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『文章講座植物園』試し読み 不知火黄泉彦「だれもがかつてはだれかのこども」

不知火黄泉彦「だれもがかつてはだれかのこども」より抜粋。作品ごとに異なる挿画もお楽しみください。

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 生家には仏壇がなかったからうまく想像できないけれど、子供の頃、ママがおにぎりを作ってくれたときの握る直前の、てのひらに載せたごはんのかたちになら似ている。
(略)
 どちらからともなく手を繋ぐ。霧雨か、汗か、絡ませた指の間に温かな湿度を感じたママは昨日の夜を想い出す。腰の奥にかすかに、でも、たしかにまだ残っている異物感とも倦怠感ともつかない名残は、けれどむしろ誇らしさにも似て、自由な左手でそっと臍のあたりに触れると途端に恥ずかしくなり、おもわず火照るように熱くなった頬を掌で仰ごうとしたら心の中が丸裸になってしまいそうであわてて、でも、ゆっくりと、中途半端に挙げてしまった手でその奇妙な樹を指差した。あっちに行こう、と言おうとする呼気までが熱く感じられ、それを隠そうとして小さく震えた声になる。聞こえなかったかも。だけど言い直すのも恥ずかしい。催促するように右手を引くと繋いだ彼の手を持ち上げるかたちになって、絡ませた指の関節に二人分の腕の重みがかかって軋むように痛んだ。そっと彼の眼を視ると繋いだ手のあたりを伏し目がちに見ているらしいその表情が思いつめたような真顔になっている。濡れて額に垂れ下がった焦茶色の髪。太い眉毛。長い睫毛。細い鼻稜。頬骨から顎先にかけての輪郭。ずっと触れていたい。いつまでも一緒にいたい。自覚した瞬間、目の前にいて触れているはずの相手が遠くにいる錯覚に襲われ、潰れそうな胸の痛みに気づいた驚きに動揺して涙が溢れそうになったのを我慢したら痛みとともに鼻腔の奥から涙が零れてくるのを反射的に啜った鼻の入口を人差指の背で擦ったら、繋いでいた手と、手が、離れた。行き場を失くしたその腕が脱力して振り落ちると湿った指の股や濡れた掌が風を切って涼しく、それより、搦めていた指と指が擦り抜けるときの感覚が粘膜みたいだったな、と思った。
(略)
彼と出逢ってから不思議な出来事が続いていて、でも、それは不思議な言動と雰囲気に呑まれているせいだ、なんて考えているのは、出逢いが出逢いだからだ。自動販売機で買ったコーヒーを大学のカフェテラスで飲んでいると、僕の運命の人、と誰かが手を握ってくるから驚いて紙コップを倒してしまうと、大丈夫、とその手を握った人影が言い、声に惹かれて顔を上げると見知らぬ顔があって、けれど一目見た瞬間にママも運命を感じた。どれくらい時間が経ったのだろう。一瞬だったかもしれない。手と手を取り合ったままでテーブルに目を移すと、コーヒーは何事もなかったかのように、紙コップの中で、うすく湯気を立てていた。彼がママの顔を見て笑う。気づくとママはこんな話をしていた。子供の頃、鏡の前で急に横を向いたら横顔が見えそうな気がして。ずっと首を振ってたら倒れちゃって、両親の部屋に手回し式のミルがあって頭をぶつけて血が出ちゃった。なんでだろう。本棚に万力みたいな金具で固定されてて。あの豆が砕ける音が好きだった。いい香りがして。階段を下りて台所のシンクで渋皮を吹き飛ばすのが秘密の儀式みたいで本当に好きだった。コーヒーカップも気持ちよかった。焼いた土って生きてるって思う。粒子が目立つ素焼きの生地のざらざらと釉薬のつるつるをずっとずっと触ってた。たまに挽かせてもらったときの手の感覚も好きだったなあ。ああ。力がいるから。だからしっかり固定しないといけないのか。そうそう。それで、一人でいるときにどうしても挽きたくなっちゃって。コーヒー豆が見つからないから代わりに小石とかクレヨンでやったらすっごく怒られちゃって。悪戯じゃなかった。ただ同じことがしたかった。父親がコーヒーを淹れるのを見るのが好きだった。ドリップが一滴一滴落ちるのが本当に好きだった。机に両手を載せて顔を置いてずっとずっと見てた。ミルクの王冠、ってわかるよね。目を凝らしたら見えるって本気で思ってた。ずっとずっと見てるとゆっくり見えたように感じる瞬間がたまにあって。透明な水滴がじわじわ焦茶色に染まっていって、もうこれ以上濃くならなくなったら重さに耐えきれなくなって、フィルターの先端からふわふわ空中に落下して、水面に落ちた瞬間に水滴が王冠のかたちに、ぱちん、って弾けるのが本当に見えた気がした。と言って、二人で笑った。
(略)

挿画:今村建朗

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続きは『文章講座植物園』にてお読みいただけます。

https://note.com/ebisu_kouza2019/n/nb6aea0d4bf89

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