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字が読めません。どのように投票すればよいですか。

知的障害のある長女は、字が読めない。いや、読める字もわずかながらだがある。たとえば自分の名前。ひらがなが少し。カタカナが少し、キスマイとスキマスイッチの違いが分からず混乱する。

小学校の頃は、毎日必死で、字の練習をさせた。練習を重ねればできるようになると思っていた。だから、親としては必至だった。小学生の頃は、練習したら、読み書きや計算が、ある程度できるようになるのではないかと、漠然とした希望を持っていた。でもそうではなかった。

何年かかっても、できるようにならなかったことはたくさんある。それが、彼女の知的障害の程度なのだ。

なのに、ごめんね。あんなに、練習させてしまった。

なあに、日本人のほとんどの人は学校であんなに英語を勉強しているのに、話すことができないじゃないか。だからなんだっていうのさ、と母は開きなおる。

希望は無くなったが、現実を受け止めた。

読めない字のほうが多いのだけど、彼女は毎日、新聞の記事を写す。A4の裏紙の半分にしたものを、宝物のように、キティちゃんのかばんに入れて、テレビ台の戸棚にしまっている。

裏紙を用意するのは大変だ。何しろものすごい量を写すのだ。コピー用紙。プリント類。会議録の古いの。カレンダー。足りなくなると、コミュニティセンターに行って、お知らせとか、サークル活動の申込書など、チラシの棚から片っ端からもらってくる。それでも、足りなくなると、隣のおばちゃんの家にもらいに行く。

おばちゃんのうちには、おばちゃんの孫が飼っている、保護犬が二匹いる。長女は、犬が怖いから、家の中に入れず、ドア越しに、大声で、

「おばちゃあん、かみくださあい。」と大声で何度も叫ぶ。知らない人が聞いているとしたら、トイレに紙が入っていなくて、叫んでいるように聞こえるだろう。それくらい、必死で叫んでいる。

まず、長女は、その日の新聞でお気に入りの広告や、記事を探す。うちの新聞は東京新聞で、金曜日の「歌舞伎彩事記」、毎日の「クイズで脳活」、広告では、ネオシーダーなどがお気に入りだ。めぼしい記事や広告が見つかると、水性サインペンを、かる~くふわふわに持って、さらさらと字を写す。字は読めないので、スケッチをしているがごとく、字を写す。新聞記事を書き終えると、今度は、アイドル雑誌の字を写す。雑誌が終わると、ペットボトルやティッシュペーパーの箱の横に書かれている字を写す。

読まないで写しているだけだからか、ボトルや、雑誌はまっすぐに置いてあるわけでなく、横向きだったり、斜め置きだったりする。自分の方に向いてなくても写せるのだ。ただ、自分では何を書いているのかがわからないだけだ。

最後に、私のところに書いたものを持ってきて「よんで」と言う。

私は読む努力をするのだが、これがなかなか読みにくくて難しい。わかる文字を頼りに読み解いていく。まるで、古文書を解析する学芸員みたいに。くっついたり、丸まったりした、さらさらと書き写した文字。古代の抽象文字のようだ。

長女の書き写す集中力はすごいもので、一時間も二時間も続く。傍らでは、お気に入りのテレビドラマの録画したものを流している。最近はテレビドラマが少ないから、母は苦労して、テレビドラマを探して録画している。それもお気に入りがあるから大変だ。「科捜研の女」「税務調査官窓辺太郎」「鉄道捜査官」「おみやさん」「法医学教室の事件簿」「おかしな刑事」「赤い霊柩車」というリストアップだ。もう何回も、何十回も同じ番組を見ている。

私は、この書き写すお仕事を「写経」と呼んでいるが、これをしていると、心が落ち着くようなのだ。作業療法の一つかもしれない。水泳カウンセリングの四泊五日の合宿から帰ってきたときも夢中で、「写経」をやっていた。一時間ほど書いて、やっとほっとして晩御飯を食べていた。

かくのごとく、字を写すのだが、字が読めない。

困るのは選挙だ。本人は、張り切って選挙に行くのだが、字が読めない。だけど、形はわかるようで、自分で決めた候補者の名前を、台の前に貼られた、候補者一覧の張り紙を見ながら、丁寧に写す。フリガナまで、しっかり写す。

選挙での問題は、字ではなく、比例代表だ。以前の選挙の時、候補者の名前を書いたのに、どうしてまた何か書かなくてはならないのか。わからなくて、どうしたらよいのか私に聞いてきた。家で、手順を教えてきたとしても、不安なもので、また聞くのだ。

ここで、小声で教えようとしていたら係の人に注意された。「知的障害があるので、やり方を教えてました」というと、長女は障害者の席に連れていかれが、そこは、車いす席だった。

私はあくまでも、システムを教えていたのだが、誤解されたようだった。障害者は車イス席に行けば、解決できるのかというわけではない。

知的障害のない身体障害者の方は車イス席で記入できる。でも、その都度、やり方を教えてあげないとならない知的障害の人に対してのサポートは、整っていない。

もうすぐ、選挙だ。

候補者のポスターをじっくり見ていた長女が言った。

「わたし、このなまえ、かけるよ。」

指さした先には

とてもやさしい漢字の名前があった。小学生でも書ける名前。町にも一人はいるような名前。

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