「音楽は自由だ」という人への違和感

かねてから「音楽は自由だ」という人に違和感を感じています。ある人は「音がなくても音楽だ」とすら言うのです。


そこで考え「音楽」と「芸術としての音楽」は違うのではないか、という結論に至りました。

幼児が遊ぶように音階もないようなでたらめ歌を歌ったとします。それも音楽です。そして周りの人は「かわいいね」と言うでしょう。
でも同じことをたとえば中年男性が表現活動と称してやったらどうでしょう?
それも音楽です。でも周りの人は「頭がおかしい人」と思うかもしれません。
少なくとも良い気持ちはしないと思います。

表現の自由がありますから、やること自体を止めるつもりはないです。でも、他者を不愉快にする可能性と批判を覚悟するべきだと思います。
「音楽は自由だ」という人は、その言葉を絶対正義で他者はそれに従うべきだと考えていることが多いと思います。

芸術は「芸の術(すべ)」です。
大人が音楽を人に聞かせるのであれば「芸」である必要があるのでしょう。
それには受け手から見て芸とみなされる必要があります。
つまり自己満足以上の価値が求められると思うのです。

これは「大人としての他者への思いやり」なのだと考えます。
大人が表現活動をするのであれば「芸」として受け手に価値のある作品を届ける義務があると思います。
遊びの延長の音楽で、自己満足が目的であるなら発表しなければ良いのです。

思うのですが、ロックという「思春期の傲慢さ」がポピュラーミュージックにおいて大きな位置を占めていた弊害のような気もします。
その時に、ポピュラーミュージックは「大人の思いやり」や品格を捨ててしまったのかもしれません。


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