので何だかんだテレワークで乗り切ってしまったこと(ついでに、テレワークだと、いつものように傍観して異変を指摘してくれる上司や同僚がいないんだよな)、ニュースによるとコロナの後は数週間微熱が続くっていうもんなーワハハ!とポジティブに自分を軽視していたことで、この後に続く致命的症状への入り口を完全にスルーしてしまっていたのである。

コロナ本番の症状は実に軽かった。ゆえに、軽症と錯覚する。

それは、ここから始まる地獄への完全なる落とし穴だった。

「ポジティブも度が過ぎればそれはヤベェ」。これは、私がここで得た教訓である。

そして後遺症外来へ…

本当は観光したかったものの、体力の限界を感じながら、大阪はイベントを早めに切り上げて関東に帰宅した。
家に辿り着く頃には、息も切れるわ、頭はよく回らんわ、最悪の状況であったと覚えている。
それでも一日二日休めば復活するんじゃね?大体頑丈だからな!

…と思っていた私は、三日後、直属の上司に半泣きで電話を掛けていた。

「上司!!ギブギブ!!!!自分の仕事の質が明らかにおかしい!!抗原検査は陰性なのに、午後だけ発熱する!!!咳が止まんない!!!飯食えない!!!ちょっと病院行かせてくれプリーズ!!!!」
「オーライ。」

我が上司というか弊社、こういう時は絶対に否とは言わない。
ただ、進まない自分自身のタスクと、私の分も仕事を押し付けることになった同僚に申し訳なく思いながら、自治体のサイトを調べ、後遺症を診察しているという総合病院に駆け込んでみた。

思えば、ここでこの総合病院に掛かったのが一回目の奇跡のスタートであったのかもしれない。

家から近い総合病院を選んだが、さすが総合だけあって、予約なしの飛び込みはだいぶ待たされる。
診察開始の9時前に入って受付を済ませ、待つこと2時間。咳がある人はこちら、と区切られた待合室には、自分より前から待っている人が数人いた。
そして時間の経過と共に待合室には人が増えてくるが、2時間以上が経過しても誰一人として一向に呼ばれる気配はない。
後遺症の待合にいるのだから、全員咳、微熱、倦怠感など辛い症状を抱えているのは一目瞭然だった。自分もまたぐったりとしながら、時々FGOの周回だけをひたすらやり続けるという無為な時間を消費していると、自分より先に待っていた女性がやおら立ち上がり、受付の方にツカツカと歩いていく。

「あの、私、8時半前からずっと待ってるんですけど。もう11時半ですよね?3時間、誰も辛い思いしながらここにいるんです、せめて、いつ診察なのかだけでも教えてくれませんか?」

待合室を見渡せば、全員の目元が緩んでいた。
スーパーヒーロー現る。
そう、病院が忙しいのは解る、でもせめていつ頃になるか解ればトイレにも立てるし、いつ解放されるかもわからない時間を絶望と共に待たずに済むのだ。

その見知らぬ女性が待合室に戻ってきた時、私は思わず声を掛けていた。

「あの、本当にありがとうございます。待ち時間の目安、欲しいですよね。私も全く同じことを思っていたんです。でも、言い出せなかったので。」
「いえいえ、みんな苦しいから来てるのよね。早くしろとは言わないけど、時間だけでも教えて欲しいわよね。」

その瞬間。

アナウンス『えでぃさん、〇番診察室にどうぞ~。』

?!?!?!
私の方が後に入ったんですけど?!?!?!!

えっこれ、めっちゃ気まずい。

生涯で初めて、目を合わせずに「そそくさと」という言葉を体現した瞬間だった。

つづく

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