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ノブナガが地理に異様にこだわったように見えるのは?
ノブナガが地理に異様にこだわったように見えるのは?
私の住む「尾張」は現在の愛知県西部です。
尾張は昔は「烏波利」と書いたとのこと。
カラス・ナミ・トシ・とおめでたいのか
そうでないのかわからない表記です。
ノブナガが「清州」(信長公記)生まれで
犬山城や、津島湊、熱田、長島に
めちゃくちゃこだわって
「わがもの」にしたのもうなずけるほど、
海中・水運の土地だったんですね!
今は清須になっていますが、両方とも
使われていました。
「ヲ・ハリ(小針)」で
「ハリ」は「墾」で土地を開くこと。
「ヲ」は接頭語で、「小」をも意味し、
「小さい開墾地」の意味。
・ 尾張は奈良からの移住者由来の地名。
・ 大和国葛城郡に高尾張という集落があった。
ここから、今の愛知県に移住した人達を
尾張_連(おわりむらじ)と呼ばれ、
それに由来して地名になった。
・ 尾張: 開墾された土地と言う意味。
養老元年(717年、養老年間とも)のものと
いわれる尾張古図をごらんください
![](https://assets.st-note.com/img/1706075105624-7Dwz9p31Eb.png)
はじめてこの古図を見た私は、
ドキッとしてしまいました!
尾張古図には現在の濃尾平野にあたる部分が
描かれていますが、
その濃尾平野の大部分が海中に没していて
「中島郡」や「津島」、
「ビハシマ=枇杷島」など、
地名に「島」とつく地域などが
わずかに島として海面から
顔を出しているように描かれているのです。
尾張の90箇所の名所を銅版画で描いた
明治時代のガイドブックともいえる
『尾張名所圖繪』(宮戸松斉/著 明治23年)の
巻頭にある「尾張古圖」もその写しらしいです。
![](https://assets.st-note.com/img/1706075181546-0zIeqK5dmN.png)
やはり濃尾平野の大部分が
海湾として描かれ、現在の名古屋辺りには
「浪越=ナミコシ」「アツ田=熱田」、
「ゴキソ=御器所」、「八マン山」
などの地名が見えます。
スサノオの天叢雲剣は熱田神宮にあるし、
なにか御神徳のたかいところだと
尾張地方を誇りに思っているの。
私は「下津」にいるんですが、
家を建てるときに市の調査員が来て
土地から「土器や貝塚がでたら、建築は
難しいことになります。」といわれたことを
思い出しました。
町の歴史にも「かつては海だった」と
書かれていましたが、名古屋港までは
30キロぐらいあるし
まさか、ここが海だったなんて!と
思っていましたが、古地図を見て納得。
縄文時代から人々が暮らしていたところに
大和朝廷の一族の「尾張氏」系が移住してきた。
そして、このかつては海中都市だった
尾張の「水運」での物流のインフラが
難波の堺みたいに整っていた。
![](https://assets.st-note.com/img/1706075242728-EHvllELc2K.png)
いまは陸続きのこのあたり、
名古屋が中心になっていますが、
やっぱり「尾張」がなんだかしっくりする。
そして、田舎者とバカにされても
「尾張小牧」ナンバーの車に乗りたいし、
岐阜・濃尾平野・美濃・儀長・大和などは
好きな地名とか呼び方。
うちの近所も雅な読み方が多く
「陸田」で「くがた」
「下津」で「おりづ」
なんて大和風。
あと、読めない地名も多いの。
毛受と書いてメンジョと読んだり、
起と書いてオコシ
甲新田宮浦はカブトシンデンミヤウラ
生出本町はハイデホンマチ
キリがないけれど、地名にも
魅力を感じます!
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