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ああ、それだけは、言わないで。

今日は、長女のほかろんさんのクリニックへの通院の日。
「きょうのしゃしんは、なんにんかな。
わたしはひとりだとおもう。」
とウキウキ楽しそう。

長女が通うクリニックの入り口のエレベーターのところには、大衆演劇のポスターが、張られているのです。
出し物によって、毎月のようにポスターは張り替えられています。
そのポスターに何人の役者さんが写っているのか、ほかろんさんは気にしているのです。
「ひとりだとおもうよ。」というほかろんさん。
なんだか、どきどきしているようす。
こういう小さなことでも、楽しみにしているから、うきうきするんだろうね。
いいなあ。

さて、ポスターの写真の役者さんは二人でした。
ひとりでも、ふたりでも、どちらでもよかったみたいです。

さあ、いよいよ診察。
名前を呼ばれるときが緊張するんだそうです。
ドクターとお話するのも、緊張するそうで、返事はすべて、
「うん」です。

ほかろんさんに向き合っていたドクターが、私の方を向いて
「おかあさん、どうですか」と話を向けます。
「今年に入って、ずっと、穏やかです。
いまだかってないくらい。」と答えましたら、
ドクターが言うことには、
「また、どうなるかわからないですけどね。」でした。

だからそれだけは言わないで。
わかってるんだから。
いつ躁転するか、わからないってこと。
そうしたら、今日のような穏やかな日は、ぶっとんでしまうのだってこと。

まあ、ドクターにしてみたら、躁病の患者は、落ち着いている期間が続いた後、また躁状態がやってくる。
そうなったら、また、相談して、薬の調整してって、いうことになるから、気を抜かないでってことですね。
母は少し、浮かれてしまったのですね。

わかっているけど、このしばらくの間だけでいいから、幸せに浸らせて。

そして、薬局へ。
「お薬お変わりないですね。落ち着いているのですね。
でもまた、変化すると思いますよ。」と薬剤師さん。

ああ、それだけは言わないで。
わかってるんだから。もう51年も、ほかろんの母やってきてるんだから。
躁転すること、わかってるし、躁転しても驚かないし。
そうなったら、なったで、なんとかやっていくし。

だから、今は、この穏やかな生活を、ぬくぬく味合わせて。
ぐっすり眠れて、心もそわそわしない、幸せな母親やらせて。
束の間だけど、幸せです。

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