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西洋音楽は特殊なのかもしれない

私たちが普段聞いている、「ドレミファソラシド」の音階で出来た音楽は西洋音楽です。クラシックのみならず、ロックやジャズのようなポピュラー音楽であっても西洋音楽です。
この西洋音楽、ほとんどの人が意識することもないでしょうが、実は世界を席巻していると言って過言ではありません。
むしろ「え、ドレミファでできてない音楽ってあるの?」という人が多いのではないでしょうか。
「様々なペンタトニックスケールとかがあるじゃん」という人もいると思います。
しかし、それらのほとんどは民族音楽を西洋音楽の音階に置き換えたものであって、西洋音楽の音程であったかどうかはわかりません。ブルースなどは西洋音楽由来の音程だと思いますが。

今回はそうなった理由について個人的に考えたことを書いてみます。

【1】デジタルである

学問ができたとき、その中に音楽がすでに分野としてあったとされています。古代ギリシア文明の時代、数学で定理として習う有名な学者、ピタゴラスが決めた、物理的なハーモニーを基礎とした音階、それが現代につながる西洋音楽の音階です。
これは音階と音高(リズム)として、グラフで示すことができる、つまりデジタルな存在です。

【2】学問である

学問として成立している、ということは、学術として開かれていている、ということです。
その知識の蓄積は、誰でもアクセスできる情報として体系化されています
譜面という共有ツールがあり、誰でも譜面に書かれていることを再現できます。

民族音楽はこれが不十分だったりします。
信仰などに則っていたりもしますし、経験で相伝するものだったりします。
つまり、民族音楽は再現性が低いことが多いのです。

【3】場所と時間に依存しない

西洋音楽の特徴のひとつが環境音とは別というところだそうです。
民族音楽は環境の音と一緒に聞くものがほとんどらしいのですが、西洋音楽は環境音をシャットダウンした環境で聞きます。
環境音は「ノイズ」としてネガティブな要素とされています。
実際、コンサートホールなどは外の音から隔絶する仕様になっています。

反面、民族音楽は、その土地、その時でなければ真のものとならない場合があります。
その土地の環境音があって初めて完成し、同じ神を信仰しなければ、その祭りの時でなければ、その音楽が持つ真の意味を感じることはできないのかもしれません。

そういえば、たとえば日本人は秋の虫の音を風流と捉えるようですが、西洋人はそうは感じないらしいです。
波の音と音楽を合わせようなんて発想もないらしいです。
環境音を遮ろうという西洋音楽の方が特殊なのかもしれません。

西洋が残響音を大切にするのは、たぶん氷河期の洞窟暮らしが影響しているのだと考えています。
その残響音に神性を見出し、それが教会のドームに繋がっていると考えると、西洋にとって「ノイズ」は神との対話を邪魔する存在なかもしれません。


以上、西洋音楽は、その特殊性で世界を席巻したと言って過言ではないと思います。
本来、音楽は「その場所で、その時のもの」であったのではないでしょうか。
しかし、西洋音楽は、環境や信仰から離れたこと、共有ツールがあったことで、世界に普及したのだと思います。
個人的には嫌いな言葉ですが、「世界共通言語は音楽」みたいな言葉の背景には、このような事情があるのだろうと思います。

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