見出し画像

ありふれた日の幸せに気づけた貴重な10年

10年前のことは秒単位で覚えています。昨日のことのようなのに、今の32歳以下の方は社会に出ていなかったのかと思うとその月日を感じます。東日本大震災は私たちの価値観と人生観を大きく変えました。そしてコロナ。平和で穏やかな日々が永遠でないと気づけました。努力や勉強ではどうしょうもないことがあるのです。それでも受けて入れて私たちは生きて働いていきます。

新しい家族が増えて、昼間はその子が学校に行き、お父さんとお母さんが仕事に行き、年寄りが地域で集まり、夜は灯りの下でご飯を食べてみんなでそれぞれの布団に寝て、店にはモノが溢れ、たまには一緒に外食をして、街の桜を愛でて季節を繰り返す。こんなありきたりだけど普通の日々が宝物だと気がつけた10年でした。そしてコロナはまだまだ続きます。ヒトとは会えず、ヒトとは集まれず、でもそれでも工夫して生きていきます。

東日本の大震災の数日後、ホテルのカフェの隣の席で「被災地にバスでピストンでヒトを送りこめば儲かるぜ。いろんなモノも拾えるし」という話をしていたおじさん2人組の卑しい顔を今も覚えています。お金のためには何でもやる人でした。一方でそこにある命を、そこで暮らすヒトを何とかしたいと思った世界じゅうの方の優しさに触れることもできて感動したのも覚えています。そして私にとっては福島のクライアントを通して被災地に何かできないかを考えた10年でした。そしてこれからも続きます。

ヒトの良心とはとても偉大なもの。自社のノルマのために誰かにウソをついたり、勢いで契約させてしまう仕事ならばもしかしたら時代と合わなくなっているのかもしれません。それを続けていると心が病んでしまいます。この10年はそれが顕著に出ましたね。

ワクチンがいつ打てるのかもわからず、リモートワークが来年以降どうなるのかもわからず、正社員が業務委託なるかもしれず、かつ国内外の感染だけでなく経済や雇用の先行きが不透明。不安になるのは仕方ないかもしれません。

自分を守るのは自分。自分を幸せにするのも自分。「読んで頂きありがとうございました。皆さんがこれからの10年が幸せで自分らしくいられることを望んでいます。

10年前のあの日、会社の前の駒沢通りに帰宅難民が溢れヒトがゾロゾロと歩いていました。ビルの3階からその方を見ていてなんでその方に声をかけてトイレを貸せなかったのかと今も後悔しています。

なので今は会社にも水や缶詰のパンは潤沢にストックして誰でも受け入れられるようにしています。何人かは泊まって頂けると思います。自宅でも水とトイレットペーパーと食糧と電池は常にかなりストックしています。それが広島の災害のときに役に立ちました。このようにお互い様は続きます。

この記事が参加している募集

#noteでよかったこと

48,399件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?