見出し画像

「幸せな老後」は考えないほうがいい

「幸せな老後」なんて考えないほうがいい。どうあれば幸せかなんて思い始めるのが不幸の始まりだ。紙に書きだすなんて最低だ。足りないものがたくさん見つかるし、10年後生きているかもわからない。「生きている、たぶん」程度。
カチャーセンターに毎日行けば、2000万円の貯金があれば、孫がかわいければ、幸せというわけはない。
カルチャーセンターで自信作が最低評価だったり、買ってきた卵が全滅だったり、孫はよりつかないかもしれない。不幸の種なんて探せばいくらでもある。大きな不幸が来ませんようにと神頼みして、おいしいものを食べ「ああ、しあわせ」と思う。大きな不幸が来てしまったら落ち込んで諦める。
いままで生きてきた通りに続くだけ。苦難もがあったはず。その延長に老後があるから、突然きらきらしだしたりしない。むしろ容赦のない下り坂、場合によってはまっさかさま。
病気や、身内の死は必ずやってくる。若ければ、それを克服する気力、体力、時間で、不幸を少し幸せに軌道修正できるが、その気力、体力、時間がなければ、覚悟して受け入れるだけだ。軌道修正はできない。
完全に忘れてしまうという方法もある。都合のいいように忘れたふりをするという高度なテクニックを使うこともできる。若者がやったら職を失う。
迷惑をかけたくないという気持ちはやっかいだ。迷惑はかかる。だが、それを多くの子供は迷惑と思わず、その遠慮が切ない。なかには迷惑をかけてくれるなよ、という子供もいるだろう。そんなやつには迷惑をかけてやる価値はない。自分の子供と思って諦める。
道は何本もなく、このまま歩いていけばどこに行くのかわかっている。道端の小さな花に立ち止まり、どぶにはまって動転し、100円を拾って得したと思ったりするが、確実にあちら側に向かってすすむ。こんに確実なことは他にない。
「覚悟を決めよ」、これが父母が残してくれたものだ。
親は覚悟を決めて老いてゆく、子供も覚悟を決めて見届けよ、次はお前の番だ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?