Twitter。

僕の生活に占めるTwitterの割合はそこそこ大きいと思う。

朝起きてまず確認するのはTwitterだ。昨日寝落ちして聴けなかったラジオの流れが分かる。ある意味ネタバレだが、そこまで気にしない。少しスライドすれば、大学教授が政治批判をしている。ほぼ毎日特定の党を批判しているから、心の底から主義に合わないのだろう。そういえば、「人と話す時、宗教と政治、あと、野球は話題に挙げない方が良い」ということを聞いたことがある。

昼の空いた時間にも気づけばTwitterを開いている。一種の病気だな、と思う。タバコじゃないだけマシか。その内、タバコを吸いながらTwitterを確認し始めたりするのかもしれない。ちなみに1本も吸ったことがないが意外と医者も医学生も喫煙者がいる。ストレス、溜まるんだろうな。画面を見ると同級生が意味深なことをつぶやいている。何かあったのだろうか。みんなにそう思わせるのが目的でつぶやいているとすれば相手の方が一枚上手だな。いや、それよりも別の同級生がつぶやいていた、期限が迫りつつある課題に意識を集中させなければ。ありがとう、と画面越しに感謝する。いつか対面で言わなければ。大丈夫、まだ猶予は2.5年ある。

夜。ベッドで寝そべりながら画面をスクロールする。今日も贔屓チームは負けたようだ。弱いけどなんかクセになるんだよな、このチーム。エースも4番もいるのにどうしてこんなに勝てないんだろう。そうかと思えばまた芸能人が炎上している。そんな深い意味を持ってつぶやいたのかな。

誰もが発信できる「言葉が軽い」時代だ。

自分の主張があれば、いくらでもできる。匿名性であればそこにいる明確な責任者の所在を掴むのは難しく、誹謗中傷はお手の物、いくら他人を攻撃しようとも「他にも批判している人がいる」。数日前にはAという意見を言っていたのに、気づけばBを主張しているなんてザラだ。

SNSの発展によって社会の許容範囲は広くなったが個人の許容範囲は狭くなった、と言えるのかもしれない。自分にとって都合のいい情報を、都合のいいように解釈して、都合のいいように発信する。言葉の暴力は目に見えない分だけ、余計にタチが悪い。「無視すればいい」は暴論だろう。マイノリティーに目が向けられるようになったという利点、悪事が公に晒されることが増えたという利点といったいどちらが目立つのだろう。

「嘘を嘘と見抜ける人でないとインターネットを使うのは難しい」

某モノマネ芸人が、モノマネ主の知識が足りないと叩かれている。

彼は、叩かれるほど悪いことをしたのだろうか。





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