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修道女の襟

ギリシャ語で美を意味する「カロス」、または修道女の襟のような形であることが名前の由来になった言われているカラーという花。花びらのように見える部分は苞(ほう)と呼ばれ、もとは葉が変化したものだそう。

ほう、というと「魍魎の匣」を思い出します。

少女の口から溢れた肺の中の空気。

京極夏彦を好きになったのは高校3年生の頃で、その出会いはちゃんと本が置いてあったのかと思うほど狭く、人もたいして寄りつかない図書室の中から当時の国語の先生が私に勧めてくれたところから始まりました。淡々と授業を進め、はきはきと話す女性で、あまり笑っているイメージもなく、真面目にも見えるが結局は正体の掴めない。そんな先生と話しをするときの緊張を当時の私は一生懸命隠すことに必死でした。先生は私の好みをいくつか聞いてから、本棚から2冊の本を取り出します。どちらも一応最後まで目を通して、好きな方を教えてちょうだいとのことでした。

今でも覚えている、この2冊。

事前に好みを聞かれていたからだとは思うのですが、驚くほど両方私好みの小説で、楽しんで最後まで読むことができました。ただどちらかというと、姑獲鳥の夏の方へと私はずっぷりとハマってしまいその後味が忘れられません。正直にそれを伝えたときの先生はなんだか少し嬉しそうに見えました。

「あなたならこっちが好きなんじゃないかって思ってたの。一応、違う方が好きって言ったときのおすすめも考えていたんだけれど」

京極夏彦の作品で一番有名だったのは「魍魎の匣」で、今もそれほど当時とは変わらないのではないでしょうか。先生は有名な「魍魎の匣」から勧めようかとも思ったそうですが、やはり第一作である「姑獲鳥の夏」から私には読んで欲しかったのだと言います。その話を聞いたとき、なんとなく私は先生から認められたのかもしれないという優越感に浸ると同時に、それぞれの好みに合わせていろんなパターン本をおすすめできるその知識のレパートリに感動したことを覚えています。

あれからもう何年経つのでしょう。今でも京極夏彦の本は好きですが、実はまだ百鬼夜行シリーズすら読破していません。ゆっくり、ゆっくりと一作ずつ噛み締めています。その中でも一番好きな作品は、今になってもあのとき先生に教えてもらった「姑獲鳥の夏」のままです。


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