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ゴルゴ側とこちら側で見え方が違う

子供の頃床屋に行って父親が髪の毛を切っている途中に手に取ったことがあるマンガランキング1位(私個人調べ)のゴルゴ13をご存知の方は多いだろう。
政治、経済、軍事はもちろん、食糧問題や水資源問題、宇宙開発から芸術、果てはコンピュータ-、インターネット、個人の復讐に至るまで様々な要素が絡んだ依頼にゴルゴ13が挑む作品だ。

この作品には面白い演出が盛り込まれている。エピソード中に一度も主人公たるゴルゴ13が登場しない回があるのだ。

一般的な主人公不在演出の目的

主人公の不在は作品のエピソードに起伏を与える。例えばドラゴンボールでベジータが地球に襲来した際、二番手三番手の味方キャラが悟空の到着までボロボロになって耐えるという展開がある。

これは主人公である悟空の強さとヒーロー性を高めるための演出の一つだ。(と私は捉えている)

ゴルゴ13における主人公不在の異質性

ゴルゴに仲間はいない

銃のカスタムや製造をお願いするいつものガンスミスはいても行動を共にする仲間はいないのだ。依頼達成のために依頼者側から補助要員として充てられる人物と行動することはあるが、基本的に彼は一人なのだ。

つまり先述のドラゴンボールの例は彼には当てはまらない。ゴルゴ13という作品においてゴルゴの不在演出は正にそのままゴルゴがいないということなのだ。(小泉進次郎構文になってしまった)

私はそのエピソードを「いつ出るかいつ出るか」とワクワクしながら読んでいて結局最後まで出てこないという演出に驚いた。

主人公ゴルゴがいないのにちゃんとゴルゴ13として成立しているのだ。

ゴルゴと関係者以外から見た事件の顛末

ゴルゴ13のエピソードは基本的にゴルゴが依頼人に会って依頼を受けて、困難な条件下で依頼を達成するというの大体のエピソードの流れだ。
だから基本的にゴルゴとその依頼関係者側から物語は描かれる。ゴルゴに仕事を依頼したことを知っているのはごく一部の人間だけで、他の人は全く知らないということだ。

この全く知らない側の人からみた事の顛末がゴルゴ不在エピソードなのだ。正確には「ターゲットを排除したいけれど、ゴルゴに依頼するという選択肢がない」という人物たちだ。(もちろんいろいろなパターンがあるのだが。)

これは日々色々な情報に触れる私たちと重なるのではないか。

同じ事象も立場が違えば見え方も違う

同じ事件を一般人から見るのと、警察から見るのでは全く見え方が異なるのは当然だ。情報量も違うし、立場も異なる。どこかの誰かがすったもんだした後に出てくるのが「結果」なのだ。

私たちもメディアや各種情報媒体から入ってくる情報は既に「何か」があった後の「結果」であることがほとんどだ。

ゴルゴ的な何かの力が働いた後の結果なのかもしれない。

あの「セリフ」もあながち嘘じゃない

公に発表される情報は都合の良いように書き換えられているとしばしば耳にする。

ゴルゴ13やスパイ映画でよくある「表向きは病死ということにしてある」というセリフは割と真実を突いているのかもしれない。

マンガや映画では「そうなのか」と素直に受け取るのに、現実にそうかもしれないとなると「マンガや映画じゃあるまいし」と思考にフタをすることがしばしばある。
でも我々だって仕事であるいは友達同士のやり取りで「不都合な結果」をある程度味付けしたり間引いたり言い方を変えて相手に伝えることはあるだろう。

世界の最小単位の「個人」でこうなのだ。これが国家的なレベルや、とても大きな思想レベルでも行われていると考えるのは自然なことだろう。

少しでもそういう意識を持つだけで目の前の事象だけにとらわれず、その「背景」を少し考えることができるようになるのではないだろうか。

本質の全ては捉えられなくても片鱗や影くらいは感じることができるかもしれない。

フィクションの楽しみを現実に適応する

フィクションやファンタジーはそういった気づきを私たちに与えてくれるのだ。単なるエンタメで終わらせるのはもったいない。

毎日の生活に少し取り入れるとより豊かなものの見方や感じ方ができるのではないか。目の前の出来事だけで人を攻撃したり批判したりする回数も減るのではないか。

私が完全にできているのではないけれど、みんなで少しずつできるようになればもう少し住みやすい世界になる気がする。

みんなでいっぱいエンタメを楽しもう。そして世界を少しでも住みやすくしよう。


※あなたの貴重な時間を使って最後までお読みいただきありがとうございます。たくさんエンタメを楽しみましょう。

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