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生きたまま心臓くりぬき<古代アステカの生贄>はヤバッ!

生きたまま心臓くりぬき<古代アステカの生贄>はヤバッ!


東京国立博物館のブログでは、
メソアメリカ文明と向き合う重要な要素の一つに、
人身供犠(じんしんくぎ)、いわゆる生贄があります。

現代のヒューマニズムの観点からすると、
眉をひそめてしまう習慣ですが、
当時の人々にとっては、
社会の安寧秩序を保持するために、神々だけでなく
自らをも犠牲にしなければならないという、
信仰に支えられた儀式でした。

とあるの。

うへぇぇぇ!

その一方でレムリアンたちの歴史としては、
『日本書紀』に、垂仁天皇の皇后
日葉酢媛(ひばすひめ)の死に際し、


生きたまま墓の周囲に人柱する人間や馬の代わりに
「埴輪」を代用することを
豪族の野見宿祢(のみのすくね)が進言した
という埴輪の起源説話が記録されています。


この帽子がユダヤ人の証拠という説もあるみたい。

形象埴輪の起源が、この説話の通りでないことは、
現代の日本考古学が証明していますが、
神に捧げる対象が生身の人間や動物から
「モノ」に移行したことは重要です。

この現象は、日本だけでなく
世界各地の王墓でも知られているからです。

その代表例が、
秦始皇帝陵に付属する兵馬俑坑です。

地下宮殿を守護する写実的に造形された衛兵たちは、
それ以前の殷代の王墓で生贄を土壙に投げ込んで
神に捧げていた段階よりは、
はるかに進化した社会のように見えなくもありません。

生贄の消滅は、現代のレムリアンの私たちにとっては
喜ぶべきことのように見えます。

レムリアでは残虐性と思える「生贄」と「食人」
メソアメリカ文明じゃ、これがつながっていた!

今までの研究でわかっているのは、食べられる人間は、
主に儀式で「生贄」としてささげられた人たちでした。

このように心臓取り出されてからスープに!


太陽にささげる生贄として、メソアメリカ文明では、
広く「生贄」の文化がありました。

その背景には、人々にとって最も大切な
「太陽」の存在が関係します。

当時の人々にとっての一番の恐怖は、
太陽がなくなってしまうことでした。

かつてメソアメリカでは、人の「血液」と「心臓」は、
太陽のエネルギーの元だと信じられていました。

そこで、人々は
太陽がいつまでも輝いてくれることを祈って、
民衆の中から生贄を選び(どうやって?)
その人の血液と心臓を太陽にささげました

心臓が置かれたチャックモール像っていう
生贄の心臓を置く石像まで作られていたんです。

チャックモール像の腹部からは人間の血液が検出され、
心臓が置かれていたことがわかっています。

チャックモールは、メキシコシティにある
「国立人類学博物館」で見ることができます。

生贄の儀式は、ピラミッドの頂上などの
とても高いところで行われていたようです。
生贄はそこまで連れていかれ、
生きたまま心臓を取り出されます。

もちろん、麻酔とかもまったくナシです。

心臓をとりだされても人は少しの間生きられます。
10秒ぐらいだと思いますが、生贄になった人たちは、
自分の心臓を自分で見ることのできた
唯一の人々なんだそうです。
Codex Magliabechiano(マグリアベチアーノ古文書)

そのあとで生贄の体は、心臓を取り出されたあと、
ピラミッドから転げ落とされます。

ピラミッドから落ちきったあと、ミンチにされて
生贄の肉はトウモロコシと一緒にスープにして、
参列者たちにふるまわれました。

これが、アステカの人々の「食人文化」です。

そのスープは、アステカの人々にとっては、
とても神聖な食べ物とされていたそうです。

生贄のスープを食べることで、
人々は太陽のパワーを得ると考えられていたから。

人肉って、どんな味なのでしょうか?

実は、今も食べられている
メキシコの伝統料理の「Pozole(ポソレ)」はその名残。
なんと現在でも食べられているメキシコ料理です。

もちろん今のポソレは、豚肉が使われています。
なぜかというと「豚肉が最も人肉に近い味だから」らしい。

宣教師たちによるアステカ帝国の記録によると、
「人間の肉はうまいものではない」と書かれていたそう。

しかし、これも文明のひとつだったというだけ。
私の好きな「陰謀論」では、今も隠れて
そういうことをしている身分の高い方々
いるともいわれています。

私もこんなこと書いてチョット身の危険を
感じたりしています。


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