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楽しんでもらえるか。それは全て僕らの責任 座長:吉田裕

こんにちは!note更新担当のたぬ子です。

先月、愛媛県県民文化会館で行われた『吉本新喜劇65周年記念ツアー 愛媛公演』に出演された、座長:吉田裕さんに、ツアーへの意気込みや『乳首ドリル』誕生に至るまでのお話を伺いました。

ぜひ、最後までご覧ください。

不安と緊張でドキドキ

― 座長として65周年記念ツアーを回ることについて、意気込みを教えてください。

 座員として新喜劇出させてもらっていた頃から「いつか座長として、全国を回りたいな」と夢見ていたんですね。でも、実際座長になってみると、自分が演目や配役を決めるので、本番でウケるのか不安と緊張でドキドキです。
 もちろん愛媛で新喜劇できるのは楽しみですけど、愛媛の方が喜んでくれはるのか、楽しんでいただけるのかは、全て僕らの責任ですんでね(笑)
 全力で頑張りたいと思います!

― ツアーの途中で内容を変更することもあるのですか。

 ツアーが山梨、神戸、愛媛と行かせてもらうんで、前2公演でウケへんかったら変更している可能性はあります(笑)

― そうなんですね(笑)新喜劇はアドリブが多いのですか。

 アドリブももちろん多いですけど、NGK(なんばグランド花月)だと月曜日の夜に稽古して、火曜日から本番という形で、あまり稽古の日数がないんですよね。なので、舞台上でやりながら合わせていくことも多いです。

あのギャグは、アドリブから生まれた⁉

©YOSHIMOTO KOGYO CO.,LTD.

― 『乳首ドリル』はどのようにしてできたのですか。

 アドリブだけですね。ただすっちーさんの遊び心に付いて行っただけで。本当は、僕を浮気相手だと勘違いしたすっちーさんに「お前が浮気相手やろー」って、棒でパンパン叩かれて「捕まえたー」ってだけのシーンやったんですよ。ただそれだけのシーンだったのに、叩かれながら服脱がされて、つま先、あご、脇叩かれて。最後乳首グリグリされたんで「乳首ドリルすな」って。お客さんあんまり笑ってなかったんですけど、すっちーさんだけめっちゃ笑ってて。そこから少しずつ形にしていきました。
 桑原(和男)師匠は、僕たちの時間長すぎてすぐ座ってましたから。あれ、もしすっちーさんじゃなかったら、できてないかもしれないですね。

― それは、座長さんや座員さんとの組み合わせなんですかね。

 それはあると思いますね。あの時、座長が内場(勝則)さんで。内場さんは、若い子たちが自由に挑戦して、あかんかったら変更してやっていけばいいやんって方なので、内場さんの週じゃなかったら難しかったかもしれません。
 あのネタ、10分弱尺をとってたんです。新喜劇45分しかない中の約10分。しかも若い無名な2人がそれだけの尺を使うというのは、結構異例です。

― 吉田座長も内場さんと同じく、若い座員の方に自由に演じてもらう方針ですか。

 僕はそうでありたいんですけどね。自分たちが思うことをやって、お客さんの反応を肌で感じて、良かったら良かった、違うなら変更して、その過程で成長していくのかなと思っています。
 内場さんの言葉を借りると”全員野球”ですね。全員で真面目なところは真面目に、ふざけるところはふざける。新喜劇のすごさって、そこのような気がして。笑いをとっていくシーンもあれば、話の大事な部分はぐっと締める。この差が、新喜劇の最たる技だと思っているので、そこは常に意識はしています。

初愛媛は、二十歳のコテージ

― 愛媛には、どのような印象をお持ちですか。

 二十歳ぐらいの時に、キャンプでコテージに泊まった覚えがあるんですけど、その場所が未だに思い出せなくて…。

― どのような場所だったのですか。

 山です。緑色した綺麗な川があって、コテージが並んでて。冬になったらスキー場になるんかな?ただ、めちゃくちゃ遠かったのは覚えています。それが愛媛の思い出と言いますか、初愛媛の思い出ですね。
 あと愛媛は、お笑いの先輩が多いですね。僕、スーパーマラドーナさんの1つ後輩なんですけど、漫才やらしてもらってる時、ずっと一緒にインディーズライブをやってて、色々アドバイスもらいました。

― 新喜劇にも、愛媛出身の方多いですよね。

 そうですね。青野(敏行)さん、(島田)一の介師匠、ぢゃいこがいます。そう考えると愛媛には、縁があるのかもしれませんね。


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