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ヨガを正しく学びなおしたい

ヨガの理論面と実践面の融合


ヨガスクールの受講生の皆様から「ヨガを正しく学ぶにはどうしたらよいのか?」と質問を受けることがあります。(※ここではヨーガと記さず、ヨガで表記を統一させて頂きます。)

ヨガの理解を深めるには練習をしているだけでは難しく、同時に理論的な理解を進めることがとても重要になってきます。

ヨガの概念や理念についてを正しく理解していくことがヨガに対する誤解を無くし、ヨガの本質への理解をもたらします。

ヨガは人間を骨や筋肉だけ切り取って判断するのではなく、全体として扱うところに一つの特徴があります。そのため、理論を知らずにただただ練習をしているのも、理論ばかりを勉強して実践を怠るのも同じです。

理論的な理解と方向性の正しい実践がちょうど良いバランスに組み合わされた時に漸く目指す目的地へスムーズな道のりを感じ始めるのです。

ヨガはとても長い歴史を持つものですが、一般的にヨガが今のような形で広く知られるようになったのは近代のことです。
実際に歴史をさかのぼっても今の様に広い分野や領域に渡って学ばれ、実践されたことはなかったようです。

私たちも様々な国を訪れてヨガを学び、また指導する機会に恵まれましたが今ではヨガをしていない国や地域を探す方が難しいくらいにヨガが浸透していると言えるでしょう。

日本でも勿論ですが、世界中の人がヨガに興味を持ち実践しているのです。

そうは言っても、正しくヨガの概念が伝わっていない場合、理解されていない場合も多く本質への理解が広まっているとは言えないような状況です。

ヨガ・スートラ

ヨガの歴史は五千年、もしくはもっと古いものであると言われています。実際のヨガの起源というのは明らかにはなっていません。

何千年という期間をかけ現在の形になるまで幾度となく変化を重ね体系化されてきました。

私たちが知ることのない伝統や実践方法なども恐らくあったのではと推測されますが、少しずつ時の流れと共に薄れ消え去ってしまったのでしょう。

今、私たちが知ることのできる体系的なヨガの起源として、二千年以上前にパタンジャリによって編纂された「ヨガ・スートラ」があります。

ヨガ・スートラは、その当時までに恐らく口伝で伝承されてきたヨガの伝統を体系化したものと位置づけられています。

そのため、ヨガスクールなどの門を叩いたヨガ練習生は、まず最初に学ぶべきとされる権威ある教本になっています。

時代や場所によって様々なヨガへの誤解や錯覚が生まれてきたように、ヨガには誤解が切っても切れない存在の様です。

ヨガはある特定の人々しか学ぶことのできない特別なものであり、それを実践する者は特殊な修行を行う、また宗教的・精神的な修行法を行うもので一般の人には全く関係のないものとされていたこともあります。

どの時代においても、極端に精神性を追求する人というのは少数派の特別な人と思われていたのかもしれません。

その当時はヨガの道で高いレベルに達し本質を追い求めるのであれば人里離れた洞窟の様な場所で隠遁生活を行うヨーギーの下で直接教えを受ける方法しかないと考えられていました。

実際のところ、そのヨガの道で高い精神性を目指し到達したヨーギーというのは少数派でした。

ですから、ヨガというものをどのように学んで実践されているのかというのを一般の人には知る由もなく、その結果、神秘的な存在であると考えられていました。

ヨガは一般人には縁のないもので、社会生活を全て手放し隠遁した極僅かな人たちがヨガをするものといった誤解は更に広まりました。

確かにヨガ・スートラの古典ヨガの伝統というのは、通常の社会生活から隠遁した特別な修行者に向けての教本の様にも見えます。

そして、中世のハタ・ヨガの伝統も特別な、ある意味特殊な修行者の団体に伝えてこられたものです。

特殊な修行者の集団の保守的な伝統に守られてきたからこそ、現代の私たちにまでヨガの知識が純粋なまま伝承されてきたというのは間違いありません。

現代のヨガへのニーズ

現代人のヨガに対する期待や人々の関心と、純粋に伝承されてきたものとは少し性格が違ってきています。

現代でのヨガへの関心は必ずしも全員が精神的な成長やスピリチュアリティの進化を目指しているとは限らず、社会生活を手放し隠遁生活を行う道に進むという人は多くはないでしょう。

多くの人がヨガに期待しているのは日常生活の中でぶつかる壁や苦しみに対して、ヨガの知識や実践面から得られる学びの中で現実を良い方向へと導きたい、何かを改善し解決に結び付けたい、といった実利的なところにあります。

現代の私たちのライフスタイルでは主に都会が生活の中心となり、近代文明の恩恵を得る中で驚くべき進化を遂げ多くの快適さや便利さを手に入れ、農村での共同体としてのかつての生活とは様変わりしています。

しかしその中で、多くの人が「何かを失っていること」に気づき始めているとも感じます。便利さを追求したことで快適さを受け取るつもりが、同時に人間として苦難を伴うものであるということには人間は直ぐに気づくことができなかったのです。

時間に追われる生活

現代人は時間と常に闘っています。
いつでも時間と競争をしているようです。
特に都会でのライフスタイルでは時間に追われる形になりやすく私たちに強く大きなストレスを与えています。

現代の人がヨガへの期待をもつ一つの理由として、時間と闘わず、このストレスから如何に逃れられるのかというのがテーマとなっています。

このような現状もあり、現代でも急速に人気が高まり知られるようになったものの、今ヨガを求めている人々がヨガの本質を理解しているとは言えないような状況にあります。

ヨガの一部分を切り取った形で側面だけが急激な変化を遂げながら広まっているというのが実情です。

ヨガとは

「ヨガとは何か」という質問に一般の人からは様々な答えが返ってきます。ヨガの指導者に聞いた場合もやはり同じです。

ヨガの側面だけが、いびつな形で広まる驚くべきスピードに比べ、ヨガの明快な理解が広まり辛く、本質であったり理念であったりするところが正しい視点で理解されないままでいることで、練習生や指導者がいつまでも不安なままヨガの歩みを進め、結局苦難を抱えているところに問題があります。

その様な問題を避けるためにはヨガの本質の理解が非常に大切です。

ヨガ指導者の方で、今、自分のヨガは偽物なのかもしれないと不安に思われた方がいるかもしれませんが、そうではありません。

きちんと頭の中を整理して丁寧に学び続けることができれば、今どのような場所で指導に当たられているか、もしくはどのようなカテゴリーで指導をされているか、その様なことを正しいか間違っているかという二択に分ける必要が無い事に気づくことが出来ます。

ヨガの本質というのは、万人に開かれた方法論の体系であり、哲学的理論の裏付けがあるからです。


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