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妄想旅 <12> 漠 然

前稿<11>で、活字メディア(主に雑誌の評論記事)でモダン・ガールがどのように取り扱われていたのか、概観してみた。
その結果、以下のような感想を抱くに至った。

以下、前稿記事にコメント下さったぺれぴちさんへの私の返信である。

近代を迎えた当時、様々な立場の人達が、その様々な立ち位置で(迎えたはいいけれど、近代って結局何?)とモヤモヤしている所に、モダンガールという現象があらわれ、皆が(これだ!)と群がっていった・・・

”結局今ってどういう時代なの?”という時代の気分を論客達が言い表すのに、モダン・ガールが非常に(言い方が悪いが)使い勝手の良い現象だった、という事なのではないかと思った次第である。

従って、メディアで取り扱われたモダンガールと実際のモダンガールは全くの別物であって、批判の対象とされ、軽蔑の意を込めて用いられたり、否定的な見解の対象とされたモダンガールは、メディアで取り扱われているモダンガールという現象であって、それは実際のモダンガール達を言い表しているとは(部分的に的を射ている所はあっても)言い難い、というのが私の見解だ。

前稿で、モダンガールの名付け親と定義した北澤秀一氏は、大正13年(1924年)雑誌『女性』に寄稿された「モダーン・ガール」という評論で、”近代的女性”をモダンガールと直訳しているだけで、後の論客達によるモダンガール論や小説などで描かれるモダンガール像と異なり、服装や髪型といった外的な要因を考慮していない。

また、モダンガールは未婚女性とされる事が多かったのに対し、既婚女性も含むと明記し、近代性を有するなら既婚女性をも含むすべての女性を指す、とされ、職業についているか否かは問わないが、一般大衆から出てくるモダンガールの大部分は何かしらの手段によって経済的に自立していると解説されている。

そして、モダンガールが世間から否定評価を受けている現実を窺わせ、世間が、教養をもたない階級の中にモダンガールに似たような存在を見つけ出すであろうことを予測しつつ、これがモダンガールの本質であると認知してはならないと言われている。

「モダーン・ガールがゆかしさを失って、表現的になつた半面には、(中略)浅い奥行を暴露してゐる醜さはあるかも知れぬ。」

北澤秀一氏 雑誌『女性』大正13年8月号「モダーン・ガール」より

しかし北澤氏の記事を読むと、モダンガールに問題があるのではなく、男の役割だった事を彼女らが担う事に反発する社会の方に問題がある、と考えていると察せられる。

解決するには、「近代文明の生活に与へる機械的便利」(北澤氏はこれをモダーンコンビニエンスと言っている)が社会に浸透する事、と考えており、それによって家庭から解放された女性が経済的にも独立を果たし、精神的にも自立した真のモダンガールが誕生する、と展望していた。

だが現象としてのモダンガールは北村氏の展望とは逆の道を辿る事になる。

その理由の一つとして、モダンガールというイメージが多様化し過ぎてしまった結果、その反動でイメージが単純化された事、イメージを単純化させたいという時代の集団意識による欲求が、一定以上の熱量を持った事にあると私は思う。

モダンガールと同時期に、もう一つの、女性が時代という舞台の中心へと踊り出る現象があり、その現象の担い手である女性達はこう呼ばれた。
職業婦人

新しい職業である事務員、タイピスト、電話交換手、バスガイド、売り子、ファッションデザイナー、女優・・・1920年代の東京に咲いた花である彼女たちは、職業の後ろに「ガール」をつけて呼ばれた。

「ガール」の時代と言ってもいいほど、この時代の花形職業にはその職業名の後ろにガールがついた。

デパートの案内ガールエレベーター・ガールショップ・ガール(売り子)、マネキン・ガール(ファッションモデル)、ガソリン・ガール(ガソリンスタンドの従業員)、バスガールエア・ガール(キャビン・アテンダント)、円タク・ガール(円タクの運転手または助手)、マリン・ガール(観光船の案内嬢)、ワンサ・ガール(その他大勢の踊り子)、etc・・。

(ガソリン・ガールて・・・)

外で働くのは男性の役割であると考えられていたこの時代、女性が職業につくことは異例であり、上流階級の人々は外で働く女性に侮蔑の眼差しを送るという空気もあったようだ。

そして、女性が社会に進出することで、男女が同じ空間の中で働くこととなり、当時はそれが異常と捉えられた。

例えば、教育現場において、男子と女子の児童は別の空間で勉学する、別学が当たり前だった。そういった慣習を逆転させたことで、男女峻別の前提が崩壊した。

この影響を受けて、”男女関係の風紀が乱れた”という論説も見られる。

さらに、ガールとつく名の職業は、性風俗産業の中にも新しく登場するようになっていた。
キス・ガール<キスを売る女性>、ステッキ・ガール<ステッキのように男性と同伴する女性>など)

(ステッキ・ガールて・・・いや、ええかもわからんな・・・)

特権の人(※筆者注:上流階級の人)で暗い火の下に日々と化粧をした人影を指さして職業婦人よとそでを引き合っていったりします

三宅花團氏「婦人とご職業」(雑誌『女性』大正13年4月)より

偏った解釈となるかもしれないが、上記引用文では、”モダンガール=職業婦人 ⊃ 体を原資とする女性の職業”は含むという意)とも読み取れる。

様々な論者によって論じられたモダンガールだが、論者によって職業婦人もモダンガールであると論を張る方もいれば、分けて考えるべきである、という方もいる。

さらにモダンガール現象は、政治的流れとも無縁ではいられなかった。

女性参政権の獲得年次はソビエト1917年、ドイツ1918年、アメリカ1920年、イギリス1928年である。
しかし第二次世界大戦後やっと女性参政権が認められた日本では、大正デモクラシーの時期は平塚らいてふや市川房枝らによる新婦人協会(1919年大正8年設立)や、ガントレット恒子らによる日本婦人参政権協会(1921年大正10年設立)が盛んに婦人参政権運動を展開し、これらが合同して婦人参政権獲得期成同盟(1924年大正13年)が設立された時代でもあった。

荒木詳二氏の2007年の論文 
1920年代の「新しい女たち」について -「モダンガール」の日独比較 より

こうした社会活動を担う女性達も、モダンガールに含める論者の方もいた。

モダンガールという現象がこのように多様化していったのは、モダンガールというイメージが漠然としていたからではないだろうか。

明確な区別というものがなく、モダンガールを代表する人物もいなかった。

人々の妄想の中やメディア、小説や芝居でのイメージが独り歩きし、そのイメージの漠然さから容易に悪いレッテルが貼りやすく、悪印象が纏わりつきやすかったともいえる。

そしてイメージが多様化するあまり、混乱してくると(結局何なん?モダンガールて?)という感情が高まっていく。

水は低きに流れる。

やがてモダンガールは、同一視されていた職業婦人からも、”一緒にしないで!”と言われたかわからないが、時代を下ると共にそのイメージ像が書き手によって人為的に書き換えられ、職業婦人と峻別されていった。

単純化は最も楽で貼りやすいレッテルを、貼りやすくさせる状勢となった事で現実化し、現象としてのモダンガールというイメージは転落していく。

そのレッテルを貼りやすくさせる状勢が、経済不況(戦後恐慌)関東大震災である。

次回(不況と震災・・やっと書ける!)、続きを。

お時間ある方は、またお付き合い下さい。

最後までお読み頂き、ありがとうございました。

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