『エビス・ラビリンス』試し読み(11)

「地下を流れる」 池田健太郎

 二人であの水に流れていく心地はどんなものだろうとこれまで流してきた鳰川斐美の部位を思い出しながら、テーブルに置いた彼女に化粧を施す。要領は全く分からないので、精々元の顔立ちを台無しにしない最小限の粉飾に留めていた。死斑を覆い隠すためのファンデーションと口紅を塗り、櫛で髪を梳かしてやる。口紅は淡い色を使った。
 化粧をされる前の彼女は扼頸によって鬱血した顔全体に青紫の斑点が浮かび、首筋にはいまもなお私の手の索痕が残っている。あの暗渠に放った、乾燥して潰れた眼球はなおも憎悪とともに流れているのだろうか。殺す寸前まで目を見開いていたがために角膜は濁っていたので、それを判別する事は出来なかった。トケイソウを抜いて、瞼をめくって見れば、結膜は溢血点が散在し、破裂した毛細血管から噴き出た微量の血が凝固していた。    
 私は彼女を抱えて玄関から家の裏へと向かう。もうじき夜が明ける。
 
 

 はじめは猫だった。小学生の時、自転車で猫を撥ねた。町は路地が入り組み、坂が多かった。その坂を下る時に猫を撥ねた。アスファルトに転がった猫は赤朽葉の毛並みで、首輪をしていた。首輪にはネームプレートが貼られ、撥ね飛ばしたそれの名前を示していた。腹にはタイヤ跡が残っていた。ただし、その跡は幅が広い、自動車の。鉄の塊と五キログラムに満たないだろう肉の衝突により、猫の眼球は破裂し、紐状の赤い神経筋が眼窩から垂れていた。四つ脚も部分的に皮が剥がれ、真直ぐに硬直していた。鼻頭は潰れて白い骨が見え、首は鈍角に反り返っていた。
 私が撥ねなければあと数十分は息をし、こと切れた後は自動車による轢死体として残っていたかもしれず、或いは私が通る前にもう事切れていたのかもしれない。しかし屍体を見た私は、自分がやったのだと誤解する。この現場を見かけた大人が、「きみが殺しんだね」とわたしの素っ首を?んで警察署か学校に引きずる光景までもが容易く連想された。この猫の飼い主に罵倒されるイメージも相俟って、私の呼吸は乱れる。
 屍体を籠に放り、家の裏へ向かった。格好の隠し場所があった。裏をはしる道路の左右は蓋掛け式の側溝が並び、その一箇所には蓋が掛けられていなかった。取り去られたのか元から無かったのかは分からない。しゃがんで穴を覗けば直径六、七十センチメートルのコンクリートの円管が伸びている。苔むしたその管を父親に尋ねたことがあった。
??家の裏のドブってあれ、どこに通じてるの。
??工場、だったかな。今はもうないね。でもありゃ、ドブって言うよりは暗渠だね、地下の用水路。三田用水って呼ばれてたかなたしか。
??何に。
??家からあの道出て、右の方の坂登ってそのまま真直ぐ行ったらガーデンプレイス、あるだろう、あそこ元々はビール工場でね、エビスビールの。恵比寿がそもそもビールの出荷のためにあった土地なんだけど。で、暗渠で工場まで運んで、むかしはその水使ってたんだよ、水質が良かったから。今はもう何にも流れちゃいないけどね。
 自転車から降り、この管の奥に押し込もうとかがんだ。水が流れていた。透いた水が管の半分ほどの嵩でゆったりと流れている。あのとき父親と交わした会話を思い出すよりも前に死骸を放り込んだ。夜、猫は今どのあたりを流れ、どこに放流されるのかという疑問に行き当たり、翌日は学校に寝坊した。
 その週の土曜日に水流を辿ってみると、あのときの水はガーデンプレイスとは逆の方向を流れており、しばらくすると行き止まりにぶつかり調べようがなくなった。今度は水源を見つけようと流れとは反対方向を言ってみたが、同じ結果だった。
 水は、流したいものを持っているときだけ流れていた。管の径に収まるものだったらなんでも流し、その後は行方知らず。調べればどうやら、父の云っていた三田用水は一九二〇年代に暗渠となり、様々の分水となってこの町だけでなく恵比寿の各所を走っていたらしい。苔と雑草のみが繁茂し、もう水は一滴すら流れていないはずのあの暗渠。この恵比寿の地下に張り巡らされたその管を這い、流れている流動体。
 少年時の多くの記憶は雑多な不用品として埃を被ったが、結果としてこの記憶は私の脳に住み続けた。
(続く)