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「意味」よりも「響き」に惹かれる言葉

唐突だけど、私は「明鏡止水」という四字熟語が大好きです。

めいきょう-しすい【明鏡止水】
邪念がなく、澄み切って落ち着いた心の形容。▽「明鏡」は一点の曇りもない鏡のこと。「止水」は止まって、静かにたたえている水のこと。「鏡」は「けい」とも読む。
出典『荘子そうじ』徳充符とくじゅうふ

https://dictionary.goo.ne.jp/word/明鏡止水/

うっかり、どこが出典で、どんな逸話があって…という話をしてしまいたくなるところなんだけど、ひどく脱線するので今回は置いときます。
こういう、意味は詳しく知らないけどなんとなく響きは知ってる言葉、意外とたくさんありませんか?
私はたくさんあります。書く仕事の人間なのに。
初志貫徹くらい見たままの意味ならともかく、森羅万象とか花鳥風月とか、正確な意味をこの場で調べず答えられたら100万円!って急に街中で言われたら泣いちゃいます。(わかんなくて)
「明鏡止水」も例に漏れず、そんな熟語の一つ。

でも不思議と「めいきょうしすい」と唱えると、心がしゃんと鎮まる感覚がする。
口に出したり、頭で思ったり。どんな考え方をしても「明鏡止水」はまるで雨上がりの空気みたいに心をクリーンにしてくれる。
ふと気になって意味をちゃんと調べたときに、ますますこの言葉が好きになりました。きれいな言葉って、きれいな意味を持ってるんだなぁって。
意味を知らなくても響きで意味に触れられる、完成度の高い言葉なんです。だから好き。

言葉って、基本的には「代数」だと私は思ってます。
使う場面やタイミング次第で、本来持ってる言葉の「意味」は変化していく。
例えば「ねずみ」。
元来ねずみという生き物を表す言葉のはずが、ずるいことの例えにもなるし、弱者という意味にもなる。もしも袋小路でマフィアに追い詰められて「ハハッ、袋のねずみだな」なんて言われながら眉間に銃でも突きつけられようもんなら、「人間」のはずの私は、このときばかりは「ねずみ」になっちゃいます。
こんな感じで、言葉の意味って意外と曖昧で、なんでもアリ。自分が勝手に意味を定義して使うこともできるし、仲間うちや世間で勝手に再定義されて全然別の意味で流通する言葉だってある。最近は「忖度」がそんな感じですよね。推し量ることを意味するはずが、悪い意味での推察を意味する使われ方に変わっていってしまってる。今の日本で生きる人にとっては「忖度」≒「ゲスパー」になっちゃったんですね……。

だから、言葉って意外と「中身がないな」って思うんです。(いい意味で。)
だってなんでも中に入るんだもん。
私が言葉を空虚な代数として捉えてるのはその自由度の高さからですが、代数ほどなんでもかんでも入るかと言ったらそうでもない。
入る物はある程度決まってて、何を入れていいか定義してるものこそが「言葉の響き」なんじゃないかなぁって思うんです。そしてこれは、言葉の「意味」と違って、決して揺らがない。「響き」は言葉と一心同体。「あ」を絶対に「い」とは読めないように、言葉と響きは常にワンセットで、何年も何年も紡がれて伝わってきている。
「めいきょうしすい」の響きには、それが詰まってると思います。だから何年語り継がれても意味がぶれない。美しい言葉です。

音の持つイメージについても語りたいけど、これはまた後日に。
私は「ま」行の言葉が大好き。

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※今日の記事をこんな話題で更新したのは、かっこいい禅僧のおにいさんが描きたかっただけです。

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