「否定しない」は、伸びしろだ

最近、「これは深いなーー」と感じている言い回しがある。

それは「否定しない」という表現。

「否定しない」=肯定する、ではない。

肯定って時と場合によっては、狭い視野に陥りやすいんだよね。
褒める、認める、は肯定の代表格だけど、
「それ、いいじゃん!」は
自分の価値観の中で「良し」「悪し」を判断しているのであって、
要は自分の価値観の中で「肯定」することでしかないんだ。

だから、「肯定できない」ものは、即「否定」になってしまう。

肯定するとは、全然違う水平線上に「否定しない」がある。

「否定しない」は、
「ないとは言い切れない」「一概にはダメじゃない」
「そうかもしれない」「ありえることだ」という態度のこと。

気の合わない人と会話しているとき、
あるいは明らかに自分とは意見の異なる人と会議の場にいるときに、
「否定しない」態度を貫いてみてみよう。

すると、どうなるか?
「あ、そういう見方もありっちゃありか」と
自分のスコトーマが外れて、思わぬ発見があったりする。

そもそも自分とは、生理的に「真っ向から否定したい」意見や相手の態度に対して、「否定しない」態度でいると、めっちゃ違和感が生じる。

でも、その違和感がキモなんだ。

どうして、おれは気に食わないのだろう。
むかつくのだろう、イラっとするのだろう。

否定はせずに、その違和感と向き合ってみよう。
そこには自分の(無意識の)思い込みがあるはずだ。

その思い込みの壁を超えると、
今までにない可能性に満ちた世界が広がっている。

「否定しない」は、伸びしろだ。

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