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【掌小説】珈琲店にて 

根津は外回り中よく喫茶店に立ち寄って仕事をする。
よく行くところは全部で5軒、中でも最近気に入ってるのが「玄」という珈琲専門店であった。
まだ開店して間もない店で黒を基調としたシックな店内は広く清潔で客層も中高年が多くノマドには絶好だった。

「根津さん」
ある日その店でpcに向かっていると近くで声がした。
ふりむくと大学の後輩の山上だった。
会社の飲み会で何度か話したことがあるが部署が違うから普段はあまり顔を合わせることがない。
すらりとした長身に真新しい紺のスーツがよく似合っている。
「隣り、いいですか?」
「ああ。ちょうど一段落したところだ。君も外回りかい?」
「ええ、まあそんなところです。根津さんもですか?」
山上はpcの画面をちらっと見て尋ねた。
「うん。でも今はちょっと英語の勉強してたところさ。今度会社でTOEICがあるだろう、それを受けるから。」
「なるほど。」
根津は珈琲を一口啜ると素早くメールをチェックした。
どうでもいい宣伝ばかりだ。
片端からゴミ箱に放り込む。
「それにここのブレンドが好きだからね。近くを通りがかったから寄り道したんだ」
「香りがいいですよね」
山上は微笑しながら同意した
「珈琲専門店はこの辺りでは3軒あるけどここが一番かなー野菜サンドにブレンドね」
山上は注文を聞きにきた店員にテキパキと注文した。
「詳しいみたいだね」
「コーヒーですか?ええ、まあ。ブログで珈琲店についていろいろ書いてるんで」
「ブログ?」
山上はいそいそと上着のポケットからスマホを取り出した。
「えっと、ちょっと待ってくださいよーこれです」
山上はスマホを根津に見せた。
(ほう)
トップページをみるとかなり本格的な内容のようである。
 ブログは根津も以前やったことがあるが次第に面倒になり1ヶ月で挫折してしまった。
最近の若い者はこうしたものの扱いがうまいな
思っていると
「この3軒です、さっき言ったのは」
「ふうん。これ全部自分で調べたの」
「もちろん。記事も全部自分で。」
「すごいな」
「いえ、まだまだ作りがけですけど」
山上は微笑して運ばれてきたサンドイッチを食べ始めた
コーヒーを一口飲んだところで
「あれ、味変わってる」
急に驚いた声を上げた
「なんか変わってないですか?開店した時はこんな味じゃなかった気がするけど。もっと苦味があったような。」
「さあどうかな。その時はまだここを知らなかったから」
「これは修正しとかないと。」
 山上はテーブルに置いてあったスマホを取り上げた。
根津もコーヒーを一口啜った。
相変わらずまろやかで口当たりがいい。
外に目をやるとよく晴れて店の前に駐車してあるクルマのフロントガラスに陽光が反射して眩しい。

「最近はデカフェが流行ってるんでそっちの記事に力入れてるんです。」
山上はスマホを見ながら言った。
右手の親指が忙しく画面を押している。
「妊婦さんを始め結構カフェインを気になさってる方が多いので。」
「カフェインは元々毒だからね。」
根津はいった。
「植物にとっては食われないように身を守るためのものだ。ただ困ったことに人間はこうした毒が好きで飲むと脳内の、えーと何だっけ、そうエンドルフィンが分泌されていい気持ちになってついには依存症になったりする」
「へえ、よくご存じですね」
山上は画面から顔を上げて言った。
「なに、最近読んだ本の受け売りさ」
根津は微笑した。

しかし根津のそんな一言が山上の自己顕示欲に火をつけたらしい。
山上はそれから延々コーヒーの話を始めた。
デカフェの話からコーヒーの銘柄、淹れ方や水の良し悪し
ブログの記事を見せながらなかなか止まらない。
ー男前だし頭の回転も速いから女性にはもてるだろうな
 根津は適当に相槌を打ちながら思った。
ーだが仕事の方はどうなんだろう。少なくとも珈琲に関する限りは周りを考えるタイプではないようだ。
 pcの時計は1時を過ぎている。
 2時からは会議だ。
ー全く面倒臭い。せめて部長が長ったらしい前置きをやめさえすれば今の半分の時間ですむんだが。
根津は憂鬱になった。
山上の方はそんな様子には一向に気付かぬ様子で実は、と何やらもったいぶって切り出した。
聞くとこのブログ記事が出版社の目にとまり書籍化の話が来ているらしい。
すごいじゃないかと口先では言いつつ根津は面倒な会議が急用に思えてきた。
これ以上話に付き合ってもしょうがない、出ようと腰を上げかけたところで山上のスマホが鳴った。
 「はい、え?あ、そうですか。じゃ今すぐ行きますので」
 そういうと
「すいませんが急用ができたので先に失礼します」
山上は伝票を取るとスマホを耳に当てたまま足早に去った。
ーやれやれ
根津は大きく息をついて背もたれに深々ともたれた。
再び会議がどうでもよく思えてきた。
だが出ないわけにはいくまい。
もう一杯飲んでから行こう。
根津はサイフォンに残っていた珈琲をカップに注いだ。
厚手の白のカップに半分ほど、深みのある黒がよく映える。
時間が経ったのでもう冷めてきている。
ーちょっとこいつを入れてみるか。
 根津はミルクの入った容器を手に取った。
 味を変えたいが入れすぎるのはまずい。
 彼は慎重な手つきで一滴落とした
白い液体はたちまち広がって黒い液体の表面に細かな網目を作った。
ーほう
根津は思わずカップをのぞき込んだ。
幾何学的な模様で何かの生き物の微細な組織を顕微鏡で見ているようだ。
それが珈琲の深みのある黒と相待ってどことなく邪悪な感じがする。
 根津は昔テレビでみた占いのことを思い出した。
 それは珈琲にミルクを落としその現れた模様で吉凶を占うものだった。
 当時はバカバカしいと思って笑っていたがようやくそんな占いがあるのがわかった気がする。
背広のポケットのスマホが鳴った。
「何やってる。もう会議始まってるぞ」
耳に当てると同僚の鈴木の怒鳴り声がいきなり耳に響いた。
根津はpcの時計を慌てて見た
 「2時からじゃないのか?」
 「メールみてないのか?1時間早くなったんだよ」
何?
根津は慌てて椅子から立ち上がると素早くメールのゴミ箱を漁った
 【至急】会議は1時からに変更になりました
 ーこいつか。見落としてた。
 「さっさと来い。部長カンカンだぞ。」
 ー今日は大凶。
 pcを鞄に押し込むと冷めた珈琲を一気に喉に流し込む。
 ー苦い。
 レジに向かいながら彼は思わず顔をしかめた。

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