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人の気持ちを考える人、考えない人

9月に入って、まだ1回も書かないで数日過ぎてしまった。これくらいの予定が入っていたくらいが心も安定するはず、と思っている。
思えば先月は宝くじを定期的に買うぞ!と思っていて、毎回地域宝くじを1~2枚買っていた。100円~200円分を一粒万倍日や寅の日を気にして、縁起のいい日に買っていたのだけれど、9月に入ってから縁起のいい日を調べることも忘れて、今日ふと宝くじ売り場の前を通った時にああ~先月は、と気づいた。そんな日々を過ごしています。

さて、人の気持ちを考える人、考えない人について、こんな言葉を目にした。

どうして人の気持ちを考えられる人が傷つけられ、人の気持ちをあまり考えられない人が生きやすそうにしているのか。

これ、全くその通りと思っていて、「人の気持ちを考えられる人」は気持ちを考えれば考えるほどその人に対して何もしない方がいいのでは、言わない方がいいのではないかと思ってしまう。わたしはこのタイプの人間だからこそ、この言葉にひかれていってしまってるのだと思う。

対して、「人の気持ちをあまり考えない人」は、後から誰からも信用されなくなり、将来的には孤独にさいなまれることになると信じている。この「人の気持ちをあまり考えない人」とは、ものすごく極端に言えば、人に危害を加えるような事件を起こすような人になるのかもしれない。わたし達はニュースで事件を知る。もうその頃には、周りにこの人は…と存在を知らされていて、信用されていない未来の状態なんだろうなと思う。
その前の状態、人に危害を加えていたり、もしくはそれをしようとする寸前の心の状態は自由で生きやすい状態になっていると思う。そうでないと、その大胆な行動はとれないと思うから。

「人の気持ちを考える人」「人の気持ちを考えない人」その周りに対するこころの広さと、他人に知れ渡る人数の多さを高さにする。わたしはその体積(報復の度合いや与えられる運)は一緒だったらいいのにと思っている。

心の広さを面積、高さをその人が他人に知れ渡る高さとして表してみた。

二つの支柱のうち、左が「人の気持ちを考える人」右が「人の気持ちを考えない人」を表現した。体積が一緒なら、「人の気持ちを考える人」はどっしりと安定はしているけれど、その存在は知られていない。「人の気持ちを考えない人」は高さがあるけれど、面積というこころの広さが狭いから、いつ倒れてもおかしくないという感じ。

この、「人の気持ちを考えない人」の細長い支柱は、事件で逮捕されたり周りに知られて信頼を失ってしまった時に倒れてしまう。そうなれば、今度は細長い一本の柱が倒れている状態になるのだけれど、そのときにはいくらか心の広さは広くなっていることになる。まるで反省して心を入れ替えたかのように。
それでも高さは積みあがっていない。新しく心を入れ替えたことがあまり知られていない状態になっているから。

人の気持ちを考えられる優しい人は心が広く地面にしっかりと立っている。だから、心を傷つけられても、人の気持ちを考えられない人のように、一転して信用を失うといったことが無いよう平穏な日々を送れるようになってほしいと思うのです。



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