とあるオフィスの電子書籍 #3

今日はじめて喫茶店でリモートワークしてみたんだけど、ものすごいエクスタシーを感じた。これまでにないくらいの最大級のやつを。

どういうことかというと、構図がいい。ただそれだけ。

いつもなら、会社がもってる情報に会社の中からアクセスして、アプリに並べる本を選ぶなどの編成業務をおこない、社会に発信するという流れ。

だけど今日は、
発信先である社会の中から、社会に身を浸しながら、そこで自分が本を選ぶ経験をした。

つまり送り出した本棚が自分に帰ってくるような構図がリモートワークによって実現したということ。

この構図にものすごくエクスタシーを感じた。これまでにないくらいの最大級のやつを。これがフェティシズムでなくて何であるか、というかんじだ。

フェティシズム
ポルトガル語フェティソ(護符,呪(じゅ)具の意)に由来する英語。
(1)宗教学では呪物崇拝,偶像崇拝と訳される。宝石,金属片,文字,図像など自然物,人工物を問わず,持ち運びできるほどの物体に超自然力が宿るとする信仰。
(2)心理学では節片淫乱(いんらん)症,拝物愛,崇物症と訳される。異性の毛や爪(つめ),排出物,衣服などに異常な愛着と興奮を示す性倒錯(異常性欲参照)。
(3)経済学では物神崇拝と訳される。人間関係が物的関係に転化してしまう資本主義経済(商品,貨幣,資本)の性格を特徴づけるのにマルクスが用いた。疎外や物象化といった概念とともに論じられることもある。
(4)以上のすべては人間が本来的にもつ〈シンボル化能力〉にもとづく点で共通しており,あらゆる文化に通底する本質的な現象であると考える立場もある。
出典 株式会社平凡社/百科事典マイペディア

そしてこれは性癖に刺さるという個人の満足だけでなく、生身の人間がたくさんいる空間の中で、読んでもらうための本を五感を解放して選ぶというのは、責任感やインスピレーションも増幅させるんじゃないかと思った。

屋外で仕事し慣れている人からしたら「何をいまさら」という話でしかないが、ちょっとこれはヤバかった。仕事しながらドーパミンドバドバだったと思う。

やっぱり仕事を自己満足の割合が高いものになっちゃうのはさびしいので、自社サービスがもっと普及して支持されるものになるといいなーと思うのであった。

そんな背景もあってか、今日組んで配信した棚は社会を意識したものになった。でも、今回に限らないけど自分が組むのは限られたユーザーにしかウケなさそうでちょっとアレ。

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今日リモートにしたのは向精神薬をもらうために夕方病院に行くことにしたこととのかねあいで。寛容でありがたいけど寛容すぎてこわくなることもある。

病院からの帰り、制服をきた小学生の女児が満員電車に乗ってきた。
立ち位置を定めるなり手にもっていた本をひらいて、

「きみが思いなやむことじゃないよ。これはぼくと……」

というセリフからはじまるページを読みはじめる。

都会のこどもは早期に文明と社会を経験しててすごい。
当時好きだったパワプロクンポケットのBGMが好きすぎてゲームボーイにイヤホンをさして聴きながら島で自宅から親がやってる魚屋までの数百メートルを歩いていたぼくのライフスタイルとは大違いだ。

彼女が今の僕ぐらいのとしになってから島にきたらなんというだろうか。
都会育ちの人のそのへんの生活の嗜好はぼくには想像つかないので、満員電車が恋しいとか言うのだろうかとちょっとビビっている。
(28分39秒)

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