見出し画像

うつから得たこと ~過去の自分にマルをつける③~

この記事は948文字です。


今回は、「黒歴史を認める」です。

苦痛な作業ですが、過去のことはもう起きません。

黒歴史があったおかげで大成した方もたくさんいます。


「臆病な自尊心と尊大な羞恥心」

「黒歴史」という言葉とセットで思い出すのは

中島敦『山月記』の「臆病な自尊心と尊大な羞恥心」。

現代文の授業でこの作品に触れた方も多いでしょう。


プライドが高いけどビビりで意識高い系の李徴(りちょう)。

「臆病な自尊心と尊大な羞恥心」が自分を虎にさせたのを自覚しつつも、

詩人として自分の名を後世に残す執着は捨てられず。

本当に虎になってしまった。

ぶっきらぼうに説明するとこんな感じです。


かつての友・袁傪(えんさん)は李徴の詩に

才能は認めつつ、何か欠けているところがあると感じます。

「臆病な自尊心と尊大な羞恥心」を見抜いたのかもしれません。



救い

戒めのような悲しい話だなと思ったものですが、

李徴が完全に虎になってしまう最後の瞬間まで

「臆病な自尊心と尊大な羞恥心」に支配され続けたとすると、

これを認め、袁傪に告白した意義がなくなってしまうので、

どこかに救いが欲しいところです。


虎になりつつあったが、わずかに残る人間の記憶と良心に従い、

袁傪を襲わずに済んだこと。

自分の「臆病な自尊心と尊大な羞恥心」の存在を認め、

友に告白できたこと。

さらに妻子の行く末を案じ、その友に助けを乞うたこと。

これは李徴が「臆病な自尊心と尊大な羞恥心」だけの人間ではなかった

ということでしょう。


最後、李徴は完全に虎になってしまうようですが、

せめて人を襲う虎になっていなければいいなと思っていました。


支配される前にあえて黒歴史にしてしまう

やっぱり、人が虎になるなんて懲罰なのかもしれません。

支配される前に自分の手で黒歴史にでも変えてやる方が浮かばれます。


うつで苦しんでいたときに、

自分のやらかした体験や、恥ずかしいふるまい、

李徴同様「臆病な自尊心と尊大な羞恥心」の存在に気づいて

なんて愚かなんだと、ますます苦しくなることがありました。

支配されるまで追いつめられる必要はないと思うのですが、

時には、恥ずかしいとか痛い経験と向き合うのも必要かもしれません。


noteも黒歴史になるかもしれませんが、

私の一部としてマルをつけたいです。


お読みくださりありがとうございました。



















この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?