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30年ぶりのリヨン訪問記

今回のフランス出張の主な目的は、ナンシー近辺の工場を訪ねる日本企業様のアテンドと会議通訳だったのですが、せっかくフランスに行くので、アテンドの合間にトレビアンフランス語アカデミーのパリの受講生さん達と集まりました。

パリの受講生さんのお宅でオフ会

ミュージシャン、アーティスト、デザイナーとしてパリでがんばっていらっしゃる皆さんの近況を生でお聞きできて、とても嬉しくそして誇らしい気持ちになりました。普段はマンツーマンレッスンなので、他の受講生さん同士が顔を合わせることはないのですが、こうして年に1~2回行うオフ会では皆さんが顔を合わせてそのまま仲良くなることもしばしば。仕事でコラボをしたり、一緒に旅行に出かけたりと、私の知らないところで受講生さん同士の繋がりが生まれています。

さて、パリ、ナンシーと周った後に、今回はリヨンに寄りました。リヨンは私にとって、とても重要な街。学生時代にリヨンに行かなかったら今の人生はない!と言えるほど、ターニングポイントかつスタート地点となった場所でした。だからこそ「いつかもう一度、ちゃんと訪れたいなぁ」と思いながらも月日が経ち、今回のリヨン訪問はなんとなんと約30年ぶりとなりました。

ソーヌ川 (Saône) : 将来の進路に悩みながら、この川沿いをよく一人で歩いたなぁ…


Vue de la colline de Fourvière et de la basilique Notre-Dame de Fourvière.

リヨンを流れる2つの川、ローヌ川とソーヌ川はもちろん変わっていなかったし、フルヴィエールの丘に建つノートルダム大聖堂、リヨン旧市街にあるサン・ジャン大聖堂、ベルクール広場なども30年前とまったく同じ。私がフランス人女性の Dominique とシェアしていたローヌ川沿いのアパートもそのままで、そこから通っていたリヨン第二大学も昔と同じ姿でありました。

Le Rhône : 川沿いがとてもきれいに整備されていました
Université Lumière Lyon 2 : ここで1年間フランス語を勉強したなぁ

もちろん昔は トラム (市街電車)は走っていなかったし、駅や歩道も前よりは今の方が断然広くて、ずっとキレイになってはいましたが、今も思い出の中のリヨンとほぼ同じだったので、驚きました。

(旧称)Tour du Crédit lyonnais : 相変わらずあそこに立っていた!

「le crayon(鉛筆)」という愛称で、昔は「クレディリヨネ銀行のタワー」と呼ばれていた茶色い建物は、今では La tour Part-Dieu という名前になったようですが、もちろん今も同じ場所に立っていました。
自分だけが歳をとったようで、不思議な気分…。

実はこのタイミングでリヨンに寄ったのにはもう一つ理由がありました。作家でありミュージシャン、画家と多才な辻仁成さんが、リヨンでコンサートを行うと知ったからです。

不思議なことに辻さんの音楽や小説は、私の人生のところどころでふと現れるのです。始まりは高校時代。その頃つき合っていた男の子が辻さんの大ファンで、「こいつの詩、めっちゃえ~わ~!」と言ってよく私に ECHOSES の曲の歌詞を見せてくれました。その時知った歌が ZOO。これが辻さんとの出会いその1。辻さんファンの彼とは約6年間つき合いましたが、私が大学を1年間休学してリヨンに行くことを決め、いろいろあって結局そのまま別れました。

それから私はパリの大学に入りなおしてディプロムを取った後、パリでそのまま就職、リヨンで出会った今の旦那さんと結婚、娘を出産をします。こうして20代、30代は育児と家事と仕事で忙しく過ぎ去っていきました。

東日本大震災があった2011年、私達は東京で暮らしていたのですが、その3か月後に東京とは地球の正反対にあるアルゼンチンのブエノスアイレスに引っ越すことになります。ブエノスアイレスでのある人との強烈な出会いをきっかけに、今度は辻さんの小説をたくさん読み始めます。辻さんの小説には、ブエノスアイレスを舞台とした作品(「まちがい」)やバンコクを舞台とした物語(サヨナライツカ)がありますが、自分もその舞台となる街々で暮らしたし、私がかつて学生生活を過ごしたパリに辻さんが移住したこともあって、そんな作品を書いた辻さんに親近感を感じたのでした。これが辻さんとの出会いその2。そうそう、彼の息子さんがうちの息子くんと同い年というのも、親近感のもとです。

あ、そういえば東京に住んでいた時、成田空港で辻さんと出会ったことがあったっけ。フランスから遊びに来る旦那さんのご両親を、成田空港の到着出口で待っていた時。出口から中山美穂さんに似ている小柄な女性と小さな男の子が足早に出てきた後に、たくさんのスーツケースをカートに載せて押している男性が出てきました。「あ、辻仁成さんだ!ということはやっぱりさっきのは中山美穂さんだったんだ…」と思っていたら、バチっと目があいました。これは辻さんとの出会い 2 bis ですね。

ブエノスアイレス、バンコク、クアラルンプールと転勤が続いた後、また久しぶりに東京暮らしとなったり、いろいろな新しい出会いを期待していたのですが、コロナの到来。そして日本の人々がマスクを取り、外に出始めるころには、今度はインドネシアのジャカルタに転勤となったのでした。

気がつくと、リヨンに留学してから約30年が経っていました。

今年の7月初めに仕事でフランスに行くことが決まり、その頃たまたま読んだ辻さんの日記で、出張の頃にリヨンでコンサートが開かれる事を知りました。「これは何かの運命だ!」と感じてしまった私は、すぐにチケットを購入。辻さんの、しかも私のスタート地点となったリヨンでのコンサートだなんて、これはもう行くしかない、と勝手に思い込みました (笑)

さて、ナンシーでの仕事を終え、TGVでパリに戻ってくるやいなや、「それでは、お疲れ様でした!」とそそくさとクライアント様と別れて、今度はリヨンに向かうTGV に飛び乗りました。

ローヌ川沿いに浮かぶ péniche (川船) La Marquise 

辻仁成さんのリヨンのコンサート会場は、ローヌ川に浮かぶ川船 "La Marquise"。この川船 (péniche) で行われるというのが、またまた私のリヨン時代を思い起こさせるのです!というのも、リヨン第二大学でフランス語を学んでいた時、学生達のパーティーがローヌ川沿いのとある péniche の中で開かれたことがあったのでした。まるであの頃に戻ったよう…。

La Marquise の丸窓から


La Marquise の中の様子

船の中にはバーがあって、お酒を飲みながらコンサートを聴くことができます。会場には日本人の方が多かったですが、フランス人もちらほら。日本から来て今回の辻さんのフランスツアー(パリ、ボルドー、リヨン)のすべてを回っているグループの方々もいたし、私の隣の女性はオーストラリアに住んでいるという日本人の方でした。皆さんなんとまあ遠くから…(私もジャカルタからだけど)。

そしてついに、辻仁成さんのリヨンコンサートが始まりました。

辻さんとヒデ・タケモトさん。お二人ともギターが超お上手!

ごめんなさい、私は辻さんの小説は今までにたくさん読んだのですが、歌はあまり知らず、来る前に YouTube で少し予習をしたぐらいでした。でも、フランスの歌はすべて知っていましたヨ!

こちらは Jacques Brel の Ne me quitte pas. (僕をおいていかないで)

Ne me quitte pas
Il faut oublier
Tout peut s'oublier
Qui s'enfuit déjà,
Oublier le temps
Des malentendus
Et le temps perdu
A savoir comment
Oublier ces heures
Qui tuaient parfois
A coups de pourquoi
Le cœur du bonheur
Ne me quitte pas
Ne me quitte pas
Ne me quitte pas
Ne me quitte pas


高校時代から、人生のことある場面でその音楽や小説に触れさせていただいていた辻仁成さん。そのご本人が目の前で歌っているんだなぁ、あれから
30年経ってまた自分はリヨンに戻って来たんだなぁ、と感慨深いひととき。

アンコールが続き、最後の曲は、もちろん ZOO。

まさか30年後にジャカルタから ZOOを聴きにくるとは…。

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