言葉は、おもちゃ。遊ぼうよ。
言葉の魅力は「ウソをつける」ことだ。
僕の家族は昔からエイプリルフールが大好きで、
4月1日になると、こぞってウソをつきあっていた。
「起きなさい!寝坊しちゃった!!もう10時よ!」
「今日の夕食はステーキ」
「テスト100点だった」
「向かい風が強かったから塾に遅刻しちゃった」
どれも取るに足らない些細な内容だ。
ところが、実家を離れて10年以上経ったある日、
母親から神妙な声色で
「(9歳年下の弟が)恋人を妊娠させちゃったの……」と
言ってきたときは信じてしまった。
あとになって、「ウソだよ、やーい」と笑われたけれど、
なんでそんなウソをつくのか意味がわからなかった。
そんな雰囲気の家庭で育ったせいで、
ぼくはウソをエンターテイメントだと思っている節がある。
そして、「言葉」があるからウソをつけるのだ、と
言葉のもつ力をかなりリスペクトしている。
昨今、そんな言葉を真に受けすぎな大人や子供が多い気がしている。
SNS上の「死ね」という言葉を真に受けて傷ついたり、
ディスってくる発言に対して脊髄反射で怒ってしまうのも、
言葉を、そのまま受け止めすぎていると、
どうしてもしんどくなってくる。
今日はエイプリルフールだ、
これらの発言は全部ウソ、真に受けなーい、
くらい右から左に受け流す方がきっとラクだ。
言葉の意味なんていくらでも変容しうる
粘土みたいなもので、
自分仕様におもしろおかしくこねくり回した方が絶対おもしろい。
しょせん粘土なのに、
それを石碑みたいにガチガチに固めてしまうから、
我々の脳みそも石頭になってしまう。
言葉をおもちゃにしよう。
そして、おもちゃで遊ぼう。
ワクワクする方へ。
目が輝く方へ。
自分が無我夢中になれる方へ。
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