宇宙許す 完 

今日のテーマ


みなさんこんばんワン
えりおっとです。
前回の話の続きです。

前回をまとめると、

ボクは許されたいけど許されない…かわいすぎて…
つらい…っていう話だったと思うんですが…
違いましたっけ…?アッハイちゃんとやります…

(頭の整理)

さて、前回ですが…

SNSはでかすぎる社会単位だから意識の共通化は無理で
許容できないものもいっぱいで
人の本来の社会の単位はもっともっと小さいものだから
無理にすべての意見を聞かなくてもいい

という話をしました。(そういうことを言おうとしました。)

相容れない考えは許さない!という否定的感覚で物事に向き合うのではなく、肯定を強いるわけでもなく、とりあえずとして、

・許容を求めているのか(関わろうとしているのか)
・許容したいのか(関わりたい意志があるのか)

っていう部分を整理して背負わずに考えてみるのが良いと思うんですよね。

「許す」っていう言葉にはいろんなニュアンスがあるので、ここからは「許容」と書きますね。

そこに居ることも、離れることも選択することができる

「自分が正直でいられる」ことが何より大事です。
それが家族であってもパートナーでも友人でも同僚でも環境でも良し。

社会の定義って2人からとする説も3人からする説もあるらしいのですが
ここでは2人からとします。

自分が正直でいられる相手や環境・コミュニティを自分が属すべき最小単位の社会と考えると良いです。

逆にいうと正直な気持ちでいることが不可能な相手だとすれば
家族であっても自分の属している社会と無理に考えなくてもいいです。
自分の心に背くのはやっぱりストレスじゃないですか。

まず自分はどれくらい他人の異様さを許容するのか。
もっといえば、
どのレベルまで「相容れない考え方と共存する」許容ができるのか。
を冷静に見つめる必要があります。

問題は、自分はどんな風に生きていたいかという認識です。
その意識が通じる相手が居れば、そこを自分の居場所にすればいいのです。

より大きい社会の単位

じゃあ自分の属する地域や学校や会社や施設などの大きな単位の社会はどうでしょう。
考え方や多様性の理解も違う人たちが居て当然です。

その人達は原則同じインフラを使う仲間であったり、たまたま同じ学年だったり、同僚だったり。それは目的やルールを形にされた仲間です。その人達とどう付き合うかは自分で選択できます。

そういう意味で言うと、付き合い方を強制する人や空気があって、自分の成長にならないものであれば、それらは無視するか、逃げても良いから離れましょう。

さらに大きなものとして、SNSがあります。
SNSの社会単位はとんでもないほど巨大です。
当然自分にとって不愉快な人や意見もあります。

それらを「自分の社会における悪い要素」と考えて対抗しても意味ではほとんどありません。
相手はあなたのことを社会の一部と配慮して発言していないですし、見えていないです。
だから安心して無視していいんです。
自分のコミュニティの外のこととして、自分の好きなようにそこから学んだり読み流したり無視したりすれば良いのです。
あなたが受け入れるべきはあなたのコミュニティの意見なんです。
それがあなたが直接関わる社会だからです。

許容されるために自分を変える

「自分が許容できない相手のために自分を変える必要があるかないか」
それは結局、その相手と関わりたいかどうかだと思います。
関わりたいのであれば本当は許容したいのだと思います。
許容するために話し合いが必要なのか、成長が必要なのか、変化が必要なのか、何が必要なのかは見えてきます。
逆に関わりたくない…と思えば関わらなければいいのです。
少なくとも精神的に深いところで関わらなければいいです。

ただ、関わらない選択をして、許容されないもの・許容できないものからどんどん離れていくと、共存できる社会が当然減ります。
減ってもいいと思います。でも、必要だと思えば、自分から変わるのです。
頑張って共存できるものを探すか、もしくは共存できるものを増やすために自分の許容度を変えていくか、自分の考え方を変えるか。もちろんひとりで生きるという選択もあります。必要かどうかです。

ただ重要なのは、
望まない社会からは離れ、
自分が居たいと思える社会に居れるように努力することは、
自分の許容度を適切に広げたり、成長のきっかけになります。
自分が正直な気持ちで共存したいと思えるものに努力のベクトルは向けるべきです。
その対象を探すことにも。

社会の単位はまずは小さなものでいいのです。
大きくするときは自分を見失わないように慎重でいることが大事です。

選んだものに対しては、不満や不服ではなく、許容の擦り合わせ

そうして選んだ単位の社会でも、不満に思うことや不服も出ると思います。
その相手には、離れるという選択を取らないうちは
・あいてに許容を提案する(擦り合わせる・確かめ合う・説明し合う)
・自分が許容できるように変わる(聞く・学ぶ・寄り添う)
というのがコミュニティとの関わり方と考えます。
そういう意味ではそれ以外の関わり方で向かってくるものは、およそ無意味なので取り合わない方がよいです。

ごちゃごちゃ言ったけど…

自分の心が触れ合うものは、とても小規模な社会単位と考えて良いと思います。
「多様性」を真に認めるとしたら、大きな単位社会では、合う人も合わない人も、柔軟な考えも偏屈な考えも存在を認めなければいけません。人は多様な形に産まれるからこそ、最初から思想に違いがあって当然なのです。
その社会の仕組みを許容し、認められる小さな社会を自分に持つことが、世の中に自分の居場所を作ることに繋がるのではないかな…と思います。

自分の関連のない社会に対しては、関連なく存在するものとして許容すればいいのです。それが自然の形で、それが心に余裕を作ります。

その気持ちでいれば、全ての考えを許容せずとも、共存することを許容できる懐を持った気持ちで安心して生きられるんじゃないかなーと。

いがみあったり、逃げ場を失ったり、争いになったり、そういうことが減ればいいな~~~と思ってます。

です!そんな感じ
長くなった割に尻すぼみですが、これが前回の続きでした!

また思いつきで書きます。
またね



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