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読書感想文【君たちはどう生きるか】

1935年からほぼ一月に一冊のペースで出版された『日本少国民文庫』の最終刊(1937年、吉野源三郎著)。当初は新潮社から出版されたが、戦後に文体や語彙の再編集を経て改めてポプラ社や岩波書店から出版された。
今回手にとったのは岩波文庫である。

数年前に漫画化され話題になったのは知っていたが、天の邪鬼な根性ではやりから一段落たった今になってようやく読んでみた。と、いうか実のところ宮崎駿がこれをモデルに新作映画を作るというからである。ジブリに育てられた勢としては読まないわけにはいかない。

そもそも元の本が戦前に書かれた本だとも知らなかった。
読み始めてすぐ、倫理の本か、と思った。語り口がなんともそれっぽい。小学生の時の道徳の時間に読んだ本そのままである。
あの時間、皆で同じ本を読み感想を言い合う時、自分の答えが先生の求めるものでなかったあの時。勢い良く答えては「それも間違いではありませんね、でも…」をいつも頂いていた生徒だった自分が蘇る。
教科書が示す答えを導き出すことも出来ず、かと言って全く新しい着眼点を見つけることも出来ず、いつしかつまらない時間になっていた。

この本も、本筋はその頃の道徳の本と大きく外れてはいない。
主人公、コペル君自身と違い貧しい境遇だった友人の話、親友との約束を自分の意気地がないせいで破ってしまった話。この辺りは恐らく現在の道徳の時間でも教材として使用して差し支えないだろう。
そこから一味違うのは、沢山の社会科学的知識が散りばめられていること。そしてその知識全てが上記のような幼少期の経験と複雑に絡み合って、主人公への問いかけ「君たちはどう生きるか」にかかってくることだ。

主人公コペル君の叔父さん(母親の弟)の存在は実に魅力的である。コペル君の父親が亡くなっているためその代わりを務めるが、やはり本当の男親とは少し違う立ち位置からコペル君を導く。
文学、美術、物理学、史学など様々な学問に通じる彼はその知識を持って多様なものの見方をコペル君に示してくれる。「コペル君」の名付け親でもあるあたり洒落っ気もある。滔々と主人公に語りかける様は『博士の愛した数式』(小川洋子著)の博士とルート君を少し連想させた。

叔父さんがコペル君とその友人たちにニュートンの万有引力の法則を説く場面がある。
本来ならばとても難しいこれを実に平易な表現で語ってくれるので、自分のようなポンコツでもすんなりと頭に入ってくる。あの数字だらけの教科書を開いたときのような拒否反応が出ないのだ。これは凄い。
この叔父さんのように、ただ知識として自分の中に溜め込むのではなく、自分なりの意見を交えて他に伝えることができるものを「教養」というのだろうな、と感じた。

本には多くの素敵な言葉がある。少し昔の口調で語られるそれが実にしんみりと心に染みる。染みる、と思うのは恐らく年齢を重ねた自分が多くの誤りを経験しているからだ。コペル君のようにその誤りから立ち直ったか直ってないかは分からないが、その時の記憶がより本の内容を浸透させる。
コペル君に同調する気持ち、コペル君に近い位置で立つ自分を未熟と嘆くのも確かだ。現時点、どうあっても自分は「叔父さん」にはなれない。
ただまだ成長の余地がある、我が瑞々しい子供心よ、と都合よく解釈するか…。

この本が書かれたのは1937年、太平洋戦争間近、日中戦争の発端となった盧溝橋事件などが起こった年である。恐らく既に言論の自由は厳しく弾圧されていた頃と思う。イメージするのは『少年H』(妹尾河童著)のような風景だが、その中でよくぞ出版してくれたものだ。
後書きにもあったが、出版を決めた人々の良心、良識、そして志に救いを感じた。

作中で叔父さんがコペル君に提示した問題。
今は何一つ生み出さない子供、「消費専門家」のコペル君がその身の上でしかし日々生み出しているある大きなもの、とは一体なんだろうか。
その答えを先生に「それも間違いではありませんね、でも…」と言われても良いから、自分なりにじっくりと時間を考えて出したいと思う。



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