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#8 「 デートの約束 」

「ごめん・・・やっぱ今日、行けそうにない・・・」
幸樹が申し訳なさそうな声で電話をしてきた。声の低さと口調が深刻さを物語っている。
「わかった、しょうがないよね・・・」
大きくため息をついてみせた。
「怒ってる? ごめん。終わったらまた連絡するから。ホントごめんね」
ま、そんな気はしてたけど。
「うん、わかった。頑張って間に合わせなよ!」
そう答えるしかなかった。
彼は最後にもう一度ごめんねと言って電話を切った。
ツーツーツーと鳴るスマホを静かにテーブルに置く。
・・・だーかーらー言ったじゃん!
卒論の締め切りとわたしの誕生日じゃ重大さが違うでしょうよ!
別に今日じゃなくてもいいって言ってあげてるのに
「誕生日に一緒にいることが大事なんだよ!わかってないなぁ」
なんて言ってたくせに!
1週間前にまだ半分しか書けてないとか言いながら
「大丈夫! 俺はやるときはやる男だからさ。ちゃんと間に合わせるから。それよりさ美優が行きたがってた青山の店は予約しておいてくれた? お金? 大丈夫、大丈夫! この日のためにちゃんとバイト代貯めてたからさ。楽しみだねー」
なんて、余裕かましてたのはどこのどいつよ!
だいたい、いっつもそうなんだから!
わたしよりもよっぽど頭が良いはずなのに要領悪いって言うか緊張感が足りないって言うか計画性ないって言うか、ホントにもう!
やり場のない怒りに震える両手でテーブルを叩いたら周りの人が驚いた顔をこちらに向ける。
そうだ、ここはスタバだった。

えっと、予約したお店どうしよう?
恥ずかしくて赤くなった顔を隠すように小さくなってラテをひとくち飲んだら少し冷静になった。現実的な問題について考えなくちゃ。たしか、当日のキャンセルは全額払わなきゃいけないって予約のときに言われたっけ。もう14時だし。ひゃー!1万3000円なんて痛すぎるよ。こうなるって分かってたら一番安いコースにしとくんだった。誰か友達を誘うって言ってもなぁ。誕生会しよって言ってくれたのを袖にしてるから今さらなぁ・・・。
何気なくスマホを見ると着信のランプが点滅してる。頭に血がのぼって気が付かなかったみたい。表示を見ると父からの電話だ。気が進まないけど折り返しの電話をしないとあとでぐちぐち言われるからリダイヤルする。ワンコールで出た。早やっ。
「もしもし。なに? 忙しいんだけど」
ついつい、つっけんどんになってしまった。
「客の都合で明日までこっちにいることになってさ。今日の予定がぽっかり空いたんだよ。何してんの? 学校?」
父は去年から福岡に単身赴任している。けれど、打ち合わせや会議で多いときは週一で帰ってくるから離れて生活している気がしなし。
いつもの能天気な口調が癇に障った。
「何してたっていいでしょ! パパみたいに暇じゃないんだから」
「ご機嫌ななめだねぇ。真知子ちゃんも遅くなるって言うし。あ、そうか。今日は美優もデートだったっけ。悪い悪い」
全然悪いと思ってないくせに。
父は母のことを"ちゃん"付けで呼ぶ。おまけにわたしには"パパ"としか呼ばせない。それはいい。ひらめいた。
「パパは今どこにいるの?」
「午後を半休にしたから有楽町で映画でも見ようかと思ってるけど」
「半休。いい会社だね。そのうち机が無くなるんじゃない?」
「俺を手放すようなアホなことはできないさ、うちの会社は」
この自信はどこから来るのだろう?まぁ、今に始まったことではないからこれもいい。
「晩ご飯一緒に食べない?」
「あれ? デートは?」
「察しなさい」
「なんだ、ご機嫌倒れてるんじゃないか」
電話を切ってやろうかと思ったが我慢した。
「ご馳走してくれんの?」
「今日は何の日?」
「気になる日」
「そこは”木”でしょ!」
この、とぼけた会話がめんどくさい。
「わ た し の た ん じ ょ う び」
「はいはい、わかったよ。何処に行けばいい?」
「青山にあるイスンネンテってお店に19時。来れる?」
「オッケー。映画見終わったらそのくらいになるからちょうどいい」
「お酒飲んで来ないでよ」
父はお酒が入ると能天気の度合いが増す。
「たった今、昼のラーメンと一緒にビール飲んだけど何か問題でも?」
「もういいです。遅れないでね!」
「あ、それじゃ・・・」
何か言おうとする父を無視して電話を切った。
これでスポンサー問題は解決だ。

「なんで振られたんだ?」
牡蠣のベニエをフォークで刺しながら父がどストレートなパンチを打ってきた。
「別に振られたわけじゃないからね!」
この世で唯一苦手な食べ物、付け合わせのアスパラを父の皿に移しながら反論する。
「卒論がね、締め切り今日なのにまだ完成してないみたい」
「なんだ、就職決まってんのに卒業できないってか?」
ビールを飲みながらニヤニヤ笑っている。腹立つわ。
「手伝ってやればいいのに」
「事前準備は二人で一緒にやったんだよ。似たようなテーマだったし。今日も手伝おうかって言ったんだけど、自分のことだから自分でやるってきかないし」
「おお。男の意地だねぇ。美優は出したのか?」
「もうとっくに。1週間前に提出した。そこ目標でやってたからね」
アスパラに塩をふって美味しそうに食べてる。うへぇ。
「一緒にはじめたのに、ヤツはなんでできてないんだよ?」
「なんかね、友達の卒論を手伝ってたみたい。自分のもできてないのに。バッカみたい」
「それで、友達だけが卒業していったら笑えるなぁ」
いちいち面白い話にしようとする。まぁ、わたしも同じようなこと幸樹に言ったけど。
「その友達と学校で追い込んでるみたいよ」
「もう学校おわる時間だろ? アウトじゃないの?」
「ゼミの教授が、日付が変わるまで待ってくれるって」
「いい先生じゃないか。それこそ先生にメシ奢ってやらなきゃ」
「それ、いいの?」
「ダメだろうね」
父にはアンチョビのパスタ、わたしには冷製カッペリーニが運ばれてきた。
わたしがビールを飲み終わるのを待って白のワインをオーダーした。わたしがビール1杯飲む間に3杯も飲んでるし。
お互いのパスタをフォークに巻き取って味見する。そして、お互い自分の方が美味しいと言い合う儀式。
「いい雰囲気の店だな。よく来るのか?」
「まさか。こんな高いところ。今日は幸樹が連れきてくれるって言ったから予約したの」
「ふうん。当然、今日のメシ代はヤツ持ちだよな?」
「えー、かわいそうだよ。ビンボー学生なのに」
「俺だってビンボーだよ」
「言ってて恥ずかしくない?」
「放ったらかされた彼女の面倒見てやってんだから安いもんだろ」
「見てやってるってなによ。最初に誘ってきたのはパパだからね」
「あれ? 俺が誘ったんだっけ? 昼間のビールはよく回るからな」
「お水みたいなもんでしょ」
「じゃあ、ヤツのペナルティは?」
「別にいいよ。仕方ないもん」
「へぇ~、えらく寛容だな。愛ってヤツか?」
「アホか。今日はしょうがないの! いつもは違うんだから」
「ホントかよ? 美優がいつもヤツの文句ばっかり言ってるって真知子ちゃんから聞いたけど?」
おかあさんめ、余計なこと言うんじゃないよ。
「いや、それはあの・・・。」
タイミングよくメインの肉料理。二人しばしうっとりする。牛ほほ肉のワイン煮込みと子羊のロースト。儀式、再び。

もうすぐ21時。幸樹から連絡はない。
「連絡しなくていいのか?」
「誰に?」
「彼氏さま」
ちらちらとスマホを気にするわたしに気付いたらしい。父は目ざとい。
「連絡したって卒論が出来上がるわけじゃないし」
「愛に励まされることもある」
なに言ってんだ、おっさん。
「いやいや、邪魔したくないし余計なプレッシャーもかけたくないし」
「君のことだから十分プレッシャーかけただろ?」
クククと笑う。いやらしい笑い方だ。当たってるけど。
ティラミスとジェラートが綺麗に盛り付けられたお皿がふたり分並ぶ。ここはお互い自分のものに集中する。白ワインのボトルを1本空けたあと(わたしは1杯しか飲んでいない)、父はグラスで赤ワインを飲んでいる。どんだけ飲むんだ。
「そうそう・・・」
思い出したように父がスーツのポケットから薄い封筒を取り出した。
「ほれ、誕生日プレゼント」
「あれ?なんで?」

3年前、わたしの19歳の誕生日。直前に失恋したわたしは少し荒れていた。「これ、絶対美優に似合うと思ってさ」とニコニコ笑って渡されたニットの帽子。その能天気な笑い顔が気に入らなかった。あろうことか「こんなのわたしの趣味じゃない!」と放り投げてしまった。過去に戻って自分を張り倒してやりたい。でも、父は怒るでもなく「そっか。じゃあ、真知子ちゃん使いなよ。俺がかぶるには可愛すぎるだろ」とおどけて笑った。あとから母にこっぴどく叱られた。それ以来、父は直接ではなく母と一緒にプレゼントをくれるようになった。今年のプレゼントも、今日、父が福岡に行く予定だったから昨日もらったばっかりだ。
渡された封筒には映画のチケットが入っていた。
「今日観た映画が面白くてな」
これ、昨日の夜にテレビでCMが流れてて、わたしも観たいんだよねって言ってた映画だ。
恋愛映画。父の趣味ではない・・・と思う。
「いらない? いらないなら真知子ちゃん誘ってもう1回観に行くけど?」
「ありがたくいただきます」
「感想を聞きたくないか?」
話したくてうずうずしている。
「遠慮しときます」
きっと完全ネタバレの解説を1時間かけて話すに違いない。
父は残念がりながらワインのグラスを空けた。
チケットは2枚あった。2枚?ってことは幸樹と行けってことかな?
あれ? もしかして幸樹の卒論のこと知ってた?
だからわざわざ様子見の電話をしてきて、付き合ってくれたってこと?
そうか・・・お母さんが言ったんだ、今日のこと。
「ありがとう、パパ」
親の心、子知らず。かよ。
「あのとき、ごめんね」
ちゃんと謝ってなかったからね。
「ん? なんかあったっけ?」
いつもこんな感じだ。基本的にはやさしいんだよな。
不意にぽろぽろと涙がこぼれた。
「おいおい、勘弁してくれよ。おれが若い娘をいじめてるおっさんみたいに見えるからやめれ」
少しびっくりして、でもそれを隠すように、おどけた口調でしわくちゃのハンカチをくれた。3年前、わたしがあげたハンカチだった。
「ありがとう・・・」
もう一度言って、渡されたハンカチで思い切り鼻をかんだ。
「汚ね。洗って返せよ」
苦笑いしながら席を立つと、帰るぞとわたしの肩をポンと叩いた。

地下鉄を乗り継いで自宅の最寄り駅に着いたのは23時を少し回っていた。駅から家まではゆっくり歩いても10分かからない。車内の暖房で火照った頬に冷たい風が気持ちいい。
「今年も始まって1ヶ月過ぎたんだなぁ」
父の大きな独り言に白い色がつく。
「美優も4月から社会人だからなぁ。俺も真知子ちゃんも年とるわけだ」
父がシミジミと言うと、わたしもシミジミとそうだよなと思う。4月から社会人か・・・。
「会社って面白い?」
父はわたしが中校生のころ、泥酔して帰ってきて会社を辞めると家族に宣言したことがある。今の会社に勤めだして10年目くらいのときだ。結局辞めなかったけど。理由は母もわたしもいまだに知らない。
「会社? 会社は面白い時もあれば面白くない時もある。仕事はずっと面白いけどな」
「仕事って面白いものなの?」
「それは美優次第じゃないか?」
言ってる意味がよくわからなかった。わたし次第と言われましてもって感じ。ふうんとだけ返事をした。またいつか、お酒を飲んでいないときに聞いてみよう。
マンションの入り口まで来ると
「上出来の誕生日だな、おい」
父はニンマリと笑って、エントランスに入っていった。
幸樹がいた。
先に父が気付いた。
スタスタと歩み寄ると挨拶しようとする幸樹に何かを耳打ちした。そして、そのままエレベーターに乗って行ってしまった。

幸樹が硬直している。
あまりにも神妙な顔をしているので笑いそうになったけどグッと我慢した。
「なんて言われたの?」
「" 出世払いな " って」
まだそんなこと言ってたのか。
「なんのこと?」
「いいのいいの、放っといて」
「美優のお父さん、怒ってる?」
完全にビビってる。彼女の父親は怖いって言うからなぁ。
「怒ってはいない・・・と思う。それより、ここにいるってことは卒論できたの? 間に合ったの?」
「すべり込みセーフ、翼(幸樹のともだち)もセーフ!」
打って変わって満面の笑みで両手を広げた。
「よかった!」
ホッとした。
父が聞いたらきっと残念がるだろう。ニヤニヤしながら。
「第1関門クリア! 後は審査だけね」
「大丈夫! 俺、プレゼン得意だから! 余裕余裕」
どこかで聞いたことがある。デジャヴュ?
なんだ? そのお気楽なセリフ。
心配させといてケロリとした態度に腹が立ってきた。昼間のスタバがフラッシュバックして怒りがあっという間に沸点に達した。
「だいたいねぇ、人が好すぎるのよ!」
エントランスに声が響いた。声の大きさに幸樹がビクッとなる。わたしもびっくりしたし。少し音量を下げて言葉を続ける。やめるっていう選択肢は、ない。
「自分のが終わってるんならまだしも。分かってるよ、友達が大切なのも。でもね、別に今日すっぽかされたから言ってるんじゃなくて、社会に出たらもっと・・・」
手を引っ張られてギュッと抱きしめられた。
「ごめん、反省してる。でも今日はケンカやめよ」
ずるい。
「間に合って良かった。誕生日にちょっとでも一緒にいられる」
ずるい。けど、許す。今日は。
入り口の自動ドアの向こうに人の気配がしてパッとからだを離した。
入ってきた住人に少し頭を下げて黙りこむ。
エレベーターが動いたのを見送って短いキスをした。
防犯カメラがこっちを見てる。恥ずかしい。まぁいいや。
幸樹は肩にかけていたバックからリボンがついた四角い箱を取り出した。
「誕生日、おめでとう。これ、プレゼント」
卒論ほったらかしていつ買いに行ったんだよ!って突っ込みは明日以降にとっておこう。
「ありがとう。開けていい?」
「もちろん!」
箱の中身はハートの形をしたイヤリングだった。ちょっとわたしには可愛すぎるくらいだけど、素直に嬉しかった。わたしのために選んでくれたもの。
「どう? 気に入った?」
感想を聞きたそうにしていたから、つけていたイヤリングを外して、もらったイヤリングをつけて見せた。
「どう?」
質問に質問で応える。
「かわいいよ。これ、絶対、美優に似合うと思ったんだ」

上出来な誕生日だな、おい。

ホントそうだね。

明日のデートの約束をした。映画を観に行こう。

<了>

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