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地域に伝わる風習から、物事を考える 大本敬久

こんにちは!note更新担当のたぬ子です。

当財団が毎年刊行している、機関誌『文化愛媛』。
毎号、様々な方に文化にまつわるお話を、執筆いただいています。
そんな中、「原稿内に収まりきらなかった、想いがあるのではないか!」と思い、最新刊第85号の執筆者インタビューを始めることにしました。

第2弾は、特別読み切り『疫病を神に祀る風習』を執筆されました、愛媛県歴史文化博物館(以下、歴博)専門学芸員の大本敬久おおもとたかひささんです。

一方的に知るのでなく、一緒に価値を見出す

ー普段歴博では、どのような活動をされていますか。

 基本的には、歴史的な資料の収集・整理・調査・展示をしています。
 僕は民俗分野の担当なので、地域ごとにどういう伝統的な文化があるのか、現地に赴いて、お話を伺うことが多いです。
 他には、現地で見せてもらったものを撮影したり、書き留めておいて冊子を作ったり、図録を作ったりしていますね。
 愛媛県では、民俗学を専門にしている方が多くはないので、歴博が伝統文化の継承に、少しでも貢献できればと思っています。

ー伝統文化の継承というのは大切なことなので、学問にされている方が多いのかと思っていました。

 僕は、自分がしていることを、まるべく学問として考えないようにしています。
 だって、学問を振りかざして、「地元のことを、いろいろ教えてください」って聞いてまわるのは、見方によってはすごく権力的じゃないですか。
 だから、「一緒に地元のことを考えましょう」ってスタンスで、話を聞かせてもらっています。
 僕と話したことをきっかけに、当たり前になっている地元文化の価値を、再認識していただけるといいですね。

ー学問より、もっと地域に寄りそった立場で調べられているんですね。

 「はい」って自分で言うの、めっちゃ恥ずかしいですよ(笑)

成功するまで鎮まらない霊

八幡浜市教育委員会 所蔵資料

ー作品の中に、“牛鬼を出すようになったが、その後、牛鬼を出さなかった年に再び疫病が流行したので、以降、今日まで続いている”とありますが、現在でも疫病の再来を恐れて、祭りを止められないことはありますか。

 まず、伝統行事を続ける理由として、「自分たちがやりたいから」と積極的にやってる場合と、「昔からやりよるけん、やらんといけんのよ」とやむを得ずやってる場合があります。
 特に菊間の牛鬼は、”牛鬼を出さんかった年に、疫病が流行った”という言い伝えがあるので、「出さんかったら大変なことになるぞ」と、半ば強制的な面があります。
 でもそれが、地域の方たちの強い連帯感に繋がっているんでしょうね。

 その他に、火の点いた松明を漏斗じょうごに投げ入れる、五反田の柱祭りも「松明が入らないままだと、非業の死を遂げた金剛院の霊が鎮まらない!」と、漏斗に入るまで何日も行います。

ー厳しいルールですね。

 驚きですよね(笑)
 まあ、漏斗が高さ約20mのところにあるので、松明を入れるのが難しいみたいで、10年に1~2回ぐらい翌々日(翌日に、八幡浜みなと花火大会が開催されるため)に持ち越しになります。

ー投げ入れたあとは、どうされるんですか。

 立てていた柱を倒して解体したあと、松明を投げ入れた人が、会場から約1㎞離れた金剛院を祀る金剛院神社に、漏斗を奉納しに行きます。
 神社に漏斗を納めることで、やっと金剛院の霊が慰められたことになるんですよ。

ー漏斗を納めるまでが、松明を投げ入れた人の勤めなんですね。

 なんだけど、「入って良かったねー!」って、皆さん帰っていくので、最後まで見守る人は少ないですね。

ー五反田の柱祭りは、火の点いた松明を投げるスリリングな行事ですが、全国的に火を扱う行事は多いんでしょうか。

 火投げではないのですが、盆や正月は、火を扱う祭りが多いですね。
 人間は、道具を使って火をコントロールし、明かりや熱を獲得することで、野性的なヒトから、文化的な人間に進化してきたので、火をきちっと扱えるかどうかってのは、実はすごく大きな問題なんですよ。
 もし、「火は危ないけん、この行事を止めましょう」って言う人がいるのなら、地域で安全な火の扱い方を学んで、改めて検討してもらいたいと思います。

祭りや言い伝えは、心のよりどころ

ー疫病や災害に由来している、お祭りって多いんですか。

 城主や領主が不慮の死を遂げたとか、災害や疫病などの地域の危機があった時に、それらが再び起こらないようにと、祈願して始まる祭りはめちゃくちゃ多いです。
 そういうマイナスの状況をゼロにする、お祓い的な意味のお祭りもあれば、更に良くなるようにゼロをプラスにするお祭りもあって、両方とも現状をプラスに動かしたいんですよね。
 だから、お祭りをすることと、お祓いをすることっていうのは、同じ意味合いだったりするんです。
 愛媛県西予市の乙亥大相撲おといおおずもうも、今はプロとアマが対戦する大会として有名だけれども、元々は嘉永かえい5年(1852年)に野村でおきた大火事を鎮めることを目的に、始まりました。

ー昔の人は、祟りや霊をすごく信じていたんですね。

 そうなんだけれど、祟りや霊って、本当に実在するんじゃなくて、何かあった時の不安や恐怖、そういったものの解釈の1つなんですよね。
 山を歩いていてガサガサっと音がした時、「木が擦れてる音だな」って思う人もいれば、「変な音がして不安だ」って思う人もいて。
 後者は、音の正体が分かるまで、ずっと不安だから、「○○がいるんだ」って、妖怪のせいにして心を落ち着かせる。
 例えば、山を歩いていて、虚脱感や疲労感で前に進めなくなる時、「ヒダル神に憑かれた」と言われることがあるんだけど、普通に山歩いてたら、しんどくて前に進めないことってありますよね。
 では、どうしてあえてヒダル神のせいにするか。
 それは、「ヒダル神ならこうすればいい」という言い伝えに、人々が望みを抱いているからなんですよ。
 だから、神や、お祭り、言い伝えって、人々の不安を和らげるためにあるのかなって感じます。

コロナ禍での行事の在り方

ーコロナウイルスの影響を受け、地域行事が次々と中止になる中、“止めると災いがくる”と言い伝えがある行事を中止にするのは、みなさん恐ろしくなかったのでしょうか。

 そういう言い伝えがあるところは、従来のやり方を少し変えてやってましたよ。
 菊間の牛鬼に関しては、牛鬼の頭だけを持って家々を回って魔祓いをしていましたね。
 とは言え、このご時世、正式に「行事をやります」とは言いにくいみたいで、あとで聞いたら実は「やっとったんで」ということが結構多かったです。
 だから、コロナ禍での地域行事についての実態が、十分には把握できていない状況です。

ー状況に合わせて、開催していたところもあったんですね。

 変化しながらも続けられた行事がある一方、コロナウイルスが流行して以来、3年連続中止になる行事もあります。
 そういう祭りに関しては、技術継承が難しいでしょうね。
 毎年やるから、ノウハウが次世代へ受け継がれるわけで、3年もやってなかったら、担い手もどんどん変わっていきますから。 

 今回のように、突然行事が途絶える可能性は今後も考えられます。
 その時のために、運営マニュアルじゃないけど、”何時何分に○○して、どういう意味でやっていて、由来は○○で、道具は○○使ってますよ”って、きちっとまとめた記録があるといいですね。
 見て覚える、話して伝えるのではなく、文字や写真、動画を残しておいてくれると、受け継ぐ人たちはすごく再現しやすいと思いますよ。

ー少子高齢化で、お祭りを止めるところも多くなりそうですね。

 そうですね。
 ただ、少子高齢化だからってだけで、お祭りや行事を止めるのではなくて、この行事は何のために始まって、何のためにやってるのかってことを、現代の人が理解した上で「これは今の時代に合わんけん、もうやらん」って判断してほしいです。

ー納得して止めないと、落ち着かないですもんね。

 落ち着かないなら、形を変えながらでも続けていけばいいと思います。
 行事を行う地域を拡大するとか、地区の出身者を呼び寄せて、地域の同窓会を兼ねるとか、「絶対やり方を変えずに継承しなきゃいけない」っていうものではないですから。
 積極的に受け継ぐために、必ず変わってきてるものなので。地元の人や、その周りでサポートする人たちで、一度「なんでこの行事やっとるの」って話し合うことが、大事かなと思います。

 地元にいたら当たり前のことでも、全国的に見れば「めっちゃ珍しいですよ!」ってこと、たくさんありますから。
 それに地域の人たちが気付けるかどうかが、これからの文化継承の大きなポイントになるでしょうね。

イチオシは白澤はくたく

ーコロナ禍で、アマビエが一躍有名になりましたが、大本さんが「頼りになるな」と思う、妖怪や風習はありますか。

 アマビエのあとに、ハクタクがくると思ってます。

ーハクタクですか???

 白い澤って書いて、白澤はくたくという身体中に目が9つある神獣がいるんです。
 その白澤が、アマビエの次くるな!と思って、歴博で令和2年12月~令和3年1月に、テーマ展『疫病退散ー感染症の歴史と民俗ー』を開催した時に、白澤コーナーを作ったんだけど、ブームは全然こなかったです(笑)

ーずっとアマビエブームですね(笑)

 アマビエよりも白澤の方が、ご利益ありそうなんですけどね。

ーどんなご利益があるんですか。

 江戸時代から、旅に出る時は白澤の絵を懐に入れて持っておくと、悪い病気にも罹らないし、災難も逃れることができるって言われていて、『旅行用心集』という、当時の旅行ガイドブックにも載っています。

まずは知る。そして考える。

ー『疫病を神に祀る風習』は、どのような方に読んでもらいたいですか。

 基本的に、昔ながらの言い伝えって、地域のいろんなところにあるわけなんですけど、それを聞き取りしたり、記録に残す活動をしている人が少ないんですよ。
 だから、地域の歴史に興味がある老若男女に読んでいただいて、「うちんとこも、そんなような話があったなあ」って、地元のことを改めて調べて、記録に残すきっかけになってもらいたいですね。
 『疫病を神に祀る風習』も、なるべく活字になっていない風習を取り上げているんですよ。活字になっていると、図書館やネットで検索したら出てくるので、改めて僕がまとめる必要がないじゃないですか。

 あとは、高校生に読んで欲しいですね。
 「都会でいろんなことを知りたい」って思うことも大事だし、ネットの多大な情報を処理していくことも大事なんだけれども、一番身近なじいちゃんばあちゃんが持っている情報が、実はすごいんよって気づいてもらいたいな。
 身近なじいちゃんばあちゃんの話を調べて、組み立てることで、誰も知らない歴史を発見できるって、とてもおもしろいことなんですよ。
 それに、自分を取り巻く地域の歴史を一度振り返ることで、地元と県外・世界との違いを、より深く知ることができると思います。

ー自分のルーツを知るということですね。

 そうです。ルーツが良いか悪いかってのは、知ったあとで判断する。
 「地元を愛しなさい」っていう、郷土愛教育は結構しんどいですよね。
 地元なんて身近すぎて、「自分を愛しなさい」って言われるのと、ほぼ同じ。「自分を愛しなさい」って、言われたって愛せるかどうかなんて分からないでしょ。
 だから、まずは地元を理解する。そして、判断するための情報を周りが提供するという環境が、大事なんじゃないかなと思います。


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