【現代語訳】幸田露伴「運命」51

https://priceless01.hatenablog.com/  より転載。
【訳】

魏国公・徐輝祖は投獄されたが屈せず、武臣はみな帰服したのに輝祖は最後まで永楽帝を戴こうとしなかった。帝は大いに怒ったが元勲であり国舅なので死刑にすることはできず、爵を取り上げて私邸に幽閉するだけとなった。輝祖は建国の大功臣であった中山王・徐達の子であり雄毅誠実、父の達のような気骨のある人であった。斉眉山の戦いで燕を大敗させ、その前後の戦いにおいても常に良将の名を辱めることはなかった。彼の姉は燕王の妃であり、その弟の増寿は南京にいて常に燕のために情報を流していたが、輝祖はひとり毅然として正しきに拠った。端厳な性格や敬虔の行為は良将とのみ言うだけには留まらない、有道の君子というべきであろう。
 兵部尚書だった鉄鉉は捕らえられて南京に連行された。宮廷で背中を向けて、帝と顔を合わせようとせず、正言して屈することなく、ついに磔になった。処刑されるに至ってなお罵り、遺体は釜茹でにされた。
 参軍断事の高巍はかつて言った、忠に死し孝に死ぬのは私の願いであると。彼は南京が陥落すると駅舎で首を吊って死んだ。
 礼部尚書・陳廸、刑部尚書・暴昭、礼部侍郎・黄観、蘇州知府・姚善、翰林・修譚、王叔英、翰林・王艮、淅江按察使・王良、兵部郎中・譚冀、御史・曾鳳韶、谷府長史・劉璟、その他〜人、ある者は屈せずに殺され、またある者は自殺して忠義を全うした。斉泰と黄子澄は捕らえられ屈せず死んだ。
 右副都御史・練子寧が捕縛され宮門に来た。
言が不遜であった。帝は非常に怒り命令してその舌を斬らせて言った、私は周公が成王を補佐したのに倣おうとしただけだと。子寧は舌からの血でもって手で地に成王安在の四字を大書した。帝はますます怒って彼を磔にし、彼の一族は死刑になって屍を市中にさらされ、その数百五十一人に及んだ。
 左僉都御史の景清は、偽って帰服したかのように見せかけ、いつも鋭い剣を衣服に隠し持ち、帝に報いようとしていた。
 八月十五日、清は赤色の服を着て朝見した。これより前に霊台が奏した、文曲星帝座を犯す急にして色赤しと。帝は景清が一人だけ赤色の服を着ているのを見て怪しいと疑った。朝見が終わった。清は勇んで天子を殺そうとした。帝はそばの者に命令してこれを収めさせ所持していた剣を取り上げた。景清は志が遂げられなかったのを知って、立ち上がると大いに罵った。〜がその歯を抉ったがなお罵り、口に含んだ血を直ちに御袍に吹きつけた。帝は命じてその皮を剥ぎ、長安門に繋ぎ、骨肉を砕磔した。景清は帝の夢の中に入って剣をもって追いかけ玉座をめぐった。帝は目覚めると景清の一族を殺し、村里も廃墟となった。
 戸部侍郎・卓敬が捕らえられた。帝はいった、おまえはこれまで諸王を裁抑してきた。今度は私に仕えないか。敬はいった、先帝がもし私の忠告を聴いていたなら殿下はここにいることができたでしょうか。帝は怒って殺したくなった。
 しかしその才能を憐れんで投獄し、彼を諷するに管仲・魏徴の事を述べた。帝は卓敬を配下にする腹づもりであった。しかし卓敬はすすり泣くばかりで聞きいれようようとはしなかった。
 帝はやはり殺すに忍びなかった。
 すると道衍が言った、虎を残していては後顧の憂いを残すだけです。
 帝はついに死刑にすることにした。敬は死に臨んで、従容として嘆じて言った、わが一族に変が及ぼうに自分にはなんの計画もなかった、私には死んでも余罪があると。神色自若としていた。死んで日が経っても顔を見るとまだ生きているようであった。三族を誅し、家を没収したが、家にはただ書籍数巻があるだけであった。
 卓敬と道衍はもとより不和であったが、帝に方孝孺を殺さないようにした道衍が今度は帝に卓敬を殺させようとした。卓敬に実務の才能があってうわべだけの者ではないことを知っていたからであろう。
 建文の初め、燕のことを心配した諸臣は各自意見を立て上奏した。その中でも卓敬の意見は一番切実であった。もし卓敬の言が用いれられていれば燕王は志を遂げられなかった。万暦になって御史・屠叔方が奏して祠を立てた。

卓敬の著した卓氏遺書五十巻には、私はまだ眼を通したことがないが、管仲と魏徴の事をもって諷せられた人であるからその書は必ず読むべきところがあるだろう。 

※訳文中の〜は不明箇所。

【原文】

魏国公徐輝祖、獄に下さるれども屈せず、諸武臣皆帰附すれども、輝祖始終帝を戴くの意無し。帝大に怒れども、元勲国舅たるを以て誅する能わず、爵を削って之を私第に幽するのみ。輝祖は開国の大功臣たる中山王徐達の子にして、雄毅誠実、父達の風骨あり。斉眉山の戦、大に燕兵を破り、前後数戦、毎に良将の名を辱めず。其姉は即ち燕王の妃にして、其弟増寿は京師に在りて常に燕の為に国情を輸せるも、輝祖独り毅然として正しきに拠る。端厳の性格、敬虔の行為、良将とのみ云わんや、有道の君子というべきなり。 

兵部尚書鉄鉉、執えられて京に至る。廷中に背立して、帝に対わず、正言して屈せず、遂に寸磔せらる。死に至りて猶罵るを以て、大鑊に油熬せらるゝに至る。参軍断事高巍、かつて曰く、忠に死し孝に死するは、臣の願なりと。京城破れて、駅舎に縊死す。礼部尚書陳廸、刑部尚書暴昭、礼部侍郎黄観、蘇州知府姚善、翰林修譚、王叔英、翰林王艮、淅江按察使王良、兵部郎中譚冀、御史曾鳳韶、谷府長史劉璟、其他数十百人、或は屈せずして殺され、或は自死して義を全くす。斉泰、黄子澄、皆執えられ、屈せずして死す。

右副都御史練子寧、縛されて闕に至る。語不遜なり。帝大に怒って、命じて其舌を断らしめ、曰く、吾周公の成王を輔くるに傚わんと欲するのみと。子寧手をもて舌血を探り、地上に、成王安在の四字を大書す。帝益怒りて之を磔殺し、宗族棄市せらるゝ者、一百五十一人なり。

左僉都御史景清、詭りて帰附し、恒に利剣を衣中に伏せて、帝に報いんとす。八月望日、清緋衣して入る。是より先に霊台奏す、文曲星帝座を犯す急にして色赤しと。是に於て清の独り緋を衣るを見て之を疑う。朝畢る。清奮躍して駕を犯さんとす。帝左右に命じて之を収めしむ。剣を得たり。清志の遂ぐべからざるを知り、植立して大に罵る。衆其歯を抉す。且抉せられて且罵り、血を含んで直に御袍に噀く。乃ち命じて其皮を剥ぎ、長安門に繋ぎ、骨肉を砕磔す。清帝の夢に入って剣を執って追いて御座を繞る。帝覚めて、清の族を赤し郷を籍す。村里も墟となるに至る。 

戸部侍郎卓敬執えらる。帝曰く、爾前日諸王を裁抑す、今復我に臣たらざらんかと。敬曰く、先帝若し敬が言に依りたまわば、殿下豈此に至るを得たまわんやと。帝怒りて之を殺さんと欲す。而も其才を憐みて獄に繋ぎ、諷するに管仲・魏徴の事を以てす。帝の意、敬を用いんとする也。敬たゞ涕泣して可かず。帝猶殺すに忍びず。道衍白す、虎を養うは患を遺すのみと。帝の意遂に決す。敬刑せらるゝに臨みて、従容として嘆じて曰く、変宗親に起り、略経画無し、敬死して余罪ありと。神色自若たり。死して経宿して、面猶生けるが如し。三族を誅し、其家を没するに、家たゞ図書数巻のみ。卓敬と道衍と、故より隙ありしと雖も、帝をして方孝孺を殺さゞらしめんとしたりし道衍にして、帝をして敬を殺さしめんとす。敬の実用の才ありて浮文の人にあらざるを看るべし。建文の初に当りて、燕を憂うるの諸臣、各意見を立て奏疏を上る。中に就て敬の言最も実に切なり。敬の言にして用いらるれば、燕王蓋し志を得ざるのみ。万暦に至りて、御史屠叔方奏して敬の墓を表し祠を立つ。敬の著すところ、卓氏遺書五十巻、予未だ目を寓せずと雖も、管仲魏徴の事を以て諷せられしの人、其の書必ず観る可きあらん。

 

【メモ】

「靖難の変後,建文帝側近の重臣とその家族にとられた一族誅滅の処置は,〈永楽の瓜蔓抄(つるまくり)〉とよばれ,後世から残虐ぶりを非難されている。」(平凡社・世界大百科事典より)

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