疲れる前に

疲れる前に、とは思う。疲れる前に言っておこうとは。このブログ始める理由というかキッカケになるんだけど、まあ人間全員少なからず美学というか尖っている部分というか自分のアイデンティティというものがあると思う。特に俺みたいな若者にはそれが顕著で、今見えてる世界が小さい故の自分の中心となっている部分が存在している。それをこう、周りに向けて発散するかしないかってすごい大きな違いで。俺は今このようにどやっ!俺を見ろっ!って自分のアイデンティティを振りまいているけど、それも全て大人になって疲れる前に言っておいたほうがいい気がするからで、いつか言えなくなるのなら今言っておいたほうがいいかって感じでこのブログを書いている。

今自分の中にあるこの尖り、アイデンティティ、美学、俺はこの部分が強いほうではあると思う。でもそれはいずれ無くなる、まではいかないがどんどん弱くなっていくだろう。今はこんな風に思っているけど、もちろん大人になったら考え方が変わるし、いろんな人と出会うことで自分の価値観も変わっていく。昔むちゃくちゃ尖っていたあの人が歳をとったら丸くなる、なんてのは全国民がそうで(よく見るのはヤンキーの親が子供が生まれて丸くなる)いくらこの俺でさえも、こればかりは逃れられないのだと思う。(松本人志がそうであったように)
と、なるとだ。ここで今純粋なこの気持ちのままブログを書いておかないと、オッサンになってお腹が出てからは今と同じ熱量でこれを語ることはできなくなってしまう。オッサンになって初めてブログを書いた時には、もうオッサンの文章しか書けなくなっている状態で、そうなると今のこの俺の芯の通っている圧倒的自信や何事も挫けない根性などは書けなくなり、どう書いても謙虚謙虚の謙虚オジサンになってしまうに違いない。俺もこの先年齢を重ねていくうえで、世間に揉まれ、自分のアイデンティティや美学を持つのを疲れてしまったなんてことないオジサンが生まれてしまうのだろう。それが、まぁ少し怖くもある。
今の自分には今の自分しかあり得ないし、今の自分しか信じていないから、この文章を読み返すオッサンになった俺が「うわぁ😅きちぃ笑 思春期キチィ笑」ってなるビジョンが浮かばない。でもなる。それはもう確実に。それが少し怖い。
でも、あー、どうだろ。そこまでキツいとは思わないかもな。俺は過去の自分を肯定できる数少ない人間だし。今までもどれだけ過去の自分が恥ずかしいことをしていても、俺はそれを一生懸命生きた結果だと愛することができた。過去の自分も精一杯頑張ったし。それでの失敗はしゃーない。と。
だから、これからも思いっきり痛いことを書くべきだと思う。今の自分がいつまで今の自分かはわからないけど、ギリギリ限界まで。ちょっと疲れても、ちょっとくらいなら頑張れよ俺。ちょっと疲れたくらいで諦めるなよ。ほんと。絶対許さねぇからな。
未来の自分には厳しく行こう。舐めたマネしやがったらぶっ飛ばしてやる。

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