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【短編小説】ホドキ神 

ラズカ大陸東南にある小国ツラ。
南を海に面したこの国では古くから漁業を中心に栄え、賢明な国王のもと人々は長い間平和に暮らしていた。
ところが年老いた王の後継者を巡り宮中で内紛が絶えなくなった頃、この国を突如として「コブ禍」と呼ばれた災厄が襲った。
後に大陸全土で猛威を振るったこの怪異現象がなぜこの時期ツラで発生したかは不明であるが、記録によると、ことの発端はとある漁村でのことであった
その日ひとりの漁師が納屋に行ったところ壁にかけておいた筈の縄が床に落ちていた
そればかりか、あちこちに結び目がある
(おかしいな、昨日片付けたばかりなのに)
不思議に思った漁師は家人に尋ねたが誰も縄をいじってはいないと言う
彼は首をかしげながら結び目を解こうとしたが瘤のように固く解けない。
仕方がないので再び元の場所にかけ、念のため納屋の戸に鍵をかけておいた。
ところが翌日行ってみるとまた同じように床に落ち、しかも瘤がまた増えている
(誰かのいたずらかそれとも物盗りの仕業か?)
いよいよ不審に思った彼は納屋の中を調査しはじめた。
しかしどこにも何者かが侵入した形跡はない。
首を捻りつつ縄のところに戻った彼はギョッとして立ちすくんだ
縄だ
さっきの縄のその先端が、床から宙に大きく持ち上がり、彼の方を向いている
まるで蛇が鎌首を上げたかのようである。
目を丸くしていると縄は急にシャクトリムシのように伸縮し始めた
そうしてできた輪の中に縄の先がぐるりと入ったと思うや、真上にピンと直立し、また新しい結び目ができた。
漁師は家の中に駆け込んで家人を連れてきたがそのころは縄は動くのをやめており誰も信じてくれない。
幻でも見たのだろうと片付けられてしまった。

ところがそれからいく日も立たぬうちに国じゅうで似たような事件が起こり始めた。

そこらに置いていたひもや縄、糸あるいは網といったものが勝手に絡み合ったりあるいは結ばれてしまうのである
中には解けるものもあるが、大半は手の施しようがなく使いたければ適当なところで切るしかない
しかし切ってしまえば残りが使えるかといったらそうではなく、また同じように絡んだり結び目ができたりするのであった

この奇禍によりツタ国の産業は漁業を中心に大きな被害を受け、生活苦から暴動も起き始めた
それに乗じて怪しげな教祖や詐欺師も現れ、今回の災厄は日頃の不信心が起こしたこと、悔い改めて我が教団に入れば解呪の方法を教えようと入信を勧めたり、あるいはこの薬を振りかければたちどころに元通りになると言葉巧みにインチキ薬を売りつける者も出てきた。

見過ごせなくなった国王は家臣や学者を通じ原因の究明と対処に手を尽くしたが被害を止めることはできなかった。

奇しくも、後に「ツタの癒し手」と呼ばれたアメテュストスが活躍し始めたのはちょうどその頃であった。
 彼はツタ国の北の国境近くの街オンコスで雑貨商を営む父と母との間に生まれたが
幼少時に父親と兄を病気で亡くし母親の女手一つで育てられた。
幼い頃から無口でぼんやりしていることが多く母親はこの子は少し足りないのではないかと心配したという。
7歳になって街の学校に通いはじめたが教科書を音読するといつも途中で吃って読めなくなる。
そのことを同級生にからかわれ次第に学校を休むようになった。
ある日半月ぶりに登校したが、暗くなっても帰らない。
母親は隣人や友人たちにも頼んで近所を懸命に探したが見つからなかった。
行方不明になって一週間後、街から遠く離れた山道のほとりに倒れていたのを通りがかりの者が発見した。
 すぐに地元の医者のもとに担ぎ込まれたが身体中傷だらけでその上脱水症状を起こしていた
母親がつききりで世話をして一命は取り留めたものの、回復後何故そんなところに倒れていたのかきいても口をつぐみ決して答えようとしない。
 これ以降アメテュストスは学校に行かなくなり、母親が農作業の傍ら読み書きを教えるようになった。

彼が15歳になったある日のこと、母親が繕い物をしていると使っている糸が突然もじゃもじゃと絡まり始め、玉のようになった
苦労して解いてもすぐにまた絡まってしまう
野良仕事で疲れていた彼女は珍しく癇癪を起こし、糸玉を手に取るや壁に投げつけた
玉は跳ね返って読書中のアメテュストスの前にころころ転がった

彼はぽつりぽつりと音読していた本から顔を上げて糸玉を拾った
そうしてしばらく玉を調べていたが彼の右手が玉のどこかにスッと潜り込むとたちまち糸の端が床に落ちた
母親が驚いているとみるみる床の糸は長くなり玉は小さくなってついに糸だけになった
これはと驚いた母親がもう一つ渡すとそれもたちまち解いてしまい、もうないかと訊ねてくる。
 いつも厚ぼったく眠そうな目が珍しく輝いている。

こうして彼の家は禍から解放された
というのは彼が解いたひもや糸はかつてのように二度と自ら絡むことはなくなったからである。
それはまるで憑き物が落ちでもしたかのようであった。

母親がこのことを隣人に話すと、たちまち噂は広まりアメテュストスの元に依頼が来るようになった。
人々が見守る中、彼の太く丸っこい、一見器用には見えない指が素早く動いてごちゃごちゃになったもつれや硬いコブ状になった結び目をスルスルと解いていく
彼の評判は次第に広まり、彼は遠くの街や村にも出かけては解くようになった

やがて魔法の指をもつ彼の噂は都にも届いた
 王は彼を城に呼び寄せ、奇妙な鎖の塊をみせた
彼の背ほどもある大きな塊で金の鎖が幾重にも巻きつき絡み合っている
これらの鎖は長い間城の宝物庫の中に収めてあったものだがこの度の禍でこんなふうになってしまった
王は言った
同時にこの鎖のそばに保管されていた王冠がなくなった
王家に代々伝わる大切な王冠だ
おそらく、この鎖の中に埋もれているに違いない
どうかこれを解いて中の王冠を外に出してもらいたい
ただし王冠はもちろん鎖も傷つけてはならぬ 
成功したらお前の望みをなんでも叶えよう

彼は初め気乗りがしない風であったがその言葉を聞いてやる気になったらしい
塊を熱心に調べ始めた
ほどくにどのくらいかかるかと王がきくと
三日もあれば
と彼は答えた
ふむよかろう
王は彼のために城中に部屋を用意させ、アメテュストスはそこに塊と共に三日三晩閉じこもった
その間はろくに食事も取らず夜の間もずっと部屋の明かりは煌々としていた
 四日目の未明、王自ら呼びにきたが、内側から鍵がかかりいくら呼んでも返事がない。
埒が開かないので王は衛兵に体当たりで扉を破らせ部屋に入った
部屋は暗かったが、灯りで照らした途端、王は歓声を上げた
暗い部屋の床一面に長い金の鎖が何本も敷き詰めてあり、そこに疲れ果てたアメテュストスが大の字に眠っていた。
その横に宝石を散りばめた一頭の王冠がキラキラと灯りに輝いている。

目覚めた彼に王は言った
先の約束通りおまえの望みを叶えよう、言ってみるがいい
すると彼は珍しくすらすらと答えた
この災いは国外でも蔓延していると聞いた、是非解いて回りたい、ついてはそのための便宜を図ってほしい
 王は快諾し、彼に身分証明書と旅費それに一頭の馬を与えた。

こうしてアメテュストスは大陸中を旅して回った
いく先々で彼はいかに大陸の隅々までコブ禍が広がっているかを知った
禍を避けるため、至る所で男女問わず髪を切って坊主にした者を大勢見た。また逆に結び目だらけの髪で自慢そうに闊歩する者も見た
ある廃村では生い茂った蔓に家が丸ごと呑み込まれており、高所から突き出た風見鶏だけがここが家屋だったことを告げていた
また森では樹齢数千年にも及ぶ大樹の幹に太い蔓が幾重にも巻きつき締め付けてこれを枯死させていた

まだ全てが侵食を受けた訳ではない
彼は思った
しかしこのまま何もせねばいずれ大陸全体がこの禍に呑まれてしまうに違いない
彼はいよいよ熱心に仕事に励んだ

訪れた街や村で彼は身分の上下を問わず人々に同じように接し、貧しい者からは謝礼を受け取ろうとしなかった。集まった人々が珍しげに眺める中、複雑に絡まったひもや硬い結び目だらけになった縄、さらには髪の毛まで次々に解いてみせると皆目を丸くし笑顔になる。
彼はいつしかその笑顔を見るのが楽しみになっていた。

 旅の最後に彼は大陸の北西にある街テロスを訪れた
 その頃には彼の名は大陸中に知れ渡っていたので到着前には街の広場にはすでに民衆が大勢集まっていた
 アメテュストスは彼らの言葉を知らなかったので通訳を介して会話しながら早速仕事に取り掛かった。
 しかし量が多くまた長旅の疲れもあって夕暮れになっても終わらない。
 ついに明日続きをすることにしていったん宿に帰った。

 翌朝早く宿を出た彼は広場に行くとすぐ仕事を始め、全て終えた時は夕方になっていた。
宿へ帰ろうとして広場を横ぎっていた彼は一軒の露店の前でふと足を止めた。
店の奥に赤や青と言った色とりどりの紐がずらずらといくつもぶらさがっている。
どのひもも一端を同じ太い一本の紐で結ばれのれんのように垂れているが、途中で結び目をいくつもつくっている。
(これはひどい。すぐに解かないと)
彼は店主を呼んだがどこかに出かけて留守のようだ
それでしばらく店主の帰りを待ったが一向に現れない
とうとう痺れを切らして、彼はつかつかと店の奥に入って紐を取り床に腰を下ろすと、片っ端から結び目をほどき始めた
そこへ店の主人が戻ってきた。
彼を見た途端なにやら叫びながらかけより、彼の手からひもを取り上げようとした
ー何をする
すっかり夢中になっていたアメテュストスが怒ってその腕を振り解くと、ちょうど突き飛ばした格好になり店主は後ろにばったり尻もちをついた
思わずカッとなった彼はアメテュストスにつかみかかり、ひもを奪おうとしたがアメテュストスも奪われまいと必死に抵抗する。
取っ組み合っているうち店の主人はたまたまそばに落ちていた金槌で彼を殴打し死なせてしまった

後に判明したところではアメテュストスが解いていたのは店の帳簿であった。
文字のないこの国では並べたひもの色や結び目の位置で数字を表していたのである。

アメテュストスの死後まもなく長年にわたる災厄もついに終息した
そうして人々は幾重にも絡まった紐や硬い結び目がいかに長い間自分達を苦しめていたかを今更のように知り、彼の死を悼んだ。

彼の墓は故郷の街が一望の下に見渡せる丘の上に建てられた。
長年の風雨にさらされたが、そこに刻まれた文字は今なおはっきり読むことができる。
「数多の土地を巡り、数多の固き瘤を解いた人ここに眠る」

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