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●訃報2022~パート1(1月~3月)~主にソウル界で鬼籍に入った人たち

●訃報2022~パート1(1月~3月)~主にソウル界で鬼籍に入った人たち
 
【Artists Who Passed 2022 (Part 1)】
 
 
(有料設定ですが、最後まで無料で読めます。本作・本文は約21000字。「黙読」ゆっくり1分500字、「速読」1分1000字で読むと、およそ42分から21分。いわゆる「音読」(アナウンサー1分300字)だと70分くらいの至福のひと時です。ただしリンク記事を読んだり、音源などを聴きますと、もう少しさらに長いお時間楽しめます。お楽しみください)
 
トップ写真はシル・ジョンソン

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●訃報2022~パート1(1月~3月)~主にソウル界で鬼籍に入った人たち
 
【Artists Who Passed 2022 (Part 1)】
 
2022年も多くのアーティストたちが鬼籍に入った。ソウル・サーチンのツイッター、ブログで紹介したものをまとめます。ツイッターのみのものはツイートをすべて。ツイッターで速報したあとブログでまとめたものは、ツイッターの速報第一報とその後の評伝などのブログのリンクを紹介します。それにしても訃報が多い過ぎてなかなかブログ紹介まで間に合わない…。
 
パート1は、2022年1月から3月に亡くなったアーティスト、音楽関係者、また個人的に接点があった人たち。
 
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【1月】
 
マックス・ジュリアン Max Julien 俳優。2022年1月1日死去。88歳。詳細は不明。妻が明かした。


 舞台俳優から始まり、1970年代のいわゆる「ブラックスプロイテーション映画」などに出演。特に1973年の『マック』(リチャード・プライヤーと共演)がヒット
同年の「ブラックスポロイテーション映画」の傑作『クレオパトラ・ジョーンズ』では製作・脚本で参加。同作は続編も出た。映画『マック』からの彼の声を多くのラッパーがサンプリングした。https://bit.ly/32PoIxr
 
ジェシー・リー・ダニエルズ Jessie Lee Daniels R&Bヴォーカル・グループ、フォースMDズのオリジナル・メンバー、2022年1月4日死去。58歳。詳細は不明→https://bit.ly/3eWwNTB ニューヨークのスタッテンアイランドで結成。3人のランディー兄弟とその叔父であるジェシーで活動後→
→メンバーを加え、フォースMDズに。昔ながらのドゥワップとヒップ・ホップをあわせたグループとして一世を風靡した。特に1985年のヒップ・ホップ映画『クラッシュ・グルーヴ』に出演、「テンダー・ラヴ」(ジャム&ルイス・プロデュース)→
を歌いこれが大ヒット。これでジャム&ルイスはグラミーのプロデューサー・オブ・ジ・イヤーに。1987年「ラヴ・イズ・ザ・ハウス」がR&Bで1位に。その後メンバーが入れ替わるも大ヒットは生まれていなかった。https://bit.ly/3qUOWH2  1963年7月4日生まれ
 
シドニー・ポワティエ Sidney Poitier  フロリダ・マイアミ生まれの俳優。バハマ出身の両親がマイアミを訪れた1927年2月20日(諸説あり)に生まれた。2022年1月7日死去。94歳。死因など詳細は不明。

 ブラック俳優として初のアカデミー主演男優賞。→
1955年『暴力教室』、1958年『手錠のままの脱獄』、1963年『野のユリ』(アカデミー主演男優賞)、1967年『いつも心に太陽を』、『夜の大捜査線』、『招かれざる客』、1975年『シドニー・ポワチエ/一発大逆転』など多数。→
 https://bit.ly/3zye8a6 いわゆるブラック俳優の先駆者的存在として、後身のたとえば、俳優デンゼル・ワシントン、監督スパイク・リーらの道標となった。
ニューヨーク・タイムズの訃報→


 
R.ディーン・テイラー R. Dean Taylor 2022年1月7日死去。82歳。死因など詳細不明。モータウン時代のミュージシャン仲間がSNSに公開している。1939年5月11日カナダトロント生まれ。60年代からシンガー、ソングライターとして活躍。60年代後期アメリカ・モータウンでソングライターとして契約→
モータウンが設立した白人アーティスト専用のレーベル、レア・アース・レコーズと契約。1970年「インディアナ・ウォンツ・ミー」がビルボード・ホット100で5位(キャッシュ・ボックスは1位)→ https://bit.ly/3zEK24Q →
同レーベルからはグループ、レア・アースもヒット。そのレア・アースとレーベルメイトのチャック・ブルケイトーが死去を報告した。カナダやイギリスでもいくつかシングルがヒット。イギリスの「ノーザン・ソウル・シーン」でちょっと話題になった人物→
"Indiana Wants Me"→ https://bit.ly/3zNmD1i R Dean Taylor - Ghost in My House - https://bit.ly/3HEqsbM (ノーザン・ソウル)
 
ジェームス・エムトゥーメ James Mtume 2022年1月9日、死去。76歳。1月3日に76歳になったばかりだった。姪がSNSに公表した。

https://bet.us/3zECNK6


 
本名ジェームス・フォアマン。エムトゥーメはスワヒリ語で「メッセンジャー」。83年「ジューシー・フルート」がミリオンセラー→
両親の影響でジャズに傾注、ピアノ、パーカッションをプレイ。1971年~75年マイルス・デイヴィス・バンドに参加。その後盟友レジー・ルーカスとともにR&B系のプロデューサーに。ステファニー・ミルズ、ロバータ・フラックなどでヒットを量産→
プロデューサー、アーティスト、様々なアクティヴィストとしても活動。ニューヨークのKISS-FMでラジオDJも。1946年1月3日、サウス・フィラデルフィア生まれ。https://bit.ly/3Gbo4ZR (この項続く)
ジェームス・エムトゥーメ James Mtume は奇しくもフィリス・ハイマン、ダニー・ハサウェイ(&ロバータ・フラック)の作品をてがけている。フィリス、ダニーともに自死を選んだ。フィリスには遺書があり、ダニーにはなかった。ダニー、ロバータとは1979年1月13日(土)スタジオで→
→「バック・トゥゲザー・アゲイン」を録音し月曜にミックスすることになった。14日(日)朝5時頃、エムトゥーメの部屋の電話が鳴った。すすり泣き声がした。「誰?」「ロバータよ。ダニーが亡くなった」 ダニーはそのとき精神的に病んでいた。→
彼は何度も来日しているが1990年4月エムトゥーメとしての来日時にトゥワサ・エイジーとインタヴューした。非常に頭脳明晰で音楽業界、ブラック文化全般について見識があり、ひじょうにおもしろいインタヴューになった(写真左トゥワサ右エムトゥーメ)→
→「バック・トゥゲザー・アゲイン」を録音したがうまくいかず、月曜に再録音することになった。14日朝5時頃、エムトゥーメの部屋の電話が鳴った。すすり泣き声がした。「誰?」「ロバータよ。ダニーが亡くなった」 ダニーはそのとき精神的に病んでいた→
https://bit.ly/3zIQrMf 英ガーディアン記事では75歳とされている。エムトゥーメは1947年生まれと言っているものがありその場合この75歳が正しい。→https://bit.ly/34vQqzP 2017年12月の放送で「現在70歳で(来年の)1月で71になる」と話す
ジェームス・エムトゥーメの生年問題。長く1946年とされていたが、さきほどウィキが1947年に変更していた。 https://bit.ly/3faZHiX https://twitter.com/soulsearcher216/status/1480558233534496768…
 
 
ロニー・スペクター、ロネッツのリードシンガー。2022年1月12日癌のため死去。78歳。詳細は後ほど。  Ronnie Spector

https://note.com/ebs/n/n8e4032cca5f9

https://twitter.com/dusttoodigital/status/1481397942569381888…
 
宮内鎮雄(みやうちしずお)さん、2022年1月14日すいぞうがんのため死去。76歳。→https://bit.ly/3tvQytQ 元TBSアナウンサー。深夜放送『パック・イン・ミュージック』など多数担当。洋楽、映画にも造詣が深くDJ番組を長く務めた。
 
フレッド・パリス Fred Parris R&Bヴォーカル・グループ、ドゥーワップ・グループ、ファイヴ・サテンズの創始者、2022年1月14日までに死去。85歳。https://bit.ly/3rfKTVG 死因は明らかにされていないがしばらく闘病していたという。フレッド・パリスは、1936年3月26日アメリカ東部→
→コネチカット州ニューヘヴン生まれ。1954年頃フレッド・パリスが友人ら5人(計6人)と結成。その後メンバーの出入りがありグループ名も変わったが5人組となり、ファイヴ・サテンズとなった。1956年(昭和31年)2月に教会学校の地下室で録音された曲→
→「イン・ザ・スティル・オブ・ザ・ナイト」は当初シングルのB面だったがDJがかけるようになり、じわじわヒット。https://bit.ly/3Ab2KkY (4人編成の珍しい映像) 1956年9月からチャート入りR&Bで3位。いわゆるドゥー・ワップ・ブームの先鞭をつけた。→
ところが、レコーディング後、フレッド・パリスは軍隊に入隊。ヒットしていた頃は日本に駐在していたという。グループは別のリード・シンガーをいれ活動を続け、1958年1月兵役から戻りグループに再参加。同曲はその後も浸透、オールディーズの定番に。→
ドゥーワップ・ブームは長くは続かなかったが映画『アメリカン・グラフィティー』(1973年)『ダーティー・ダンシング』(1987年)などに使用されスタンダード化し「グラミー殿堂」「ロックンロール殿堂」入り。https://bit.ly/325liq8
この曲はビルボード・ポップ・チャートで、3回チャートイン。ただしトップ10入りはしていない。後のR&Bヴォーカル・グループに多大な影響を受け、ボーイズ・トゥ・メンもカヴァーした。https://bit.ly/3KfggbN
なお、「イン・ザ・スティル・オブ・ザ・ナイト」は日本でも山下達郎、鈴木雅之、キングトーンズなどがカヴァーしており、なじみ深い。
 
●フレッド・パリス(ファイヴ・サテンズの創始者)85歳で死去~初期ドゥーワップ・グループ・ブームの立役者|Soul Searcher @soulsearcher216 #note

https://note.com/ebs/n/n1cf5f17a2cfa…


#fredparris
#fivesatins #doowap #ファイヴサテンズ #フレッドパリス #AORSTS
 
ジョン・リンド Jon Lind ソングライター、A&Rマン、2022年1月15日死去。73歳。ここ2年ほど癌を患っていた。https://bit.ly/3nu8Ckc アース・ウインド&ファイアー、マドンナ、ヴァネッサ・ウィリアムスなどに作品を多数提供。「ブギー・ワンダーランド」「クレイジー・フォー・ユー」→
 →「セイヴ・ザ・ベスト・フォー・ラスト」などのヒットを送り出した。また、リンドはハリウッド・レコーズのA&Rとしても活動、マイリー・サイラス、ジョナス・ブラザース、セリナ・ゴメスなどにかかわった。ギターをつま弾いていたところをモーリス・ホワイトに→
→注目され、それが「サン・ゴッデス」となり、アース、ラムゼイ・ルイスに録音され、ソングライターとして本格的に活動するようになった。元は自身で歌い、アーティスト活動をしていたが、その時は売れなかった。
 
ソニー・ターナー Sonny Turner プラターズの3代目のリード・シンガー。2022年1月13日カリフォルニア州ランチョ・クカモンガの娘の自宅で死去。83歳。咽頭癌だった。最近は長くラスヴェガスで活躍していた。

https://bit.ly/33Gwyd5


 ソニー・ターナーは、前リード、トニー・ウィリアムス→
→から交代し、1959年末から1970年までリード。そのプラターズ時代には、1966年「アイ・ラヴ・ユー・1000タイムズ」などがヒット。プラターズの1950年代のヒット、「オンリー・ユー」「グレイト・プリテンダー」などはライヴで歌いながら、再録音した。→
プラターズは、1952年に結成されたときは、コーネル・ガンターがリード、1953年から59年までトニー・ウィリアムス、その後、ソニー・ターナーが70年までリードを担当。しかし、いくつもの分派が存在し多数のプラターズがその名を名乗る。特に→
→マネージャーだったバック・ラムは、グループのネーム・ライツなどを保有するが、一度メンバーだった連中がプラターズを名乗るようになり、収拾がつかなくなった。ただトニーのプラターズは王道本家の流れにあるものといっていいだろう。
 
ローザ・リー・ホーキンス Rosa Lee Hawkins 60年代のガール・グループ、ディキシー・カップスのメンバー。2022年1月11日フロリダ州タンパで死去。手術による合併症からの内出血のため。76歳。「チャペル・オブ・ラヴ」が1964年全米1位→https://nyti.ms/3FBY2xE https://bit.ly/3IcjlaB →
ディキシー・カップスは、1963年ニューオーリンズ出身。姉のバーバラ・ホーキンスといとこのジョアン・マリー・ジョンソンの3人で結成。当初はメルトーンズと名乗っていたが、同名のグループが存在することがわかり、ニュー・オーリンズ出身→
→のためもありディキシー・カップスと改名。これは有名な紙コップの名前でもある。デビュー曲「チャペル・オブ・ラヴ」はフィル・スペクターらがロネッツのために書いたもの。https://bit.ly/3IcjlaB 左からジョアン、ローザ、バーバラ。→ https://pic.twitter.com/VqvQOrzwZK
60年代数多くのガール・グループが出たが、彼女たちもそのひとつ。メンバーのジョアンがヒットからのツアーなどの多忙からグループを脱退。姉妹二人が3人目を加えながら活動を続けた。ジョアンは2016年10月3日72歳で死去。
 
訃報 グレゴリー・ウェブスター Gregory Webster オハイオ・プレイヤーズのオリジナル・ドラマー、2022年1月14日死去。1月4日に84歳になったばかりだった。死因はまだわからないが、突然亡くなったという。https://bit.ly/33kMKAV 1959年に結成されたオハイオ・アンタッチャブルズが→
→1964年、オハイオ・プレイヤーズとなったときにその初代ドラマーとして参加。1973年まで参加。グループは1971年、デトロイトのインディ、ウェストバウンドと契約。「ペイン」、「プレジャー」、「ファンキー・ワーム」などが大ヒット→
→当時レーベル・メイトだったジョージ・クリントンはオハイオ・プレイヤーズのサウンドに影響を受けていたという。彼らはその後、メジャーのマーキュリーと契約、さらに大ヒットを出す。グレゴリーは地元の教会でドラムスを30年以上プレイした →
→グレゴリーが脱退した後、オハイオ・プレイヤーズはジェームス・ダイアモンド・ウィリアムスがドラマーとして参加。「ラヴ・ローラーコースター」、「ファイアー」などはダイアモンドが担当。 https://pic.twitter.com/TPoQo0Oyd2
 
フレディー・ヒューズ Freddie Hughes 2022年1月18日地元オークランドの病院で死去。78歳。コロナに罹患していた。1960年代からオークランド/サンフランシスコをベースに活躍したR&Bシンガー。息子のデリク・ヒューズがSNSで公表した。https://bit.ly/3Ko979a ハイトーンの持ち主で→
→1968年「Send My Baby Back」(R&B20位)のヒットを出した。https://bit.ly/3rwBIR6 その後も地元を中心に精力的に活動を続けていた。英ケントからのコンピ→https://amzn.to/3IeBl4k なお加州コンプトン出身のフレッド・ヒューズと混同されるが別人。
1月18日逝去したオークランドのR&Bシンガー、フレディー・ヒューズ Freddie Hughes の唯一のアルバムを中心にした英ケントの編集盤がさすがの出来で感嘆。12頁におよぶ詳細ライナー、ソロ以前のグループ音源まで収録。アリーサの「ナチュラル・マン」までカヴァー https://amzn.to/3KnrQ4C https://pic.twitter.com/PQiobuATqH
 
フレディー・ヒューズ死去~オークランド・ベースのR&Bシンガー|Soul Searcher @soulsearcher216 #note

#freddiehughes #フレディーヒューズ
フレディー・ヒューズ78歳で死去~オークランド・ベースのR&Bシンガー|Soul Searcher @soulsearcher216 #note https://note.com/ebs/n/n80be4e7122c3… #freddiehughes #フレディーヒューズ
 
先日逝去したオークランドのフレディー・ヒューズ追悼記事(ただし79歳と誤記)→https://bayareane.ws/3rVULo8 フレディーが歌うサム・クックの「チェンジ・イズ・ゴナ・カム」(2015年サンフランシスコで行われた「オーティス・トリビュート」のライヴ、約1分55秒あたりから→https://bit.ly/3G5gjUb
続・フレディー・ヒューズ Freddie Hughes ノーマン・コナーズが1977年にプロデュースしたヴァイタミンEの「シェアリング」でリードを取っていたのが、なんとこのフレディーだった→https://bit.ly/3KPwZT8 なんか、一度特集したくなった…。#RIPFreddieHughues
続・フレディー・ヒューズ Freddie Hughes イギリスのレコード会社、エイスのウェッブサイトに友人でケントでのコンピを編纂したアレック・パラオが追悼文を寄稿→https://bit.ly/3r2J8MH
 
〇続・フレディー・ヒューズ~全米にブレイクしなかったオークランドの類まれなソウル|Soul Searcher @soulsearcher216 #note

https://note.com/ebs/n/na72127f1830d



#freddiehughes #derickhughes #Oakland
 
 
シドニー・ミラー Sidney Miller 2022年1月20日までに死去。89歳。ブラック・ミュージック界初の週刊業界紙「ブラック・レイディオ・エクスクルーシヴ」を1976年に創刊。テレビ番組『ソウル・トレイン』同様多くのR&Bアーティストの発展に寄与した。https://bit.ly/3rApEOO 雑誌から発展し→
→定期的なコンヴェンション、BREアワード、ゴルフトーナメント、クラブ運営、初のブラック系でのサテライト・ラジオ番組開始など、数々の業績を残してきた。https://bit.ly/3ImkXi5 1932年12月13日フロリダ州ペンサコーラ生まれ。フロリダA&M大学卒。→
アトランタのキャピトル・レコーズの支社に就職、その後、業界の重鎮アーティ―・モーガルのところで音楽出版、さらにアーティスト・マネージメントなどを学び、独立。1976年、自宅などを抵当に入れ資金を調達、満を持してBREを創刊した。→ https://pic.twitter.com/lvptwLqqq7
個人的には僕は同誌を80年代初期から定期購読、BREコンヴェンションにも2度か3度行った。そこでデビュー前のテイク6のショーケースを見た。ミラー氏にも一度そのときか別のときに会った。日本からの原稿を送り掲載されたこともあった。RIP
 
モンテス・コールマン Montez Coleman ロイ・ハーグローヴなどのドラマー、2022年1月14日ミズーリ―州セントルイスの病院でうっ血性心不全のため死去。48歳。→https://bit.ly/3nQ4drN https://bit.ly/3AoePmE コールマンは1973年7月23日セントルイス生まれ。→
ロイ・ハーグローヴとともに複数回来日。2009年6月来日時の「トクズ・ラウンジ」でのセッション→https://amba.to/3rypszi 2010年2月のライヴ→https://amba.to/3IpwFZj モンテス・コールマン(約56分)ストリームライヴ→https://bit.ly/3GR9tDd https://pic.twitter.com/SczTnYyK3S
 
エルザ・ソアーレス Elza Soares 2022年1月20日老衰で死去。91歳。ブラジル音楽界最長老女性ミュージシャン、アーティスト。ブラジル音楽界のゴッドマザー。サッカー、ガリンシャ元夫人波乱の人生 https://bit.ly/3tPOo8w 1960年代からアルバム多数。
 
ミートローフ(本名マイケル[マーヴィン]・リー・アデイ)Meat Loaf 2022年1月20日テキサス州オースティンで家族に見守られながら死去。74歳。シンガー、俳優。「地獄のロック・ライダー」などヒット→https://bit.ly/3rIsKjN  BBC→https://bbc.in/33RYzhL コロナに感染していたらしい
 
ドン・ウィルソン Don Wilson インスト・ロック・グループ、ヴェンチャーズ The Ventures の創始者リズム・ギタリスト、2022年1月22日ワシントン州タコマで老衰で死去。88歳。https://bit.ly/3AmUNsO(写真左から2番目)1960年「ウォーク、ドント・ラン」が大ヒット。そのギター・サウンドが→
→後のロック・アーティストに多大な影響を与えた。ギター曲の定番に。日本でもグループ・サウンズに影響、大きな人気を獲得、その後近年までほぼ毎年のように来日コンサートを全国で行った。2ギター、ベース、ドラムスのシンプルな編成で独特のサウンドを確立→ https://pic.twitter.com/lEJvfl74UD
→グループはメンバー変遷が多数あり、ドン(左上)は2015年に実質上引退。オリジナルのベース、ボブ・ボーグルは2009年死去、リードギターのノーキー・エドワーズは2018年死去、初期メンバー、ドラムスのメル・テイラーも1996年死去している。この4人が核的メンバー。 https://pic.twitter.com/6VzITlzoIS
 
ルー・カートン Lew Kirton 2022年1月22日までに死去。詳細は不明。73歳とみられる。ウェッブサイト・ソウル・トラックスがゲイリー・ヴァンデン・バッシュからの情報として紹介した。https://bit.ly/3KA32qf  1948年3月2日(頃)西インド諸島バルバドス生まれ。1967年姉を頼って→
→カナダに。元々祖国では教会で歌っていた。その後ニューヨークに渡り、ドラマーとして活動を開始、サム&デイヴに認められ、ツアー・ドラマーに。1972年、ニューヨークのヴォーカル・グループ、インヴィテーションズに参加。シルヴァー・ブルー・レコーズ→
→「They Say The Girl Is Crazy」などの小ヒットを放ち注目された。その後ソロとしてマイアミのTKレコーズと契約、アルバムを出した。訃報に関しては昨年一度友人が誤報を出しており、まもなく撤回されていた。詳細、後送。
 
レイ・ガスキン Ray Gaskin ロイ・エヤーズ・バンドのサックス奏者、ソロとしても活躍。2022年1月20日までに死去。62歳。友人がSNSで明かした。https://bit.ly/33GyMtb 1959年7月18日メリーランド州バルティモア生まれ。サックス奏者として地元を中心に活躍。自身名義のソロ作品もある。→
ロイ・エヤーズ・バンドのサックス奏者。日本のフィリップ・ウーらとも、ロイ・エヤーズを通して親しい。ロイと複数回来日。これはそのときのライヴ映像の一部、サックスをレイが吹いている→


 
チャールズ・ミムズ・ジュニア Charles Mims Jr. 2022年1月25日死去。82歳。ロスを中心に活躍してきたアレンジャー、キーボード奏者、プロデューサー。息子のコーニー・ミムズがSNSで明かした→https://bit.ly/3tZMrpX パトリース・ラッシェンの数々のヒットなどにかかわってきた。
 
訃報 トニー吉田さん(本名吉田明裕)2022年1月10日虚血性心疾患のため死去。54歳 @TVAGE_official 広報部が報じた。音楽ライター。邦楽、特に昭和歌謡などに詳しくリサーチ・チーム土竜團(もぐらだん)を結成。多くのコンピ作品などの編纂にかかわった。作詞も。@TonieY0SHlDA (鍵付き) https://twitter.com/TVAGE_official/status/1487017616527048705…
 
ジミー・ジョンソン Jimmy Johnson 2022年1月31日死去。93歳。シカゴをベースに活躍していたブルーズ・アーティスト。→https://cbsloc.al/34rpLUE 1925年11月25日ミシシッピー生まれ。1958年からライヴ活動を積極的に行い、BBキング、バディー・ガイなどと共演した。
 
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【2月】
 
ダレル・クロックス Darrell Crooks 2022年2月2日までに死去。64歳。コロナのため。ロスをベースに活躍するギタリスト。1990年代から多数のソウル、R&B、フュージョン、ジャズ、ロックなどのレコーディングに参加。トニー・メイデン、シャカ・カーンなどで来日も。https://bit.ly/3IXIxSA →
アリ・オリ・ウッドソンのソロ・ライヴでもバンマス的な存在だったようだ。これはブルースアレイでのライヴ映像の一部→https://www.youtube.com/watch?v=p3EOUZJwXNs…
 
ダニー・ジェラード Donny Gerrard 2022年2月3日までに癌のためカナダのホスピスで死去。75歳。 https://bit.ly/3sphZ6q https://bit.ly/3J6adFa 1972年カナダでデビューしたスカイラークのリードシンガーとして「ワイルド・フラワー」を録音、73年アメリカでもトップ10入り。→
→ここにはデイヴィッド・フォスター、カール・グレイヴスなどもいた。同曲は名曲として多数のカヴァーが誕生。ダニーはその後ソロへ。ヒットはあまり出なかったが、エルトン・ジョン、ブルース・スプリングスティーン、シェール→https://yhoo.it/3LeeFnd
→などのバックコーラス担当。最近ではメヴィス・ステイプルズのツアー、録音などに参加。82年頃、ライオネル・リッチーが脱退したコモドアーズからその後釜にリードとして入らないかと誘われたが断ったという。https://bit.ly/3IZAZPe
スカイラークの「ワイルド・フラワー」→https://bit.ly/3LbeGYZ ニューバース→https://bit.ly/32YaIl8 ケイシー・ヘイリー→https://bit.ly/3gmRmcw リサ・フィッシャー→https://bit.ly/3Le2FSE
先日逝去したダニー・ジェラード(写真右)と一緒にツアーをしていたメヴィス・ステイプルズ(左)。ステイプルズのSNSに投稿された写真。


 
速報 訃報 シル・ジョンソン Syl Johnson 2022年2月6日までに死去した。85歳。シカゴをベースに活躍したブルーズ、ソウル・シンガー。https://bit.ly/3ov0oZl 「ディファレント・ストロークス」は多数サンプリングされた。ドキュメンタリー製作の話があった→

… 詳細後送
2014年7月来日時、LP6枚CD4枚のボックスにサインを頂きました。その時たしかボーディーズのロイさんも同じ物を持ってきてサインもらってた。 https://pic.twitter.com/EoxAIVhEEe
2015年制作約90分のドキュメンタリーは約600円弱で Vimeoでレンタル視聴可。字幕はなし。予告編→https://bit.ly/3Gufrst さっそく見てしまった。LP6枚CD4枚ボックス『マイソロジー』グラミーノミニー獲得。「成功したかって?」「したよ」「感謝してるかって?」

「もっとできるかって?」「Yes I Can(できるとも)」。「ディファレント・ストロークス」などがサンプリングされたことについて「いや、あれは盗まれたんだ。金を払ってもらわないと」 「グラミー、ポール、エルヴィスなんかと並んで候補に選ばれただけで嬉しいよ」 https://pic.twitter.com/nIS4yqrmp3
 
ジミー・ジョンソン Jimmy Johnson シカゴのブルーズ&ソウル・アーティスト。2月6日死去したシル・ジョンソンの兄。2022年1月31日死去。93歳。https://cbsloc.al/333Tlzl 1928年(昭和3年)11月25日ミシシッピー生まれ。十代の頃、叔父を頼ってシカゴに来て音楽活動を始めた。
 
マリリン・バーグマン Marilyn Bergman 「ザ・ウェイ・ウィ・ワー(追憶)」などの作詞家。2022年1月8日死去。93歳。https://bit.ly/3ovFmKa 夫のアラン・バーグマンとともに多数のヒットを送り出した。夫婦でオスカー3つ、グラミー2つを獲得している。https://bit.ly/3gsX3pt
 
ベティー・デイヴィス Betty Davis 2022年2月9日ペンシルヴェニア州アレゲニーで死去、77歳。自然死。https://bit.ly/3oF1mCB ブラック・ロック、ファンク・アーティスト。一時期マイルス・デイヴィス夫人。元モデル。60年代から70年代にかけて活発な音楽活動をみせた。→
→1964年ベティー・マブリー名義で「ゲット・レディー・フォー・ベティー」を録音。最近の『サマー・オブ・ソウル』でも歌われたチェンバーズ・ブラザーズの「アップタウン(トゥ・ハーレム)」などを書いた。1968年マイルスと結婚。→
→マイルスの『Filles De Kilimanjaro』のジャケットに登場。マイルスにロックの影響を与えたとされる。結婚は1年ほど。その後、スライのメンバーなどと録音。一般的な大ヒットにはならなかったが、カルト人気を得た  https://bit.ly/364fJd9
 
スティーヴ・サラス Steve Salas ラテン系ソウル・グループ、ティエラTierraのリードシンガー。2022年2月10日死去。癌を患っていた。70歳前後。グループのSNSが発表した→https://bit.ly/3HNgIMM 兄のルディーは2020年12月29日71歳で死去。→
→1960年代から地元で活躍、兄のルディーとエル・チカノに参加、その後二人で友人を集めティエラを結成。1980年、カサブランカ・レーベルの成功で当てたニール・ボガートのボードウォーク・レコーズからデビュー。→https://bit.ly/34yWDvk  →
→フィリー・ソウル、イントゥルーダーズの「トゥゲザー」をカヴァーし大ヒット。リードはスティーヴ。だが、ルディーとスティーヴが仲たがいしグループは自然解散。2000年代に入ってよりを戻してイヴェントなどで再結成していた。
→ 1952年9月20日生まれ69歳だった。この2年間ほど癌を患いここ数週間はコロナに罹患していた。ティエラの「ラ・ラ・ミーンズ・アイ・ラヴ・ユー」→https://bit.ly/3Luoj51 なおブッツィーらと共演するギタリスト、スティーヴィー・サラスとは別人。
 
スコット・エドワーズ Scott Edwards 2022年2月11日までに死去。70歳前後とみられる。盟友レイ・パーカーがSNSに出した。https://bit.ly/3sESKNz 70年代から80年代にかけて多くのソウル系レコーディングに参加したベース奏者。特にスティーヴィー・ワンダーのバックバンド、ワンダ―ラヴの→ https://pic.twitter.com/rRIC0JBF0a
ベース奏者。→一員として活動。スティーヴィーのライヴ、レコードなどにも参加。その線から1972年のシリータのアルバム、スティーヴィーの『トーキング・ブック』(「ユー・アー・ザ・サンシャイン・オブ・マイ・ライフ」)、タヴァレス、→
LAを本拠に活躍するベース奏者。→ グロリア・ゲイナーの「アイ・ウィル・サヴァイヴ」、ミラクルズ「ラヴ・マシン」、ドナ・サマー「バッド・ガールズ」ホール&オーツ「サラ・スマイル」などヒット多数。イギリスに同名のDJがいるようだ。
 
ハワード・グライムス Howard Grimes 2022年2月12日腎不全でテネシー州メンフィスのセント・フランシス病院で死去。80歳。https://bit.ly/3gFpCQD メンフィスのソウル・レーベル、ハイ、スタックス・レコーズを中心に活躍したドラマー。アル・グリーン、オーティス・クレイ、OVライト→
 →など多数のレコーディングに参加ツアーにも出た。1941年8月22日ノース・メンフィス生まれ。ジャズ好きの母親の影響で音楽に触れるようになった。祖父はカントリーを聴き、ハワードはブルーズも聴いた。デューイ・フィリップスの音楽テレビ番組に夢中に→
→1959年同地のシンガー、ルーファス・トーマスに誘われレコーディング。以後、メンフィスをベースに多くの録音、ライヴに参加した。ターニング・ポイントは1968年、ウィリー・ミッチェルのバンドに参加したこと。それまでウィリーのところには→
→アル・ジャクソン・シニアがいたが彼がスタックス専属になるので代わりに加入。ウィリーからは多くのことを学んだ。ウィリーがプロデュースする作品はほぼすべてハワードがドラムスを担当。アル・グリーンの「レッツ・ステイ・トゥゲザー」https://bit.ly/3LvKzvp→
→「アイム・スティル・イン・ラヴ・ウィズ・ユー」他、その他ウィリーがプロデュースする、OV、シル・ジョンソン、オーティス・クレイらの作品で録音に参加。メンフィス・サウンドの土台を作り上げた。しかし、80年代以降、ハイが売られ、スタジオ仕事がなくなると、→
→彼のキャリアも私生活も厳しくなり、一時ホームレスに、さらに生死を彷徨うことに。神の光の呼びかけに応じたところ、「よく言うことをきいた。お前を(現実世界に)戻してやろう」と言われ、生き返ったという。現在は彼の意思を後輩ボーケイズが引き継いでいる
 
アイヴァン・リートマン Ivan Reitman 映画プロデューサー、監督。2022年2月12日、カリフォルニア州モンテシートの自宅で就寝中に死去。75歳。1946年10月27日チェコスロヴァキア生まれ。4歳でカナダに移住。カナダで映画関連の仕事に。https://bit.ly/3GPz26L →
→その後、アメリカに移り『ゴーストバスターズ』などのヒットを放つ。同映画のレイ・パーカーが登場するミュージック・ビデオも作った。https://www.youtube.com/watch?v=Fe93CLbHjxQ…
 
チャーリーさん(本名大川由加利さん)、日本を代表するR&Bドゥーワップ・グループ、キング・トーンズ2代目ベースシンガー。2022年2月3日癌のため死去。63歳。葬儀は近親者で済ませた。家族が明かした。1960年内田正人が中心となり結成。チャーリーさんは、初代加生さんに代わり1983年参加→ https://pic.twitter.com/916APUh3jw
→キング・トーンズからはリーダー内田さんが2019年2月15日82歳で、同じく初代メンバー、セカンドテナーの成田邦彦さんが2020年1月31日83歳で、バンマスでドラマーの寺本さんも亡くなっている。現在は内田さんの弟子ジミー入枝さんがリードを務める。 https://pic.twitter.com/MmdgUnya41
 キング・トーンズ チャーリーさんは例の白川会に毎回成田さんとご参加されそのドゥーワップ好きを披露され、知己を得た。後輩の面倒見もよく慕われていた。それにしても、ここ1‐2年で多くの方が鬼籍に入り残念。安らかに https://amba.to/3pbaejJ
 
デイヴィッド・タイソン David Tyson 1993年からマンハッタンズのメンバーだったシンガー。2022年2月17日までに死去。62歳。詳細は不明。→https://bit.ly/3sSyWpI フィラデルフィア生まれ、兄は現在テンプテーションズのロン・タイソン。→
 https://bit.ly/3sSyWpI 現在、ジェラルド・オルストンとトロイ・メイと3人でマンハッタンズとして活躍していた。オリジナルのウィンフレッド・ブルー・ラヴットは2014年10月死去。実質的オリジナルはジェラルドのみに。マンハッタンズも1962年結成。
ダレル・クロックス Darrell Crooks 11/17/1956- 2/1/2022, 65歳。葬儀の予定など→https://bit.ly/3gTV1P8 https://twitter.com/soulsearcher216/status/1489568512070750213…
 
西郷輝彦さんが2022年2月20日都内の病院で死去。75歳。歌手・俳優「星のフラメンコ」 鹿児島市出身、前立腺がんだった。
#Yahooニュース
https://news.yahoo.co.jp/articles/1b574c64ade3cf64e80640345bd873dcfec9f2b8…
 
ゲイリー・ブルッカー Gary Brooker イギリスのロック・グループ、プロコル・ハルム Procol Harum のリードシンガー、創設メンバー。2022年2月19日癌のため家族に看取られながら死去。76歳。→https://bit.ly/3JQdU2e 「青い影(Whiter Shade Of Pale)」が1967年世界的ヒット→
プロコル・ハルム。「青い影」(邦題)は、日本の音楽シーンでも大ヒット、また、60年代後期以降のディスコでも、チークタイムの超定番として頻繁にかかった。ゲイリーは60年代初期にバンド活動をはじめイギリスの初期R&Bシーンの一角を担った。その後→
→プロコル・ハルムとなってからは、クラシックをベースにした壮大なロック作品を作るようになり、独特の個性を作り出した。ゲイリーのソウルフルなヴォーカルは、まさに「ブルー・アイド・ソウル」と呼ぶにふさわしいヴォイス。→
 →「青い影」2006年デンマークでフルオーケストラを従えてのもの→https://bit.ly/3Il3jvS バッハの「G線上のアリア」をベースに作った。レコード盤→https://bit.ly/3JMX1Fn  バンドはメンバーと音楽的方向性の違いで77年解散。→
→ゲイリーはソロに。同年、以前からの友人でご近所さんでもあったエリック・クラプトンのバンドに参加。バンドには81年まで在籍。その後、プロコル・ハルムを一時的に再結成した。96年映画『エヴィータ』出演。2003年大英帝国勲章のMBEを受章。
「青い影」その意味を探る~プロコル・ハルム~ゲイリー・ブルック(プロコル・ハルム)死去|Soul Searcher @soulsearcher216 #note




#garybrooks #procolharum #青い影
追悼。ゲイリー・ブルッカー(プロコル・ハルム)「青い影」。空耳アワー。「すきっ腹、パン、団子」(爆笑) https://twitter.com/mbcomeback1968/status/1499752198288207880…
 
【3月】
 
リチャード・プラット Richard Pratt フィリー・ソウルのブルー・マジックのベース・シンガー。2022年3月1日までに死去。70歳前後とみられる。1972年テッド・ミルズらとブルー・マジックを結成。「サイドショー」などの大ヒットを出した→https://bit.ly/3psS0u0 Blue Magic
リチャード・ドーソン・プラット Richard Dawson Pratt、SR. 6/30/1952 - 3/1/2022, 69歳。現地時間3月7日にノース・キャロライナ州の葬儀場で葬儀が行われた。ブルー・マジックのベース・シンガー。 https://twitter.com/soulsearcher216/status/1498688651718393862…
 
ティミー・トーマス Timmy Thomas 2022年3月11日までに死去。77歳。https://bit.ly/36dfblp 1972年にマイアミTKレコーズ傘下グレイズから発売された「ホワイ・キャント・ウィ・リヴ・トゥゲザー」が大ヒット。https://bit.ly/3w5mrKP これは、のちに多数サンプリングされた
「ホワイ~」は、まさに戦争が起こっている今にどんぴしゃの曲。戦争に行った息子を憂いた母親の目線で「なぜ一緒に過ごせないのか」と淡々と歌う。モノラルで録音され、オルガンとリズムボックスの音がひじょうに印象的だった。
 
トレイシー・ブラクストン Traci Braxton 2022年3月12日一年ほど前から罹患していた食道がんのため家族らに看取られながら死去。50歳。トニ・ブラクストンの妹(第3子)、姉妹5人で結成したブラクストンズの一員。アメリカ東部メリーランド州1971年4月2日生まれ。両親が教会の牧師だったこと→ https://twitter.com/tonibraxton/status/1502688263567339522…
→から、幼少期から教会でゴスペルに親しんだ。ブラクストンズ兄弟姉妹は上からマイケル(男性、1968年生)、トニ(67年生)、トレイシー(71年生)、トワンダ(73年生)、トリナ(74年生)、テイマー(77年生)。トニがデビューしその後姉妹がデビュー→
https://cnn.it/36dHyjc トニがラフェイスの元からデビューし大ブレイク。トレイシーも2014年『クラッシュ&バーン』でソロデビュー、R&Bアルバムチャートで11位を記録。2018年2作目『オン・アース』リリース。また2011年からいわゆるリアリティー→
→テレビ・ショー『ブラクストン・ファミリー・ヴァリューズ』に出演。これを機にテレビ、ラジオ、さらに映画などに進出した。https://bit.ly/3vXOBaF
 
松村雄策さん。2022年3月12日死去。70歳。雑誌「ロッキン・オン」を渋谷陽一さん、橘川 幸夫さん、岩谷宏さんらと1970年創刊。音楽評論家。しばらく癌を患っていた→https://bit.ly/3wkgn1p 渋谷さんの追悼コラム「社長はつらいよ」→https://bit.ly/3w4xvrz ビートルズに関する著書など多数。
 
バーバラ・モリソン Barbara Morrison 2022年3月16日死去。72歳。ジャズ・シンガー。1949年9月10日イリノイ州イプシランティ生まれ。1973年ロスに。ジョニー・オーティスのバンドに参加。ジミー・スミス、ジェームス・ムーディー、グレイディ・テイトらと共演。https://bit.ly/3ibTnt5 https://pic.twitter.com/50T4xe60IE
1986年フィリップ・モリス・スーパーバンドでカナダ、オーストラリア、日本などをツアー。1995年エラ・フィッツジェラルド・トリビュートなど。日本のポニーキャニオン(PCH)からも1990年CDを出した。https://bit.ly/3MVT9Es https://pic.twitter.com/GP2LxNfYMK
 
エリック・マーキュリー Eric Mercury カナダ出身のR&Bシンガー/ソングライター。2022年3月14日、トロントですい臓がんのため死去。77歳。

https://bit.ly/3wkIuxa


 「エレクトリック・ブラック・マン」のニックネームで知られる。1944年6月28日トロント生まれ。7人兄弟の末っ子。→
父の教会で幼少時よりゴスペルに親しんだ。その後トロントのミュージシャンたちとバンド活動を開始。その中にはザ・ソウル・サーチャーズという名のグループもあった。(サセックスのグループとは同名異グループ)同地のブレンダ・ラッセルはその前座も→
→1968年ニューヨークに移住。69年アヴコと契約、アルバム『エレクトリック・ブラック・マン』発売。その後71年スタックスに移籍、アルバム2枚発売、75年メジャーのマーキュリーでアルバム1枚、81年キャピトルでLPを出した。ソングライターとしても→
→活躍。特にロバータ・フラックとのコラボは大成功。エリックがスティーヴィーとともに書いた「ユー・アー・マイ・ヘヴン」はロバータで大ヒット。1975年の本人名義アルバム全10曲。→https://bit.ly/3ucjFkh 他に85年『マーク&モンク』も。
「You Are My Heaven」→https://bit.ly/3Jrw5LN Roberta Flack & Eric Mercury - 「Our Love Will Stop The World」→https://bit.ly/3qiNq21 マイケル・ジョーダンが映っているゲートレードのCM曲も→https://bit.ly/36pPiid
 
ジョン・バーンズ John Barnes LAをベースに活躍するキーボード奏者、アレンジャー。2022年3月19日までに死去。娘のクリスティンさんがSNSで明かした。昨年1月から体調を崩し最近は入院していた。70歳代前半とみられるが、3月18日が誕生日だった。4人兄弟の長男としてLAのワッツ地区に誕生→ https://pic.twitter.com/07WNSOZPK9
→幼少期から楽器に触れ、19歳でカリフォルニア州立大学で作曲音楽理論などを学んだ。1970年代初期、モータウンのスタジオで仕事開始。作曲家、アレンジャー、プロデューサー的な仕事をし、ミラクルズ、ビリー・グリフィンなどをてがける。マーヴィン・ゲイの→
→『アイ・ウォント・ユー』(1976年発売)の録音時、ジョー・サンプルが参加できないときに代打でローズを弾き、これが好評を博し、以来多くのキーボード、ピアノ・セッションに参加するように。1982年マイケル・ジャクソンと知り合い、1986年発表の→
→ディズニーランドで公開された『キャプテンEO』の録音に全面的に参加。さらに、続く『バッド』でもキーボード、アレンジなどで参加し、同作品の音の骨格を作ることに大きく寄与した。さらに、バッド世界ツアーのサウンド面で協力(ツアーには帯同せず)→
その後もマイケルとの関係は続いた。個人的にはバハイ教を信じ、バハイ・クワイア―を指揮、またヴォランティア活動にも盛んに参加。アガぺ国際センターにも参加。1970年代から80年代、90年代の無数のレコーディングに参加。モータウン系、A&M、CBS→
→などヒット曲多数。特筆すべき作品は「ウィ・アー・ザ・ワールド」、グローリア・ゲイナーの「アイ・ウィル・サヴァイヴ」、マーヴィン「アイ・ウォント・ユー」、ジャクソンズ、ジャネットの最初の2枚、ロバータ・フラックなど。
We Are The World -

I Will Survive →

 I Want You→https://bit.ly/3wmnGWg BAD→

R&Bからポップ、クロスオーヴァーまであらゆるセッションに参加していた。
〇ジョン・バーンズ死去~マイケルの『バッド』ほか多数のセッションに参加したキーボード奏者、アレンジャー|Soul Searcher @soulsearcher216 #note https://note.com/ebs/n/n1d8a637f840f… #johnbarnes #AORSTS #michaeljackson
 
ラショーン・ペース LaShun Pace 2022年3月21日アトランタで腎臓疾患で死去。60歳。ゴスペル・シンガー、ソングライター。5年ほど透析を受けていた。https://bit.ly/3IubZiF アノインテッド・ペース・シスターズからソロに独立。グラミー候補、ステラ賞受賞。→ @OfficialLashun  →
父が牧師、1990年のソロデビュー作『He Lives』から「I Know I've Been Changed」がヒット。https://bit.ly/3qlxwnd またこれが最近ティックトックでブレイク→LaShun Pace - Act Like You Know→https://bit.ly/3tucpkU @OfficialLashun →
ラショーンは9人姉妹の5番目。この2年でペース家では3人目の旅立ち。長女デュラニースが昨年、母ベティー・アンが2020年死去。ペース姉妹は(Duranice, Phyllis, June, Melonda, LaShun, Dejuaii, Leslie, Latrice, and Lydia)で7人がラショーンを送る。
 
テイラー・ホ―キンス Taylor Hawkins 2022年3月25日急死。50歳。死因などについてはまだ明らかにされていない。フー・ファイターズのドラマー→https://bit.ly/3DbH4GT 4月3日(日=日本時間4日)のグラミー賞で演奏する予定だった。https://bit.ly/3IEPeZl
 
大伴良則さん。2022年3月23日21時頃、腹部大動脈破裂で死去。73歳。音楽評論家。プロデューサー。1948年12月20日京都生まれ。1975年からFM雑誌などで音楽評論家として活動開始。FM番組の制作にもかかわり、伝説となっているNHK-FMの『クロスオーヴァー・イレヴン』の選曲・構成者の1人に。→ https://twitter.com/IWATAYUKIO/status/1507699582486020098…
→70年代中期以降、洋楽のライナーノーツなどを多数執筆。ポップ、ロック、ソウル、R&B、ワールド・ミュージックなど幅広い音楽ジャンルに健筆をふるった。70年代同じく音楽ライターとして活動を始めようとしていた岩田由記夫さんと音楽ライター事務所/プロダクション →
→「ピンクタンク」を立ち上げ、同社は現在も岩田氏の事務所となっている。しばらく前から洋楽カヴァーのCDをプロデュース、さらにそこから発展し、2021年からトーク&ライヴイヴェントを開催、同年12月目黒のライヴハウスで行われた。→
→2020年2月11日、NHK-FMで生放送された『アリーサ・フランクリン三昧』(DJピーター・バラカン、吉岡正晴)のゲストとして約1時間出演した。(写真は2021年12月のライヴで、そのときは @zooco1225 らがライヴ、大伴さんがトークで登場) → https://pic.twitter.com/XrEMMexARH
あまりに突然で、3か月前にお会いして元気だったので、いまだに信じられない。大伴さんとの思いでで一番強烈なのは1992年6月のマイケルの『デンジャラス・ツアー』の初日をミュンヘンで一緒に見たときのこと。ライヴもすごかったが、大伴さんを含め大勢でランチに行き、→
→ランチだというのに、4時間以上お話をしながら、食べて飲んでしていて、もうそろそろディナーの時間になるんではないか、となったほど。音楽の話は特に無尽蔵で尽きることは決してない。時々、電話をいただき、いろいろ話たりするのが実に楽しかった。改めて、書きます。
大伴良則さんの奥様ひとみさんのコメントがこちらに掲載されています→https://decembers.tokyo/ https://twitter.com/inojo1/status/1507995627820843008…
 
キース・マーティン Keith Martin 2022年3月26日までにフィリピン・ケソン市の自室で死去しているのが発見された。55歳。ワシントンDC出身のR&Bシンガー。https://bit.ly/3iE3ozx 死因は事件性も含め捜査中。1995年ソニーから『イッツ・オーヴァー・デュー』リリース。長くフィリピン居住。
 
ドナルド・タビー・ショー Donald "Tabby" Shaw (伝説のレゲエ・グループ、マイティー・ダイアモンズのリードシンガー)2022年3月29日夜ジャマイカ・キングストンでドライヴバイ・シューティングで射殺。67歳。タビーの息子のトラブルに巻き込まれたらしい→https://bit.ly/3wTAWBT →
→彼が住むエリアは二つのギャング団の抗争があり、現在殺人罪で収監中の息子への復讐で父親が狙われたという。マイティ―・ダイアモンズは1969年結成のヴォーカル・トリオ→
アメリカのモータウンなどのソウル・ヴォーカル・グループの影響を受け振り付けなどもこなしジャマイカのレゲエ、ロック・ステディ―などと融合した音楽を作った。アルバム多数、一時期、ヴァージン・レコーズと契約。
 
 
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