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自己満足のための表現は要らない時代かもしれない


音楽も同じだと思っていて、
「やりたい人はたくさんいるが聞きたい人は全然いない。なんなら、やりたい人ですら他人の作品や演奏は聞きたいと思わない状態」
だという印象を持っています。

考えられる理由はいくつかあって、

  1. そもそも人が聞く音楽の量のキャパシティはそれほど大きくない

  2. 音楽は誰でも作れる時代になって、世に溢れすぎている

  3. 忙しいので素人演奏や作品を聞く暇はない

  4. やる側が大事なのは自己顕示欲の解消であって、音楽ではない。音楽を選んだのはたまたま。だから他人の音楽には興味がない

とかなのだろうな、と思います。

実のところ、自分も音楽に本気で向き合ったのは人生を折り返してからで、若い頃やっていたのは、実はライブハウスやクラブを舞台にしたコミュニティに参加してたから、だけでした。

週末の夜、そこへ行けば皆がいます。
自分も演奏して仲間のバンド演奏を聞いて、音楽について駄弁って、楽しかったです。
ネットがなかったから、リアルが大事なコミュニティだったのです。
一言で言えば、プロへ行った仲間を横目で見ながら、自己満足を満たしあう傷の舐め合いコミュニティが居心地よかっただけでした。

仲間内だから成り立っていたものの、現代において、自分とは無縁の人の、自己満足のためだけの自己表現を受け取りたい人は、それほど多いと思いません。
「推し」という言葉が一般化したように、心理的依存ができるキャラクターとして確立しているミュージシャン以外が商売として成り立つとも思えません。

なので、現代において、自己満足のためだけのものであるなら、発表するべきではないのかもしれないと思います。
「受け手が楽しい」と自信を持って言える人しか発表するべきではないし、短期間で結果が出なければ諦めるべきだと思います。
「誰でも創作や表現活動をしていい時代」はネットや各ツール、世代を超えたスキルの高度化などで終わったのでしょう。

なにより受け手が暇ではありません。受け手としては自己満足のための素人演奏や作品を聞かされるくらいなら、ゲームをしていた方がマシです。ゲーム劇伴の方がよっぽどクオリティが高いわけですし。


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