評価することと、口うるさい教師

 本校でも前期の中間考査が行われ生徒を評価する時期になってきました。
 テストの成績や普段の授業の態度提出物の様子など様々な観点から生徒を評価していくことになります。
 しかし、私たちは、普段の生活のなかで、勉強の成績以外の部分でも生徒を評価することになります。
 例えば生徒の学習の様子学習の記録を取ったり、反省したり、どのような学習の取り組方をしているか、そういったものを生徒は振り返りシートや学習の記録で振り返り、計画を立てるのですが、それに対して私たち教員は成績表や調査書にのらない評価することになります。
、なるべく具体的にどのように改善するべきかを書いていたり、自分の弱点を明確にしていたり、休日の過ごし方を反省しどの時間でどれくらい学習できたかを反省していたりそういった点を私たちは見て、どんな生徒かをみます。
 それらを踏まえて、集会やホームルームのたびに教員は生徒に対して、学習状況がどうとか、もっと勉強しなさいということを言うわけです。
そうなった際に思うのですが、具体的にやりなさい、いやもっとできたのではないかと言う投げかけは、実はいくらでもできるのではないかということです。振り返って突き詰めれば1分1秒増やすことができるわけです。それを追い求めさせて良いのでしょうか。
 教師からもっとできたはずだと言われ、振り返ってみたとしても、その当時生徒本人は一生懸命勉強していた可能性があります。教師がサボっていたと判断する空白の時間が、つかの間の休憩をとっていた可能性だってあります。
 それなのに時が経って振り返ったとき、真面目なほとんどの生徒は、その時間もっと学習できたはずだと言うふうに問われれば、できたと答えるしかないのではないでしょうか。
 そのように振り返ったとしても一生懸命がんばっている生徒ですから、その時間をさらに増やす事は難しいことでしょうし、実際増やせたとしても身体的や精神的にも苦痛となってしまう可能性があると私は考えます。
 ですので振り返らせたり、反省させたりすることは必要だし、それに対して評価をして激励することももちろん必要なのですが、生徒の状況やその時の心情をきちんと汲み取ったり、その時の心情本人自身が理解した上で反省するようなプレッシャーとならないような促し方が必要であると考えました。


 同時に、逆に我々教員がどのどのように評価されるかについても考えてみることにしました。
 我々教員も日々必死に仕事に当たっているわけですが、先ほど同様、その時間もっとできたのではないか、もっと生徒に突き刺さることができたのではないか、もっと詳しくテストの結果や提出物の状況を見ることができたのではないか、と問われれば、それはできたと答えるしかありません。
 しかしそれを実際にやってしまえば、私たちの仕事の時間は無限に増える一方です。私が先ほど生徒に危惧した事と同じように、体力的や精神的にも限界が来ることが目に見えます。私自身のことになれば、それがかなり大変なことだと想像することができるでしょう。ですから追求するという事は勧められることでは無いのではないか、と考えたところです。

 さらにそのようにして勉強しなさい、できるだけもっとやれたはずだ、と言う声掛けをしたところでその成果をどのように測ることができるのでしょうか。
 その後のテストで単純に成績が伸びたり、模試での偏差値が上がったりしたことがその声掛けの成果によるものだと判断することは難しいと感じますし、それをその言葉をずっと3年間続けてきたことによって、充実した進路を叶えた生徒が増えたということを立証することもとても難しいことではないでしょうか。
 そのようにプレッシャーをかけ続けてきた教員は3年後、大学の合格者の結果、入試の成績がもし良い方向に行ったとすれば、その声掛けが成功したと考えることが考えてしまう可能性があります。
口酸っぱく教員がそのような声掛けをしたところで、評価をするのはその周りの先生方の可能性がそしてあります。『あの先生が口酸っぱく生徒に言っていたから、そのおかげで生徒は勉強して成果が出た』このように短絡的に考えてしまうと感じます。そしてそのように短絡的に感じて考えてしまうのは周りの教員だけです。
 私はそれよりも、生徒が振り返ったときに、『あの先生が口酸っぱく言ってくれたから、私は勉強できたし成果につながった』と言う生徒が数多くいるのであれば、そうやってプレッシャーをかける必要性があるのではないかと感じるのですが、同様にそのプレッシャーによってつぶれてしまう生徒がいるのであれば、やはりそれは間違った指導であったと考えるべきです。
 つまりやはり、生徒の評価制度は後々振り返ったときに、あの時の言葉あの時の教師の態度が成果として現れたのかどうかを評価してもらうのが1番ではないかと考えるのです。
 生徒の機嫌を伺っていると捉えられる考えかもしれません。生徒には厳しくあたるべきだという考えも正解です。しかし近くで見ていて、プレッシャーをかけすぎなのではないかと思う先生方もいることも確かです。生徒たちがそれに潰れずにのびのびと成長してくれることを祈るばかりです。生徒が私が想像しているよりもはるかにたくましく、私の心配が杞憂に終わってしまえばそれに越した事はありません。

以上、まとまりのない文章です。

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