🎥シネマ歌舞伎「刺青奇偶」を観ました
2021年12月7日
MOVIX柏の葉 にて
上映前解説
今回は特別感満載の観劇!
映画上映前に「エンタメ水先案内人」でご活躍中の映画ライター、
仲野マリさんが本作品の魅力を話して下さるという
イベント付きだったから。
2021年“MOVIX柏の葉”は映画館開場15周年だそうで、
それもあってのイベントだそうです。
仲野マリさんといえば、今ではYouTubeなどで大ファンの私ですが、
マリさんを存じ上げる前にも
『女殺油地獄(おんなごろしあぶらのじごく)』や
『廓文章 吉田屋』で、ここ柏の葉でお話を聞く機会を得ています。
本日、マリさんからの「歌舞伎を観に行ったことがない人はいますか?」
との問いかけに、会場ではどなたも手を上げませんでした。
シネマ歌舞伎に来ている人たちは、歌舞伎鑑賞経験者の方が多いのだなと
改めて実感した次第です。
豪華な三人
2008年4月に歌舞伎座で上演された舞台がシネマ歌舞伎に。
中村勘三郎さん・坂東玉三郎さん・片岡仁左衛門さんと、
この三人が揃えば、間違いなく名作!とワクワク感いっぱいで観ました。
9年ぶりの再共演というのも話題になったそうです。
作家 長谷川伸による新作歌舞伎。
長谷川伸は戦前戦後に活躍した作家、“股旅物”というジャンルを
確立した方だそうです。
股旅物とは、流れ歩く博徒・義理人情の世界…を描いたもの。
主人公の半太郎は、博打による喧嘩沙汰が原因で江戸払いの身の上で、
今は下総行徳に流れてきている。
行徳は私が以前3年間住んでいた所なので、マリさんの解説で、
いきなり行徳の名前が出てきたものだから、最初から興奮しちゃいました。
戻ることのできない江戸への郷愁ゆえに、
同じ匂いのする船運ターミナル行徳で対岸の故郷への
思いをはせている半太郎。
酌婦 お仲
半太郎は通りがかりの縁で身投げした酌婦 お仲を助けます。
私はやはりこの玉三郎さん演じる
お仲の佇まいや表情がいちいち好きでした。
人買いから逃げてみたものの、お金も希望もない。
虚ろな表情で身投げを思い、川辺へ降りていく寂しげなお仲。
その後、半太郎に水の中から助け出されるわけですが、
その乱れた着物の襟元や帯回り、ほつれた髪の様子に注目!
舞台上の演出で、着物の着付けによる表現がものをいうところだなぁと
感心して見てしまいました。
さて、助けられても嬉しくないお仲。
立膝の上に片肘ついて、
『男ってやつは女とみれば狙うとこは一つなんだ!』
とやさぐれるところ、いいなぁ。
そこを半太郎の目の覚めるような啖呵でいさめられる。
初めて見る、心根がまっすぐな男の言葉に目を見開き、
口も半開きのお仲。
この表情もいいです。
ここからはお仲の表情に生気が戻ってくる。
この男について行くと決めたから。
そうなると今度は男を助け、支える妻となって身を尽くす女の顔になる。
幸せ
お仲が幸せだったか、不幸だったか。
半太郎は博打をやめることができない病気をもっているようなもの
(マリさん曰く)。
家は常に貧しく、お仲は不治の病に侵される。
でも、それでもお仲は幸せだったと私は思う。
半太郎に愛されていることを知っていたから。
私はまだ生きていたい!と願うお仲。
幸せだからこそ、この願いにつながるのだもの。
しかし、幸せな夢を見たの、夢はいいねぇ…のところはやはり切ない。
女房おたけ
病床に臥せっているお仲を親切に世話をする、
隣の家の女房おたけさんが良かったなぁ。
中村歌女之丞さん(3代目)が演じておられます。
お仲との何気ないやり取り、彼女の存在でホッとするところがある。
お仲が元気だったら、良い隣同士で助け合い、慰めあって、
気持ちの良い近所付き合いもあったことだろうに…と想像したり。
半太郎の留守の間に医者が来て、お仲の命が短いことを知らされます。
お仲に悟られないように気遣いながら帰宅した半太郎に
そのことを伝えて目頭を押さえて立ち去るおたけさん。
歌女之丞さんの好演、心に残りました。
鮫の政五郎
命短い妻にせめて最後は良い思いをさせてやりたい。
そのために「賭博からは足を洗う」というお仲との誓いを破って、
賭場荒らしの末、半殺しの目にあう。
そこに現れたのが親分 鮫の政五郎。
この片岡仁左衛門さんが超カッコイイ。
鋭い眼光の貫禄の親分だ。
半太郎の半端ない覚悟のほどを感じとったのだろう、
愛する妻のために必要な大金と半太郎の命を引き換えに、
サイコロを用意させる。
自分の運命にすべてを任せてみろというものだった。
「若けーの、行こう。丁半だ。」
政五郎の、腰は降ろして、差し出すその手のかたちの美しいこと!
そして、この場面こそ“人情”というものが最もあぶりだされている
瞬間だったのではないかと思う。
刺青
性根はやさしい男の、その温かい心は愛するけれど、
賭博なんぞで人生を狂わせてほしくない。
心底幸せになってほしい…。命短い自分ができること、
それがこの男の腕にサイコロの刺青を施して、
心の戒めにしてもらうことだった。
これは長谷川伸が実際に耳にしたエピソードだったそうで、
そのモデルになった人物は、それでも懲りずに賭博を続け、
そのたびにうずく刺青を服の上からさすりながら
「これっきりだから」とつぶやいていたとか。
さて、半太郎はどうだったんだろう。
「お仲、今、けぇるよぉ」と満身創痍の体を引きずって、
大金を懐に、病床の妻のもとに駆け出す花道で幕は閉じます。
お仲の願いは、ただ夫の賭け事の病を治してもらいたいこと、
それこそが真の幸せにつながることになる。
死出の旅路についてしまうであろうお仲のそんな思いは、
半太郎に伝わるだろうか。
半太郎のお仲に対する“愛”は嬉しいけれど、
その“あぶく銭”については、よくよく考えてほしい、
自分亡きあとの生涯をまっとうに生きてほしい。
お仲のそんな声が聞こえる。
その後
さて、それからの半太郎とお仲については、
詳しく語られないままお話は終わります。
お仲は余命がないという筋立てで進んでいますから、
妻を満たされた様子で見送りたかった半太郎の願いは
かなわないだろうな・・・
でも半太郎が花道を駆けていく幕切れは、
お仲に対する愛情がいっぱいで、私はそこに暗澹たる暗さよりも、
ただただあふれる愛情の温かさの方を強く感じつつ、見送りました。
で、私はよくやるのですが、自分なりにその後を考えてみる。
この作品にはもう一面あって、半太郎の両親が登場します。
江戸払いになって消息のつかめない息子を探す老夫婦。
登場回数は2度ほどですが、どちらもほんのわずかのところで
息子とすれ違ってしまい、会うことがかないません。
お仲や政五郎親分の人情に目を覚ました半太郎は、
その大金でまずお仲をねんごろに弔い、
自分を探しているという両親の話を聞きつけて、
再会を果たすというストーリー、どうでしょうか。
作者の長谷川伸も、生き別れていた母親と、
この作品を書いた翌年に再会を果たしたのだそうですから。
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