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#12 「 夏の入口 」

子どもの頃、我が家には毎年ツバメがやって来た。
玄関内の三和土に先輩ツバメが残していった巣を、後輩ツバメたちが目ざとく見つけてせっせと補強しては繰り返して使う。
ツバメ同士で情報交換をしていたのかもしれない。

その季節になると、木枠にすりガラスがはめ込まれた引き戸のレールの部分に20センチの木切れがストッパーとして置かれた。
家人がうっかりして引き戸を閉め切ってしまうと彼らが中に入って来れなくなるからと、父がどこからか拾ってきた端切れだ。
我が家は留守にする時でも玄関に鍵は掛けずに、20センチの隙間からツバメが自由に出入りできるようにしていた。
今では不用心に思われるが、そんな時代だった。

その年のツバメ夫婦は5つのたまごを生んで、そのうちの4羽が孵った。
孵化しなかったひとつは、親ツバメが誤って落として割ってしまった。
たまごから孵ったヒナたちは、朝から晩まで四六時中ピーピーと鳴き狂い、僕たち家族は障子1枚を隔てた6畳間でごはんを食べたりテレビを見たりしながら「うるさいねー」などと言いあった。
そのくせ、少しでも鳴き声が止むと、蝙蝠傘(三和土に脱ぎ散らかした靴がツバメのフンで汚れないようにと父が逆さにして梁に吊るした)を少しずらして様子をうかがったりした。

あの日、僕が突然の夕立に見舞われて、玄関にかけ込んだのは何時ぐらいだっただろう。
父と母は仕事で、弟たちは近所に住む母方の祖母のところへ遊びに行って家は空っぽだった。
相変わらずヒナたちはピーピーと鳴いているのだけれど少し様子が違う。
珍しく蝙蝠傘の縁にとまっている親ツバメの片方がぼくを見ている・・・ような気がした。
ふと視線を足元に落とすと、土間の隅っこで何かが動いた。
鈍色の太い縄のようなモノがヌルリ・・・と。
一部分だけが不自然に膨らんだそいつはヌルヌルと僕に近づいてくる。
父に教えてもらったことがあった。
テレビで見たこともあった。
雛を丸飲みしたヘビだとわかった瞬間、全身に鳥肌が立つのを感じながら声にならない声が喉をはしった。

僕は三和土の隅に置いてあったビールケースから中身の入った瓶を手に握ると、躊躇無くヘビの頭めがけて振り下ろした。
瓶が割れ、破片と一緒にビールが飛び散って、雨とビールの匂いが玄関中に広がる。
ヘビは泡の中でからだを捩っていた。
もう一本、瓶を手に取ると、今度は狙いを定め瓶の底で頭を殴りつけた。
瓶は鈍い音を立てて砕けた。
なにかが潰れる手応えがあった。

隣に住む福澤のおばちゃんが、物音を聞きつけて玄関に駆け込んできた。
ひろしちゃん、どげんしたとね!
その声を聞いて我に返った僕は、動かなくなったヘビを指差しながらおばちゃんにしがみついて泣いた。
大きな声を上げて泣いた。

仕事から戻った父や母と何を話したかは記憶にない。
叱られも褒められもしなかったと思う。
ふたりの弟が、布団に入る前に僕の左手のカットバンを貼りなおしてくれた。
瓶の破片で怪我をして貼られたカットバンは赤茶色が滲んでいた。

それから2週間ほど経って、僕が小学校の教室で夏休みの友を受け取っているころ、3羽は無事に巣立って行った、ようだ。
家人の誰も見送れなかった。
学校から帰った僕は空っぽになった巣と蝙蝠傘をしばらく眺めていた。

中学に上がったころ僕たち家族はこの家を離れた。
僕が生まれた町を出てもうすぐ30年になる。
3軒長屋の真ん中にあったかつての我が家は、数年前に取り壊されて空き地になってしまった。

僕は今でも、記憶の中の玄関を入り、上がり框に腰を下ろして静かになったツバメの巣を見上げることがある。

あの20センチは、夏の入口だった。


< 了 >

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