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本当は楽して生きていきたいものだけど

ああ、疲れた。
75年も生きれば疲れる。
75年のうち、51年間は障害のある長女をケアしながらだから、二人分生きてきたようなものなので、75+51で、結局126年生きてきた感じ。
いやあ、大変だ。
それもワンオペだから、すごおく大変だった。

障害のある子を持つ家庭は離婚率が高い。
うちもそうだ。
障害のある子を育てるという、人間にとって心の中のギリギリのところまで問われるような体験をすると、その人の本当の心が明らかになる。
ああ、いい人そうに振舞っていても、本音は差別主義者だったんだ。
そして、それを変えようともせず、逃げ出すのか。

そういう親は結構多い。
だから、障害のある子を授かった母親が、まず、対決するのが家庭内の差別、家族の価値観だ。

それはそうだろう。
自分は優秀で、だから子供も、もちろん優秀な子が生まれてくるだろうと信じて疑わなかった人間がいたとしても仕方がない。

そういう人であっても、子どもを育てていくうえで、変わっていく親はたくさんいる。

だから、障害児のいる家庭であっても、父親が経済的に機能していれば、母親は仕事を失っても生活はできる。
そして、母親が強い人であったとしたら、「障害者の家族の会」などの会長を務めたりする人もたくさんいる。
もう、その仕事ぶりは、専従といっていいほど、しっかりしていて週6勤務、会長の名刺を作り、あちこちで活動をする母親もたくさんいる。

両親がそのような分業システムを取っている家庭は、経済的困窮はまぬがれるが、我が家のように、ワンオペであれば、非正規勤務しか選択できない状況となり、普通の母子家庭より、もっともっと、生活が困窮する。

つまりは、今のこの国では、障害児を持つ母親は、国中に蔓延する障害者差別の空気に飲み込まれ、一人親になりがちで、普通の母子家庭よりも困窮する。
この負のスパイラルから、抜け出すことはものすごく困難である。
母親の学歴、職歴などというものは、「現実」の厳しさに押しつぶされ、経済的に恵まれる生き方をするのは、困難を極める。

お金はないが、障害のある子を育てるにはお金がかかる。
医療費はかかる。教育費はかかる。
偏食やこだわりがあるから、食費はかかる。
一人で外出できないから、どこに行くにも親が付き添うため交通費はかかる。
こだわりがあるから、生活用品代はかかる。
セラピーなど必要なら、もっともっとお金がかかる。

そして何より、障害のある子は、成長してもお金を稼げない。
健常児であったなら、学校を卒業したら、就職することも出来るだろうに。
障害のある子は、特別支援学校を卒業しても、お金は稼げず、お金がかかる。
大人になっても、手間はかかる。
学校を卒業してからの方が大変である。

お金よりももっと深刻なのは、周囲に気を遣うから、母親の心がけずられていき、精神を患ったりする。
私もいまだ、神経内科に通院している。

なんだ、この、不幸を絵にかいたような私の生活は。
本当は、私だって楽して生きてみたい。

だけど、それはできない。
だから、崖っぷちぎりぎりであっても、踏みとどまって(何回死のうと思ったか知れない)この大変な暮らしを、世の中に伝えていく道を選ぼう。

我慢はしない。
我慢は美徳なんかでない。
状況を受け止めるなんてしない。
こんな理不尽なことあってはならない。

優生主義者にとっての、「都合のいい母親」いわゆる、「マジカルママ」にはならない。
つつましくて、我慢強くて、不幸に負けない笑顔で、感謝だけしているやさしい母親の仮面の生活はもうやめよう。

つつましくなくて、我慢しなくて、不幸は嫌だと言い、ありがとうは言うけど、主張をする母親でいたい。

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