コミュニケーションも投資

俺は1人でいる時間が好きなんだよな。

趣味に没頭しても忙しくしててもゆっくりしててもそれはそれで充実感が得られる。

雑談目的のSNSもグループトークとかじゃないとなかなか億劫になってしまう。

たまに気の置けない友達と交流出来れば十分孤独を感じずに済む。

でもこの孤独感をあまり感じないのって、おそらく俺が学生で、親も生きてるし、学校だのバイトだのである程度受動的に人間関係が出来てるからなんだよな。

これが中年になって、友達は全員結婚して、職場は敵か他人ばかりで、親も死んでとなると、今俺が1人の楽しさを満喫している事を深く後悔することになると思うんだよな。

年齢を重ねたら1人の時間なんて別にそんなにいらなくなるかもしれないし、1人の時間の喜びは人との交友の合間に感じてこそだと考えが変わっちまう可能性もあると思うんだよな。

そこで今更繋がりを増やそうとしても、学生時代に人と積極的に関わらなかったから人と仲良くなりする方法を知らないし、関係を継続させる方法も知らないし、遊びも何も知らないただの空虚なおじさんが完成しちまってるから手遅れなんだよな。

もしそうなるのであれば、俺が今享受している1人でいる楽しさは、薬物のように害を及ぼすものとおおよそ考えてよさそうなんだよな。

俺の今の享楽的な楽しさが将来に悪影響を与えるのであれば、1人を好み生活するというのは、ドラッグを摂取しているのに等しいんだよな。

であれば、今から人となるべく関わって、手遅れ防止策をとっていかなければいけないんだよな。

遊びを最低限知って、関わる人を増やして、人と会話する数を増やす。

こういう他人から見ればただの遊びでも、俺が将来感じるかも知れない絶望を回避するための行為なら、稼ぎを増やして将来に備える金銭的投資と一緒で、コミュニケーションも十分投資と呼べると思うんだよな。

つみたてNISAとかiDeCoの投資を国は薦めてるけど、コミュニケーションも投資していきたい。

だったら何をすりゃいいんだっていうのはなかなか難しいけど、気持ちだけでも頑張ろう。

俺が将来1人でいるのに耐えられなくなるのかもしれないと思う根拠の1つは、こんなものを書いているからなんだよな。

ただ思った事を書くだけなら燃やしてしまえばいいし、そもそも頭の中で思い浮かべて終わりでいい。

だけどインターネットに何かしらの爪痕を残そうとしている時点で、既に十分承認欲求の毒に侵されているんだよな。

人に認められたい。人に愛されたい。人に共感して欲しいという思いは想像以上に強烈で、人をいつでも変えてしまう力があるんだよな。

だいたいそんな感じ

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