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「止まり出したら走らない」感想(ネタバレ有)

ネタバレを含みます。


ダ・ヴィンチ・恐山こと品田遊さんの小説家デビュー作「止まり出したら走らない」は、中央線を舞台にした短編集。一本の長いストーリーの間に短編が挟まったような構成だ。

私がダ・ヴィンチ・恐山さんに興味を持ったのは、彼が出演するYouTubeのオモコロチャンネルで「おや、この人演劇やってた人かな?」と思わせる立ち居振る舞いがチラホラ見えたから、というのもひとつあった。寸劇がうますぎるのだ。この役だったらこういう仕草、がハマりにハマっている。先生役なんて最高だ。ぼったくりバーの怖い店員役はあまりの良さに初見で3回リピートした。

Wikipedia情報によれば、高校時代に書いた脚本が賞をとったうえ今でも上演許可依頼があるとかで、彼がガチの天才であることと、本当に演劇をやっていたことがわかった。
「止まり出したら走らない」の長い方のストーリーを読み始めたときに最初に思い浮かんだのは、まさに高校演劇の舞台だった。

私も高校時代に演劇部だったのでなんとなくわかるつもりなのだけど、高校生は高校生の役がやっぱりしっくりくる。しかも役者をやる人が少ない学校だと、二人芝居の脚本を選ばざるを得ないことも結構ある。
大掛かりな電車のセットの代わりに木でできた箱を2個置いて座れば、低予算の舞台が出来上がりだ。私は、少々偏屈な先輩役を演じているつもりで二人芝居のストーリーを読み進めた。十三機兵防衛圏で言えば比治山くんのようなイメージだ。主人公は、十郎くんかなぁ。

合間に挟まる短編は一見バラバラのようで所々つながっていて、この電車の乗客ひとりひとりに人生のドラマがちゃんとあること、このどこかに高尾に向かう高校生がコントみたいな掛け合いをしていることを想起させた。
さっき読んだ物語の登場人物の気配を今読んでいるストーリーに感じたとき、謎解きの答えに気がついたような楽しさを覚える。

電車に乗って旅をするように心地よいテンポで読んでいくと、二人芝居の物語はいよいよ終盤に差し掛かった。急に、今まで後輩の視点で書かれていた話が先輩視点に切り替わった。

ほどなくして私は完全に騙されていることに気づく。それも、違和感を感じても脳が自然と否定するくらいに完全に。まあ変わり者の先輩なんだから、スカートくらい穿くよねと。
でも、そう、ミステリーなんかでは性別の勘違いを利用したトリックはよくあるから。と一瞬平静を取り戻したものの、残り少ないページを繰るごとに新渡戸先輩の思考の洪水に飲み込まれていく。

変わり者の先輩は、胸の内にとんでもなくピュアな思いを抱えた女子だった。しかも厄介なタイプのオタクだ。ヤバい。ちょっと身に覚えがある。
偏屈な男子高校生を演じていたはずの私は、好きな男の子に手を引かれて吊り橋を渡り、照れずに自然に好きだよと言えるテクニックを実践していた。
山頂付近で傾きかけた日の光を浴びて笑い合う。都築くんは嘘がバレてもきっと許してくれるだろう。それでも、二人は特別な関係になることはなく卒業しちゃうような気がした。

***

ダメだ。これでは舞台にならないではないか。中性的な女の子が男役を演じるパターンは無くはないが、見た目で女の子っぽい先輩との二人旅だったらこの結末は予想できてしまうだろう。
文字だけでしか成立しない物語って存在したんだ。トリックがあると予想してなかった分だけしてやられた思いは強く、しかもこんなに甘酸っぱい恋愛小説を恐山さんが書くなんて、という意外性もどんでん返しに拍車をかけた。
だってそんなこと、エッセイでもオモコロでも一言も言ってなかったじゃないか!

なのに書いてる本人は、生身の誰かを熱心に推すという感情がわからないらしい。いやいや、新渡戸先輩のラストの怒涛の心の声は完璧だった。実感としてわからないのに、こんなにも鮮やかに書けるものなのだろうか?
品田遊さんがもし想像で書いていて実は自信がなかったとか言うのなら、いいえ脳がハッキングされたのかと思うほどでしたと伝えたい。銀の鈴で都築くんを探しているときの先輩の脳内も、さぞ忙しかったであろう。

ああ、騙された。でも、作者の思惑通りに騙される気持ちよさって最高だった。
そして品田遊という人は、意外な一面だけで囲まれてできたような面白い人だ。そこだけは思った通りだった。

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