『文章講座植物園』試し読み 葱山紫蘇子「その掌の熱は」

葱山紫蘇子「その掌の熱は」より抜粋。
ミニシアターで働く青木ゆずりはある目的の為に舞台挨拶の打ち上げ会場へ駆けつけた…。

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 逃すと、こんなことは二度とない、たぶん。
 勤め先であるシネマ・ウィスタリアのレジ締め作業をそこそこに切り上げ、残務を後輩に託し、目と鼻の先にある鍋屋このしたへと、青木ゆずりは急いで駆けつけた。草色の暖簾をくぐり酔客で賑わうテーブル席を通り抜け、女将に会釈をして二階の広間へ駆け上がる。二十畳ほどの座敷には四十人弱の男女。皆、シネマ・ウィスタリアの客や関係者だ。それぞれの座卓には、このした自慢の野草鍋がぐつぐつと煮詰まっていた。
 野草鍋は先代店主が、戦後まもない食糧難の頃、かろうじて畑に残っていた伝統野菜のシロナと、近くの土手に生えていたノビル、ヨモギ、ハコベなどの、とにかくその時に手に入る野草や食材を手あたり次第かき集めて作った鍋料理を由来にしている。時代が下り、今は野草の代わりにニラ、春菊、白菜、モヤシなどの野菜と豚肉を鍋にうずたかくてんこ盛りにして煮るのが、見た目にも面白く、安くて味も良いと評判で、シネマ・ウィスタリアでイベントがあった時の打ち上げは、いつもここでと決まっていた。
 ゆずりが広間を見渡すと、ウィスタリアの社長が上気した顔で締めの挨拶をするところだった。

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続きは『文章講座植物園』にてお読みいただけます。

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