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3.11から10年 みんな震災の話は読みたくなくなった(辛いから) 4人 #それぞれの10年

東日本大震災から10年が経過する。そのときの恐怖、そして、その後の絆、助け合いの想いを忘れることができない。特に、私は、直後のなでしこジャパンの世界制覇をフランクフルトに応援しに行ったり、復興庁の仕事で、1年間に13回も釜石市を訪問したりしているので、普通の東京暮らしの人よりも、震災復興への思いは若干強いはずだ。

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#それぞれの10年 そう考えると、どんな10年間だったのか、あまりに人ぞれぞれで、それを表現する単語を持ち合わせていない。私は2021年に入って、4つのインタビュー取材記事を公開している。その中で感じた東日本大震災は、自分の知らない東日本大震災だった。

日本サッカー協会会長だった大仁邦彌さん

「なでしこジャパンは震災復興に勇気を与えた」と世間では言われているが「勇気をもらったのが我々だった」と言う。

なでしこジャパンで活躍した山根恵里奈さん

胸の奥に隠していた記憶が、その後のプレーを左右し、その告白は引退記者会見でも明確にすることはできなかったと言う。

仙台市の高校でエリート高校生としてプレーしていた道上彩花さん

高校生であるのにもかかわらず、自分の「本分」が学業だけではなくサッカーもであると自覚した苦悩があったと言う。

津波の被害に遭った平野恵里子さん

大槌町の故郷、吉里吉里への想いを胸に「明るいニュースを届けたい」とプレーしてきたと言う。

いずれも閲覧数が多くない

10年経っても終わらない震災復興は、暗闇を走るローカル線のようだ。突然の動物との衝突や、故障のトラブルで止まることもある。ときには、線路上で乗客が降ろされることもある。先が見えない。ただゆっくりと進む。誰にも知られていなような小さな駅で、いつの間にか一人、また一人、と下車しているが、それに気づくのは車内の人数が3名くらいになった頃だ。

いつの間にか、震災コンテンツは、あまり読まれないコンテンツになっていた。COVIDー19(新型コロナウイルス感染症)で不自由な暮らしが続き、これ以上、辛い体験を読む気が起こらないのだろう。震災コンテンツには、お気楽なエンターテイメント要素が少ないので仕方ない。

誰が語り継ぎ、誰が思いを受け継ぐのだろう

上記で紹介したように、4人のインタビュー取材には新しい発見があった。ただ、記憶は風化する。読み手も減少する。 #それぞれの10年 都会の人は、もう、東日本大震災の記憶を消費し尽くしてしまったのだろうか。

新しい伝え方が必要だと感じる。

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