お寺へお札を返しに行った話

最近、身の回りの整理整頓をしている。
大まかには片づけてはいたけれど、とりあえずしまっておいたもの、後で片付けようと思っていたもの、その時は必要だったけど今となってはいらないと思えるものがたくさんあった。

その中の一つに、神社仏閣のお札やお守りがある。

近所の神社では一年に一度、初詣の時期だけお札やお守りの回収をしてくれていて、何度かそのタイミングで持って行ったこともあるが、年始まであと3ヶ月。そこまで待つのか、どうするのか迷ったが、思い切って別のところへ持っていくことにした。

というのも今回出てきたお札やお守りにまつわる思い出が、うれしくないことと結びついていたからだ。
身近に置いておくと、その時の何とも言えないモヤモヤがずっと感じられるような気がしたというのが大きい。

少し距離はあるが家から自転車で行ける範囲のお寺で、随時他社の物も回収してくれているところがあった。
グーグルマップで徒歩35分、自転車13分との表示。
自転車で30分くらいなら許容範囲内なので、えいやと気合を入れてペダルをこぐ。

しかし、私が住んでいるところは坂が多い。
そして私は重度の方向音痴だ。
その昔、家に帰るときにいつもと違う道を通ってみようという謎の冒険心に駆られて迷子になったことがある。家の方角はわかるから、こっちだろうという感覚頼りの帰宅道。なんと途中から家とは反対方向へ向かっていて、一時は近所で遭難するのかと絶望感に襲われた。結局約15分の道のりを1時間以上かかって帰ったのだった。この時ほどスマホを持っていて地図があって本当によかったと思ったことはない。電池も切れかけていたけど、ギリギリもってよかった。

そんな私だが、さすがに地図をじっくり見ながら行けば大丈夫だろうとおもっていたが甘かった。
グーグルマップは時々変な指示をする。
左折と表示されているのに道なりに行くと右折しかなかったり、(右折とは?左折とは?自分は道を曲がる解釈をそもそも間違えていたのか?と自問自答した)細い道を案内されたが、そもそも道すらなかったり。
立ち止まって地図を確認するから、何度も徒歩の人に抜かされたり。

そんな紆余曲折があって30分以上かけてようやく目的地に到着した。
(スマホの電池は大幅に減っていたが。)
もはや大冒険である。


そして、今回の目的であるお札、お守りの返却。
はい、5秒で終了。

あまりにもあっけなく終わったので、せっかくだからお参りでもするかと、境内へ行こうとしたら、ちょうどこれから御祈祷が行われる時間。
誰でも入れるようだったので靴を脱いで入ってみた。

畳が固かったせいか、正座すると痛い。
自分は正座慣れしていると思っていたのに、地味にショックを受ける。

いきなり太鼓がドン!となってお坊さんが数人並んで登場し、ご祈祷が始まった。
祭壇?に火をくべ、読経が始まる。
驚いたのは、念仏を唱えているお坊さん達の前にはそれぞれマイクが設置されていたこと。近代的。

火をくべる方、念仏を唱える方と太鼓をたたく方。
(火をくべながら唱えてたのかも)
きれいなフォーメーションになっていて、太鼓のテンポもよく、般若心経や不動真言だったかと思うが、リズムもよく声に張りがあって力強かった。

途中で、カバンなど持ち物を回収して火にかざしてお清めするという時間ががあったり、順番に不動明王像の傍にお参りできたり。

私のほかにも多数の人がいて、合掌や数珠を持参されていたり信仰心のある方が多いのかという印象だったけど、個人的に、これはある種のエンターテインメント、アトラクションにも近いものなのでは?と思えてきた。

ど派手なご祈祷エンターテインメント。念仏ライブ。

否定するつもりはまったくなくて、仏像は好きだし神社仏閣へもよく言っていた時期もある。(ちなみに小学生の頃から好きな仏像は広隆寺の弥勒菩薩の半跏思惟像)

神社仏閣へ参拝する=静かにするというイメージだったのが覆されて、単純にすごいなと驚かされたのだった。




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