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でもまだストーリーの中なんですって話


まるで引き寄せられるように


非二元や悟りにたどり着く場合に、一旦スピリチュアルを経過する人が多いと思います。

私の場合もそうでした。

会社勤務でめいいっぱい頑張りすぎて、もう何も楽しくもなく、何を見ても何も感じなくなったころ、もう本当に生きる意味もわからなくなったころでした。

思い切って会社を辞めてみたのはいいんだけど、長年の我慢と自己犠牲の癖がなかなか抜けなくて(ホメオスタシス)、返って苦しい状態になり、いよいよなんで生きているのかもわからなくなっていました。

そんなある日、異変が起こりました。

電車に乗っていたら、突然のものすごい恐怖心に襲われたんです。

その恐怖たるや、なんて表現すればいいのか。闇。

真っ黒いドロドロした闇が降りてきて、その中に突然囚われてしまったかのよう。あらゆるネガティブな感情と思考をまとめたような闇にまとわりつかれ、気持ちが悪いし孤独だし寒いし不安だしで、心の中で神様助けて!と何度も唱えました。背筋が凍るって言いますが、本当にそんな感じ。本当に怖かった。

その後、恐怖心が発作のようにちょいちょい現れては少し治る、という状態が何ヶ月も続き、これはさすが何か変だと思うようになりました…。ちょっと鬱っぽい感じは自覚していましたが、それだけではないあの凍りつく感じ。

その頃の私ははスピリチュアルの知識が古かったもんで、絶対に悪霊か何かにとり憑かれたのかと思って盛り塩とかしましたねえ。

とにかく恐怖で動けないし、思考停止状態になるし、ありとあらゆるネガティブな闇の感情が怒涛のごとく押しよせてくるので、ひどい時にはベッドからも起きられない日も何度もありました。

とにかくこのメンタルをどうにかしなくては、とネットでひたすら検索してました。

生き霊、悪霊などの霊的なことから調べました。本当にお祓いした方がいいのかとも思いました。盛り塩のほかに酒風呂とかも入りました。

でも、途中でいや、こういう非科学的なことじゃないんだー(←けっこう頭硬い)ともう一度別のアプローチで再検索。

もう少しこう、メンタル的なことなんだわ、と。

そのうちに守護霊とかハイヤーセルフとかいう言葉に出会って、前世や魂やチャネリングメッセージにたどり着きました。

魂はあると思いました。心よりもっと奥の方に。そしてそれこそが人間個人の本体であるはず、と。心の闇をとり除くメソッドとか誘導瞑想がいろいろ出てきて、少しづつ眠ることができるようになってきました。

ただ、前世となるとよくわかりませんでした。あるような気もするし、なんとなくピンとこない感じもある。

同時に引き寄せの法則や波動の法則に興味を持ちはじめました。

バシャールやエイブラハムも駆け足ですが、一通り。

実は心を壊す数年まえから、心理学や哲学や宗教学には興味があったので、時々本を買っては読んでみたりしてました。そういえば般若心経も。

ただ哲学の本と般若心経は自分でも、「なんで今こんな難解なもの読んでるんだろう、さっぱりわからん」と当時は思いながら読んでました。

今、考えると不思議なんですが、この硬い頭が柔らかくなるように、スピリチュアルなことや目に見えないエネルギーや真理探求について、段階的に引き寄せられていったように思います。

ある時にはシンクロが起きたり、ある時にはなぞのメッセージが降りてきたり、その都度、私の理解度にあわせて、ちゃんと必要な情報がくるんです。

それは本であったり、ネットの記事や動画であったり、人の口からであったり、突然のひらめきであったり、いろいろです。

思考だらけでガチガチに小さく硬くなっていた心を、少しづつ溶かしていくような感じで。



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不思議なシンクロが起こりはじめる



精神的にかなりきつい状態でした。考えつくことは全てネガティブ。もう苦しくて苦しくて。たぶん、無意識に「この状態を抜けだしたい」と願っていたのでしょうね。

不思議なシンクロやインスピレーションけっこうありました。

前にも書いたけど、突然、右上あたりからメッセージっぽいインスピレーションがきたり。

もう本当に(人生に)疲れてうつむきながら歩いていたら、右上から「自ら光れ」というメッセージ?がきて、キョロキョロしましたねえ。もちろん誰もいないの。

気になるけどその時は、どう調べていいのかわからずそのまま「自ら光れ」で検索しているうちに、ライトワーカーという言葉に出会ってピンときました。

よくわからないけど宇宙由来の魂のことだな、とわかって。それで今度は魂について調べたりして。次に魂と宇宙の関係。

そのうちに量子力学とか相対性理論とか。これも実は本棚に本があったりして。いつ買ったのか忘れてる感じで埃をかぶって(笑)

宇宙空間とか惑星に興味が移ったんでしょうね。もともと映画もマトリックスやインターステラーやメッセージ、クラウドアトラスやインセプションなんていう時空間ものや次元ものが好きでしたねえ。

そうかと思えばなぜか西洋占星術講座を食い入るようにはまってみたり。なんだかものすごい勢いで迷走しまくってました。

ハウスや天体の読み方を学んでいるうちに、少しづつまたメンタル的な何か理解が進んでいくようでしたねえ。このまま占い師を目指そうかと思ったくらい(笑)

タロットカードが二回連続で同じ結果が出たこともありました。やっぱり見えない何かの力のようなものは働いているなと実感しました。

その後に、また右上からのメッセージがきました。それは「常識を疑え」でした。

どんな?どんなのが常識なんだろう?

確かにそれまでの私は、社会の枠組の中で「こうあらねばならない」「こうであるべき」「それらしい態度」でいようと思っていました。本当はそんなキャラじゃないのに、むりやりにまるでテレビドラマに出てくるような、キャリアウーマンっぽい女性になろうとしていました。大人だし、ってことで。

ちょっとしたルールや決まりや、暗黙の掟のようなもの、自分の思いこみや観念を疑ってみました。

確かにその中には、もう不要なルールや、ただ慣習と化して今やだれも意味をわかっていない決まりがあるなあということに気づきました。

さらにパンデミックや米国大統領の選挙の不正や、Qアノンや陰謀論など、これまで「そんなのは漫画か映画の中の話」と思っていたことが急に明るみに出て、現実になっていることに驚きました。

自分の頭の中で、勝手にフィルターをかけて「それは事実ではない」とか「これは必要なものだから」って世界を見ていたんだなあ、と思いました。

でも、相変わらず気持ちはふさぎこんで苦しいまま。

本当にもう、この世界から消えてしまいたいと思い、人と話をするのも辛くなってきた頃、何故か姉が「これ読んでみたら」と『神との対話』を貸してくれました。

姉が『神との対話』シリーズ3冊持っていること自体、姉のタイプからして不自然というか不思議というか。でもなぜか持っていて、貸してくれました。

まったく予期せずに手元に『神との対話』がありました。とにかくそれを読み始めました。

神にもすがる思いで。



宇宙に善悪はない


まだ、ようやく魂のブループリントとか、ハイヤーセルフとか漠然とあるんだなってくらいの頭で読んでいたので、

宇宙に善悪はない」という言葉を読んだとき、ものすごいショックでしたねえ。だってこれ、神との対話って本でしょう?

人間は善なる行いをすれば、神様のような見えない力に導かれるんじゃないの?ネガティブな感情を抱いていると、いつかそれが自分に帰って来るんじゃないの?善は良くて、悪は悪いでしょうよ?違うの?

それと「宇宙に時間はない」ってところもびっくりしましたね。

じゃ、輪廻転生説もなくなっちゃうから、前世とか守護霊とか魂とか宇宙由来の魂とかどうなるのよ?

まあ、驚きましたねえ。

なかなか理解できず、もちろん納得もできなかったけど「そうなのか。そうだったのか」とうすうす思えるようになったころ、また右上からのメッセージで

「真逆だ」って。

これ以上、何がどう真逆に解釈すればいいのかわからず。

時間の概念については、その後少しして不意に「あ、そうかも」と理解できましたが。これは気づきっぽい感じでした。

善悪もなく、時間も輪廻も魂もないなんて、それまで疑ったこともないのでもんどり打ちました。

ある日、本当に泣きながら目を覚まして、私はなんのためにこの地球に生まれてきたんだろう、と考えていたら、自分の頭の中に大量の思考と傍観者のような人がいるのに気づきました。

これなに?だれ?チャネリング?なになに?

よく分からないままに、おそるおそるその傍観者さんに尋ねてみると「(私の中の)エネルギーが詰まっている。シャワーを流しっぱなしにするみたいにずっと流しておけばいい。」みたいなことを言っていました。

言っていたのかそう感じたのかはわかりませんが、そう理解できました。

あと、ビジョンのような感じで「思考の向こう側が本物だよ」みたいなことも言っていましたねえ。意味がよく分からない。分からないけど、なんか分かる。

そして、その気づきなのか一瞥体験の種類なのかよくわからない体験のあと

怒涛のようにその意味が分かる動画や本が次々に現れました。この間まで、あれだけいろいろ検索してもそんな情報なんて見つけられなかったのに、急に全く知らない人の本や動画で、あのメッセージのわかりやすい内容が出現するんです。

あれはエゴのことを言っていたんだな、と。そして詰まっているエネルギーは思考のことじゃないだろうか。いつまでも過去に捉われて、将来を不安がって。同じ思考が行ったり来たりして流れていない、と言いたかったんじゃないのかな、あの傍観者さんは。そう思いました。

その怒涛を皮切りに、動画で勧められた本をとりよせたり、Kindleでダウンロードしたり、自ら本屋に出向いたりして読みあさりました。

気づくと自我やエゴについて集中して調べてました。



そしたらいろいろ出現するもんです



「神との対話」を姉から渡されたときにも驚いたけど、そういうシンクロの話を友人にしたら驚きもせずに聞いてくれて、彼女に起こった一瞥体験の話しも聞かせてくれました。意外と身近にいたんですね。

さらに彼女は気持ちが安定していないなら、グラウンディングした方がいいかも、と教えてくれました。

もし近くに公園とかがあれば、公園の木のそばに行ってエネルギーを分けてもらうといいよ、とアドバイスしてくれたので、早速、近所の少し広い公園に行きました。自然のエネルギーに同調する感じで。

その公園も木があるといえばあるんだけど、もう少し森か林のようにたくさん木が生えている場所はないかな、と地図検索をしていたんですが、どう検索しても徒歩圏内で一番大きいのはその公園だけ。

本当はもっと、高い木の中の木漏れ日を浴びながら、深呼吸したいんだけどなあ、と思っていました。

ある日、徒歩10分ほどの場所にある滅多に行かない図書館に本を探しに行った帰り道に、ふと目線をずらしたら、道路の向こうにグラウンドらしきが見えるんです。なんとなく、吸い寄せられるように道路を渡ってそのグラウンドに行ってみたら。

なんと、そのグラウンドは森の中の公園だったんです。けっこう広い公園で、しかも高い木がたくさん生えていて、キラキラと木漏れ日が綺麗で、小さな丘の上にも森があって。ベンチもたくさんあって。

あれだけ検索しても出てこなかったのに、かなり理想通りの森の公園が、突如現れてびっくりしました。

その公園で目を閉じて深呼吸していると急に「禅」について知りたくなりました。でも図書館に戻るのも面倒で、とりあえずそのまま家に帰る途中、寄り道したスーパーの、その日の催事ワゴンセールが本で、なぜかその中に「禅」の本があったので買いました。普段はお茶碗とかのワゴンなのに。

そのころは、ちらっと「ああ、こんなのあるといいな」と思うものがあると、急に人からもらったり、まさか出品されてないだろうな、と検索したメルカリで超破格で買えたり、ちょこちょこ小さな引き寄せか、引き寄せられみたいなことがありました。

エンジェルナンバーもやたら見かけましたし、意味があるかどうかわかりませんが、さすがに「神様、ありがとう!」と感謝しましたねえ。



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そして非二元のメッセージにたどり着く


グラウンディングと瞑想のために、禅の本を買ったんですが、それはどちらかというと禅寺の写真集のような本でした。

とにかく自然に囲まれたお寺の様子が綺麗で。写真の中にお寺の静けさが写りこんでいるかのように、シーンと静かな風景に、うっとり見惚れていました。

そうこうしながらも、相変わらずスピリチュアルな発信動画を見ていましたが、その頃よく上がってきていたのが、銀河の〇〇連合とかなんとか評議会とか、SF映画の世界のようなメッセージとか予言でした。

でもいちおう見てました。あとは有名な方がゲートが閉じるとか閉じないとか、目覚めると決めるとか統合すべしとか、わかるようなわからないような。でもピンとは来ないんです、どうも知りたいことではなさそうです。

宇宙語にいたっては、見えない高次元の相手とチャネリングしてるんだからわざわざ話さなくても普通に翻訳するだけでいいわけですよね。やっぱりファンタジーですね。けっこう好きだけど。

でも宇宙人はいるでしょう、もちろん。創世記の初めの方は、宇宙からの来訪者と考えると辻褄が合うと思ってましたから。シュメール文明のアヌンナキが人類を創ったという古代宇宙飛行士説も信憑性を感じられます。

でもああいうピポパポした感じの宇宙語はちょっとね。なんか違うかなと思います。あくまで個人的主観ですが。

まあ、スピリチュアル系を猛スピードで喰らいつくしたのか、もう知りたいことが出てこなくなってました。

もっとエゴのことや、宇宙の神秘や真理について知りたいのに、もうネットで検索も限界なのだろうか、と思ったそんなときに

また不意に、本当に不意に出てきました。

むしろ手元が滑ったかのように「え、どうして私これ見てるんだっけ?」って感じで勝手にじゅんころさんの動画がはじまってました。次に大和田菜穂さん。初めは2人ともなにを言っているのかよく分からなかったんですが、目が離せませんでした。

しばらく見てたら急に「あ、これは般若心経のことを言っているんじゃないか!?」と思うに至りました。

以前、本を買って読んでもさっぱり分からなかったのに、急にそんな気がしたんです。慌てて、また般若心経の解説本を読んだら、以前より少し意味が分かる。これは本当のことだったんだ!お釈迦さまの方便ではなかったんだ、と思いました。

しかも、以前に哲学にはまっていた頃、スピノザの本を買っていました。買ったはいいけど超難解で解説本読んでもよくわからなかったのに、これも直感的に「このことだったのか!」と思いました。

他の方の動画もいろいろ見てみました。他の方も、言い方や表現は多少違えど同じことを言っている。一貫性があるんです。そういう意味ではスピリチュアルは周波数ちがいで観る人によってイメージや解釈が異なるので、一貫性がなくブレてるようにも感じます。さしている方向はおそらく同じだと思うけど??(中には完全に違うなとおもうこともあります)

でもワクワクとリラックスは一貫しているのかな。どうだろう。

それは置いといて、

その当時も、頭の中の思考がうるさくて、以前ほど激しくなくてもときどき発作のように恐怖と不安が襲ってくる状態で、頭の霧が晴れることがありませんでした。モヤモヤしていて、思考がいつもグルグル反芻していて。

でも、その初めて非二元について知った日の翌朝、目が覚めたら「あれ?」と思うことがありました。

いつものグルグルした思考が消えていたんです。モヤモヤしたあの霧がない。

でも晴れやか、というわけではないんです。何も考えないわけでもない。ちゃんと思考はある。

非二元のメッセンジャーさんたちの言うような「私はいない」わけではないんです。ちゃんと「私」はいる。

でも、いつものようにバックグラウンドにノイズのようにあったネガティブな思考や恐怖感がないんですよね。

「ない!いつものノイズがない!」と思いました。あのどんより憂鬱なノイズがない状態は本当に久しぶりで、逆にノイズのない状態があること自体を忘れていました。

ただ直感的に、そんなに長く続かないかもしれないとは思いました。案の定、1日半くらいで、またあのどんよりした感じが戻ってきちゃいました。

ただ、素直にメッセンジャーさんたちのエネルギーに触れたせいか、いっときでも「思考ノイズ」のない状態になったことで、ますます確信しました。

色即是空。空即是色。

知りたかったことはこれだ。私が、人間が忘れていたこと。

いつも何かが変だ、何かが違う、と違和感を覚えながらも、それが一体何なのかわからなかったこと。

以前、頭の中の傍観者さんが言っていたこと。思考の向こう側。

いろいろ辻褄があってくる。


ストーリーを忘れていく感じ


あれから約半年と少し。凝り性なタチなので、なんでも探求し始めると、そればかり考えてしまう。

しかし今回ばかりは、考えれば考えるほど遠のくという。

「私」自身が「思考」なんだから、どれだけ考えたって分かるわけではない。でも、気づくとまた調べたり情報集めしているんですよね。

気づきの体験は、人によっては小さな一瞥体験をくり返したり、大きな一瞥で気づきがきたり、あるいはじわじわと溶けていく人もいるそうです。

私は当初、頭がカチコチになっていたので、ここに至るまでに(と言っても探求のスタート地点)随分とヒントを投げかけられました。

自分の納得のいく理解の仕方で、ちゃんと道標ができていました。これもストーリーかも知れませんが、現象世界は波動でできているので、引き寄せ(引き寄せられ?)のようなものはどうやらあります。それも確信しています。

なぜなら、私たち人間も宇宙の現象なんですから。

ときどき襲ってきていたあの闇も、今はだいぶなくなってきました。一度消えてまた戻っていたノイズもそういえばかなり薄くなりました。

探求はじまったばかりの数ヶ月は、他の人のストーリーの方が気になってました。

「この人、私に似た状況だ、私も似たような経験してる、だったらもしかしたら私にも分かるかも」みたいに。「私」が「私がいない」を経験したがるんです。

いつ、どこで、何をしてたら「私がいない」になったのか、そのストーリーの方が気になっていて、本も動画もむしろそこにフォーカスしてました。

「私」という思考や概念というストーリーが薄まってくると、だんだんストーリーを忘れていくと言われています。「アルジャーノンに花束を」みたいですね、だんだん忘れていくらしいんです。

そのせいか、数ヶ月、すごい虚無感に陥りました。

よく考えてみたら「私」はストーリーなわけですから、ストーリーを忘れていくということは「自分が消えていく」のと同じで、すごい恐怖なわけですよね。虚無感は何ヶ月もけっこう続きました。それこそ、本当の意味で「自分が消えちゃうんじゃなかろうか」と思うほどに全てが無意味で無価値なもののようにも感じました。

それも少し前から薄まってきました。

「人生に意味はない。人生は壮大な暇つぶしだ。」なんて自我にしてみれば、ただ恐怖でしかないわけですから。じゃ、今までのはなんだったんだ。無意味と言われて、これから何をすればいいんだ。

そんな感じで悶々としてましたが、人生に意味がないも何も、人生そのものがないんだった、ってことに諦めがついてきたってことでしょうか。かといって虚無感ゼロではないですが、MAXが10だとすれば今は1.5くらい。ときどき5くらいになったりと(笑)

でも、まだまだ思考癖はあります。

何かについて考えるとき、特に何かを始めようとするときと辞めようとするときに、まるで誰かに言い訳でもするかのように「だってこうだし、ああだし」って理由を組み立ててたりするんです。頭の中で。

でも、考えてる途中で「あ、これこれ、また誰あてにストーリー作ってるんだい?」と気づくようになりました。ここで気づくとちゃんとストーリー止まります。

だってストーリーだもん。誰に理由いう必要もないし。

カチコチの私の探求のはじまりは、証拠がためからはじまりました。私の場合は疑い深い上に理解力がいまいちなので、イラストや図にして自分で少しずつ理解しています。

忘れちゃわないように。まあ忘れてもいいんだけど。描きたいし書きたい。

非二元の探求のプロセスをメインにしながら日び思うことと、ストーリー側、つまりスピリチュアルなことや、宇宙のこと、それと興味のある範囲で都市伝説的なことや、ちょっと科学的なこともシェアできたらなあ、と思っております。

急に「なに調べてるんだ、私?」みたいに勝手にはじまって止められないんです。まあ、今少しは自我が拗ねておとなしいようなので、あとは自由意志のなさに任せてみています。














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