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着ぐるみを着て歩く

着ぐるみの下に鎧を隠し持つ

周りにどう見られるか気になる、心を許せない緊張状態を「鎧を着る」と喩えることがあるが、わたしは以前の自分を「着ぐるみを着る」と表現することがあります。

着ぐるみはふわふわしていて、多くの人が「かわいい」と思うものを想像してみてください。
わたしは心の緊張状態が慢性的にある状態はそんな「着ぐるみ」を着ているようだと思っています。

鎧だと見るからに硬そう。油断する隙も無く気持ちも緊張状態。
武装しているのがひと目でわかるし、鎧で身を固めた人が目の前にいたら、相手も身構える。

着ぐるみの場合は、一見可愛らしいから見かけたら身構える、という大人はあまりいません。
フワフワした柔らかい手触り。人当たりも良さそう。
しかし。実はそのフワフワの下には防弾チョッキにも負けない鎧を隠し持っている。
「仮面」ではなく、全身全霊を守る点では着ぐるみが最適。
いつの頃からか、そんな着ぐるみを着て生きていたなと最近、対話している中で振り返っていました。

いつから着ていたのだろう?
他者とぶつかりながら、時には人の意見に流されるようなこともあっただろうけども、それなりに自分の思いを出しながら成長してきました。
就職して、社会の中で経験を重ねるうちに着ぐるみはいつの間にか強固になると共にふわふわも強化されていったのです。

ぶつかるうちに、その着ぐるみがないとやっていけなくなっていたようで。
そっと着込んで、内側を強化していたようです。

身体の一部になった着ぐるみを脱ぐ時

もちろん強くなるほど、ふわふわを追加するほど重くなるので、いつしか自分の心身は重くてしんどいなと思うようになりました。
しかし、それは着ぐるみを着ている時間が長くなるほどフィット感は半端なく。
自分の一部分かのようになるので、そもそも「着ている」という感覚が無くなっていきます。これが心の着ぐるみの厄介なところでもあります。
もしかしたら、そのまま「これがわたしだ」と思い続けて暮らす人もいるでしょう。

わたしはある時にたまたま着ぐるみとその下にある頑丈な鎧の存在を意識し始めます。
早く身軽になりたい。
しかし同時にフィットし過ぎて脱げないのです。
さらに、脱いだ後のことも怖い。

着ぐるみを脱いだら。
きっともう誰も相手にしてくれない。
それどころか、また自分は傷ついてしまうのではないか。
これまでは着ぐるみが自分を守ってくれていたし、守られた自分はきっと守備力も人並み以上に弱くなっていて、丸腰では非力過ぎてもう立ち直れないくらいになってしまうのではないか。

色々なプロセスがあって、少しずつ薄着になってみると。
世界は思いの外、優しくて、受け入れられる所もあるから心の余裕ができたのです。

わたしの場合。
同じニオイのする人、この人は話を聞いてもらえそうだと思える人との出会い。
そして煮詰まり過ぎて「えーい!もうどうなっても良いわ!」と半分以上ヤケになって、開き直った部分があります。

もしも、自分の心の着ぐるみを意識し始めたら。
いきなり丸腰にならなくても、今より少し薄着になれると良いですね。

春だから、薄着になれる機会かもしれません。

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