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はい、お母さん、合格です。

私の長女は、知的障害、自閉スペクトラム症、躁病、てんかんです。
子どものころからずーっと、通院し服薬しています。
(こうして書いてみると、長女って大変なんだなあとあらためて思ったりします。)
私は、長女が通う神経内科に、長女の主治医とは違うドクターである名誉院長の診察を受けに、月に一度通っています。
ちなみに、このクリニックは、名誉院長、院長、副院長(長女の主治医)の3人のドクターが診察をしています。
名誉院長は、87歳。現役バリバリ。
いつも元気をいただいています。

障害や病気の子どもを育てる母親は、どうしても、精神的につらい日々を送り、私もかつては重度のうつ病でした。
今はまあ、寛解しているというか、人生の波乗りのスキルが上がったというか、あきらめたというか、そこそこ穏やかに暮らしています。
そこそこ、穏やかな暮らしができているのは、名医の名誉院長のおかげです。

名誉院長の教え、
長女に「ありがとう」をこちらから言う。
「ごめんね」をこちらから言う。
長女を「ほめる」
この三つを実践してから、半年近く。

初めのころは、
「なんで、我慢している私が、ありがとうを言うんだよー。」とか、
「なんで、迷惑かけられてる私が、先にごめんねって言わなきゃいけないんだよー」とか、
「私なんか、だれにもほめてもらうどころか、文句ばっかり言われてるのに、なんで私がほめるんだよー」
などと、心の奥で思ってました。
なんでだよ。
障害者の母は、世間から冷たい目で見られて、頑張っても頑張っても、褒められるなんてことなく、非難ばっかりされるし。文句ばっかり言われるし。

でもね、名誉院長に言われたんですよ。
「長女のほうがもっとたいへんなんだよ。」って。
障害のある人は褒められることも少ない。
健常者の社会でどれだけ我慢して生きているのか。
ましてや、ひとに謝られることなど、数少ない。

「だからね、障害者の人はね、ひとから先に『ごめんね』って言われると、『えっ』て思うんだよ。
びっくりするのね。あまり言われたことないから。だから騒いでいても静かになるんだよ。」
「そしてね、ごめんね、ありがとうって言ってると、お母さんの心が嫌な気持ちにならなくなるんだよ。」

そうなんです。癇癪を起した長女に、こちらが同じ土俵に立って怒ってしまうと、私はいやあな気持ちになり、その気持ちは何時間も、私の心に居座るのです。

そして、心を落ち着けて、名誉院長の教えを実践するべく努力の半年。
ついに、とうとう、言われたのです。
「はい、お母さん。合格です。」

「大変な子でもね、ずいぶん変わるんだよ。ほかのドクターも驚いているんだよ。
障害のある子を産んだからと言って、母親である自分を責めなくていいんだよ。あなたの責任じゃないんだからね。」

こうして言葉にして言ってもらうとうれしいです。
ほめられるとこんなにうれしいものなのですね。
それに、母親の責任ではないときっぱり言ってくれて、ありがとう。
ずっと自分を責めてきました。
時計を巻き戻して、長女が生まれる前の時代に帰り、やり直せたらどんなにいいかと考えていました。
だって、障害のある子を産んだのは自分だから。
自分の責任だからと思ってました。

長女も変化しましたが、私も変化したようです。

心の中が、少し広がったような、胸のあたりがゆったりしたような気持になりました。
今なら、保護犬も飼えるかも。私。
障害児を養子にすることもできるかも。私。

と思って、「はっ」としました。
私もったいないことしていたのです。
ギルバート・グレイプのジョニー・デップが、
「一緒にアーニーを育ててくれないか?」って頼んで来たのです。
アーニーは、レオナルド・ディカプリオです。
でも、私その時、即答しちゃったのです。
「長女一人で手いっぱいだから、アーニーまでは無理です!」

そこで夢が覚めたんですけど。
その後ジョニー・デップも、レオナルド・ディカプリオも
大ブレークしたのでした。

ああ、もったいないことした。

ギルバート・グレイプ
ラッセ・ハルストレム監督 1994年


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