映画感想文【コーダ あいのうた】
2021年 製作
主演:エミリア・ジョーンズ、トロイ・コッツァ―
前回がエグかったので、反動でハートフルを求めてみた。
音楽にまつわる映画は大体良い雰囲気で終わることが多いので期待していたのだが、予想していたよりずっと複雑で静かな優しさをもたらしてくれる映画だった。
観ている間ずっとヤングケアラーという言葉が頭にあった。
ヤングケアラーとは、本来大人が担うと想定されている家事や家族の世話などを日常的に行っている子供のことである。主人公ルビーの家族は耳が聞こえない以外は健常なのだが、それでも彼女は世間との橋渡し役として欠かせない。
何をするにしても、家族は通訳としての彼女を必要とし、それが普通で自然で当然のことと考えている。
ルビーの一家にはそれでも健全な愛情があり、ルビー自身も家族のために働くことを否定はしない。ヤングケアラーで特に問題になるのが「手伝い」と「介護」の違いだろう。この映画でも非常に微妙なところだと思う。
さらに問題を複雑化させているのが、家族が生まれながらのろう者であるという点だ。
ルビーの母親は、ルビーが生まれたときに聴覚検査をし、健全な聴覚を持っていると知って悲しくなったという。母親の母親、つまりルビーにとっては祖母にあたる人は健常者でありその為に距離を感じていた、というのだから、彼女の思いもそう理不尽なものではない。
ルビーと家族の間に育まれた深い愛情が本物であるだけに、単純にヤングケアラー問題を改善して解決する話ではないと思う。
ルビーの歌は良いものだと思うが、他の有名な音楽映画に比べるとそれほど描写には注力していない気がする。
それよりはやはり音楽を志す主人公の家族がろう者である、ということをどう表現するか、がテーマであったのだろう。
特にルビーが音楽教師に「歌っている時どんな気持ちだ?」と聞かれて言葉ではなく両手で手話のように表現するシーンが印象的であった。彼女にとっては言葉よりも両手のほうが自分の心をより表せる手段なのだろう。ここにも家族とのつながりの深さがうかがえる。
また、ルビーの晴れの舞台、音楽会に一家が訪れるのだが、不意に音が全て消える。観客は戸惑うけれど、一家にとってそれが日常なのである。
父親役のトロイ・コッツァ―は演技ではなく本当にろう者なのだが、彼は娘の歌を周囲の表情で聞く。夜空の下、歌う娘の頬や喉に手を当てて触覚で聞く。
もちろん音楽を聞くのに聴覚が正常であるのは前提なのだが、味わい方はそれ一辺倒ではないのだと教えられる。
芥川賞を受賞した『ハンチバック』の作者、市川沙央氏はインタビューで「この社会に障害者はいないことになっている」と怒りの声を発した。
読書という呼吸と同じほど自然な行為ですら、障害者には困難な場合がある。教えてもらわなければわからない、自身の想像力の乏しさを恥じ入るばかりである。
次はこの本を読んでみたいな、と思う。
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