めんどくさいな。行きたくないな。
ああ、めんどくさい。
このままのんびり一人でゴロゴロの沼にはまっていたいよ。
だって、気持ちいいんだもの。
いいなあ、一人でゆっくり。
しかし、えいやっと起き上がって、長女を迎えに行く支度をするのです。
五月五日、午後2時。
水泳カウンセリングの先生が、横浜のご自宅から区民センターまで、送ってきてくれるので、お迎えに行くのです。
長女ほかろんは、三泊四日の水泳の先生のご自宅の合宿に参加していたのです。
自閉症などの障害の人たち、今年は4人の参加です。
合宿中の3日間、私は、とろーりとろけるような一人暮らしを満喫していたのです。
それは、毎年とても素晴らしい日々で、これが永久に続いてくれたら、わたしなんて幸せなのかしらと思うほどです。
でも、終わりは来るのです。
そこで、気合を入れて、覚悟をして、お迎えに行きます。
「たのしかったあ。」と大きな声で言いながら、「リヤカー」を引いて帰ってきました。
ほかろんは、キャリーの付いたスーツケースをリヤカーと呼んでいます。
まあ、荷物を運ぶものだからいいとしてますが。
電車に乗るときなどの
「あ、わたしのリヤカーひっかかった。」などと大声出すと、他の乗客は、「?????」となります。
楽しかったならいいんです。
先生にお礼を言って帰ります。
また長女との暮らしが始まります。
リヤカー引いて、楽しいにぎやかな暮らし。
こだわりだらけ、構造化だらけ、自由にならない私の時間。
通院、服薬。行政関連の仕事。お金ばかりかかる障害者の生活。
障害のある長女と社会とのつなぎ目の私。
大変だけど、これが、障害のある人との暮らしです。
そうです、こういうことですよ。
インクルージョンの社会って。
障害者の存在を引き受けるってことです。
自分は安全地帯にいて、社会のインクルージョンを望んでいても、それは決してやってこない。
一人一人が、障害のある人と一緒の生活を引き受ける覚悟を持てば、インクルージョンは実現するのです。
自分の問題です。
だけど、わかる。
自分の世界で、のんびり暮らすのっていいものだよね。
障害者の人がいない生活って、楽だよね。
甘い生活。(だけど、本当は苦い生活、フェデリコ・フェリーニ)
そして、行政とか、福祉の人とか、教育などの世界にインクルージョンを任せて(押し付けて)、発言する人っているよね。
障害のある人の世界は、そちら側として、こちら側から発言する人多いです。
私はそれを安全地帯からの発言だと思ってます。
しかし、実は安全地帯は、決して安全でも何でもありません。
地続きですから。